日本大百科全書(ニッポニカ) 「謝荘」の意味・わかりやすい解説 謝荘しゃそう(421―466) 中国、南朝宋(そう)の文人。字(あざな)は希逸。陳郡陽夏︵河南省︶の人。父の謝密︵字は弘微︶は謝霊運と同世代で、﹁烏衣(うい)の遊び﹂に参加し、一族の指導者謝混から次代を担う人材と評価された。晋(しん)宋王朝交代期に謝混が政治的判断を誤ったが、謝密はよく傾いた屋台骨を支えた。謝荘は賦(ふ)の大家で、﹁千里を隔てて明月を共にす﹂の句で知られる﹁月賦﹂が代表作。詩では楚辞(そじ)調の﹁懐園引﹂が注目される。しかし一族の衰退を反映して、﹁宋孝武宣貴妃誄(るい)﹂には皇帝権力への過剰な媚(こび)がみられる。﹃謝光禄集﹄1巻がある。 ﹇成瀬哲生﹈ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「謝荘」の意味・わかりやすい解説 謝荘しゃそうXie Zhuang [生]永初2(421) [没]泰始2(466) 中国,六朝時代の宋の詩人。陽夏 (河南省) の人。字,希逸。謝霊運の一族。明帝のとき金紫光禄大夫にいたった。詩文に典故を多用する風で,内容の豊富さはないが,﹃月賦﹄は自然を主題とした六朝の賦の代表的作品とされる。﹃謝光禄集﹄がある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報