デジタル大辞泉
「議奏」の意味・読み・例文・類語
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ぎ‐そう【議奏】
(一)〘 名詞 〙
(二)① ( ━する ) 太政官からの建議を天皇に奏上すること。
(一)[初出の実例]﹁於レ是太政官議二奏精麁絹絁長短広闊之法一﹂(出典‥続日本紀‐養老元年︵717︶一一月戊午)
(三)② 鎌倉時代、朝廷に置かれた職。文治元年︵一一八五︶平家滅亡後、源頼朝は鎌倉方に近い公卿一〇人を指名して議奏公卿とし、朝務を計り行なわせた。議卿(ぎきょう・ぎけい)。
(一)[初出の実例]﹁一議奏公卿。︿略﹀依二彼議奏一可レ被二計行一也﹂(出典‥吾妻鏡‐文治元年︵1185︶一二月六日)
(四)③ 江戸時代、朝廷に置かれた職。天皇に近侍して口勅をうけ、公卿に伝宣する。清華、羽林両家から補任する。四、五名。
(一)[初出の実例]﹁議奏。是議奏とは天子の近習に侍て諸の御用を弁す﹂(出典‥故実拾要︵1720頃︶一〇)
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議奏 (ぎそう)
鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。鎌倉幕府草創時の1185年︵文治1︶12月,源頼朝は後白河院に対して,右大臣九条兼実,権中納言源通親,権中納言吉田経房ら10人の公卿を議奏公卿となすよう要求して認めさせた。これは10人の集議奏上によって政務を行わせて,後白河院の専断を抑制しようとしたものであったが,必ずしも頼朝の期待どおりには機能せず,やがて消滅した。
次に江戸時代の前期,1686年︵貞享3︶年寄衆,御側衆の名称が議奏と改められた。このときの議奏はつねに天皇に近侍して上奏を取り次ぎ,また勅宣を受けてこれを伝える役職で,しかるべき家柄の公卿の中から4~5人が任じられた。幕末に江戸幕府の威信が衰え,開国か攘夷かをめぐる国論の決定に天皇の意向が重要なポイントとなるという状況が生じた際には,天皇に近侍する議奏の地位がにわかにクローズアップされた。
執筆者‥山本 博也
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普及版 字通
「議奏」の読み・字形・画数・意味
【議奏】ぎそう
、盡(ことごと)く宣ぶること能はず。而るに
樂未だ
(かな)はず。其れ議奏せよ。
字通﹁議﹂の項目を見る。
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議奏
ぎそう
鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。1185年︵文治1︶、源頼朝(よりとも)が九条兼実(くじょうかねざね)ら10人の公卿(くぎょう)を議奏公卿となすよう後白河(ごしらかわ)院に要求して、設置させたことに始まる。議奏は政務を合議し、院の専断を牽制(けんせい)することを期待されたが、かならずしもその機能を果たさず、やがて消滅した。江戸時代の議奏は、1686年︵貞享3︶に年寄(としより)衆、御側(おそば)衆の名称が改められたもの。つねに天皇に近侍し、奏上(そうじょう)、宣下(せんげ)の事にあたった。天皇の権威がにわかに復活した維新前夜には、政局の推移に重要な役割を果たした。
﹇山本博也﹈
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議奏【ぎそう】
鎌倉・江戸時代,朝廷に置かれた職名。源頼朝は1185年後白河院の専断を抑制するため10人の公卿(くぎょう)を議奏に任命し,政務を集議させたが実効はなかった。江戸幕府は1686年に年寄衆・御側(おそば)衆を改め,公卿を議奏とし,天皇の側近として朝幕間の事務連絡に当たらせた。
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議奏
ぎそう
鎌倉,江戸時代の朝廷における官職。両時代を通じていずれも鎌倉,江戸幕府が,それぞれ朝廷の意向を間接に統御するため設置したもので,常に天皇に近侍して勅宣を公卿に伝達し,または上奏を天皇に取次ぎ,また重要政務を合議した。幕府の奏請によって設置され,親幕的な公卿が任じられている。鎌倉時代には右大臣藤原兼実など,江戸時代には大納言転法輪実通などがある。
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議奏
ぎそう
①鎌倉時代,朝廷の職名
②江戸時代,朝廷の職名
1185年源頼朝の推薦で九条兼実 (かねざね) ら幕府に好意的な公卿10人が任命され,重要な政務を合議した。
1686年幕府の奏請により設置。年寄衆・御側衆の名を改め議奏とし,天皇に近侍し,勅命の伝達,上奏の取りつぎなどをおもな任務とした。
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議奏
ぎそう
議奏公卿のこと。1185年(文治元)12月6日の源頼朝の後白河上皇への要請によって29日に設置され,10人が任命された。朝廷で神祇・仏道ほか重要政務を合議し,天皇に具申することを職務とする。1288年(正応元)にも存在が確認されるが詳細不明。室町時代には設置されなかったらしい。
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