デジタル大辞泉
「公卿」の意味・読み・例文・類語
く‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【▽公×卿】
言・参議および三位以上の朝官をいう。参議は四位も含める。﹁大臣公卿﹂と連ねていう場合は、卿のこと。公家。上(かん)達(だち)部(め)。月(げっ)卿(けい)。卿(けい)相(しょう)。
2 ︵﹁供饗﹂﹁公饗﹂とも書く︶公卿に供する食物などを載せる膳。
まえ‐つ‐きみ〔まへ‐〕【公=卿/×卿/大=夫】
《「前つ君」の意》天皇の御前に仕える人を尊敬していう語。また、朝廷に仕える高官・侍臣の総称。
「島山に照れる橘うずに刺し仕へ奉るは―たち」〈万・四二七六〉
もうち‐ぎみ〔まうち‐〕【公=卿】
《「もうちきみ」とも》「まえつぎみ」の音変化。
「―たち歌して曰はく」〈崇神紀〉
まち‐ぎみ【公=卿/×卿】
《「まうちぎみ」の音変化》「まえつきみ」に同じ。
「時に一の―有り、進んで曰く」〈景行紀〉
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く‐ぎょう‥ギャウ【公卿】
(一)〘 名詞 〙
(二)① ( 周官の三公九卿にならって ) 公と卿の総称。公は太政大臣、左大臣、右大臣をいい、卿は大・中納言、参議および三位以上の貴族をいい、あわせて公卿という。﹁大臣公卿﹂と連ねていう時は、卿に同じ。上達部(かんだちめ)。月卿(げっけい)。卿相(けいしょう)。棘路(きょくろ)。くげ。こうけい。
(一)[初出の実例]﹁これは大臣くぎゃう出で給ふべき夢なり﹂(出典‥蜻蛉日記︵974頃︶下)
(三)② ( 大臣・公卿と分けて称するとき ) 納言以下の貴族をいう。
(四)③ ( ﹁供饗﹂﹁公饗﹂とも ) ( ﹁くぎょうついがさね︵公卿衝重︶﹂の変化した語か ) 高貴な人の用いる食膳。
(一)[初出の実例]﹁くぎゃう、四はうはつねの人はもちゐず、けんしゃうを四方にあけたるをいふ也﹂(出典‥大上臈御名之事︵16C前か︶)
こう‐けい︻公卿︼
(一)〘 名詞 〙
(二)① 古代中国で、三公と九卿。時代によって異なるが、周代には、三公は太師・太傅・太保をさし、九卿は少師・少伝・少保・冢宰・司徒・司空・司馬・司寇・宗伯をさす。転じて、高位高官の称。
(一)[初出の実例]﹁况為二進士揚一レ名後、今待二公卿採択恩一﹂(出典‥菅家文草︵900頃︶二・賀和明)
(二)[その他の文献]︹論語‐子罕︺
(三)② =くぎょう︵公卿︶
まえ‐つ‐きみまへ‥︻公卿・卿︼
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁前つ君﹂の意 ) 天皇の御前に伺候する人を敬っていう語。天皇に仕える高官の総称。もうちきみ。まちぎみ。まつぎみ。まちきんだち。
(一)[初出の実例]﹁朝霜の 御木(みけ)のさ小橋 魔幣菟耆瀰(マヘツキミ) い渡らすも 御木のさ小橋﹂(出典‥日本書紀︵720︶景行一八年七月・歌謡)
まち‐ぎみ【公卿・卿】
- 〘 名詞 〙 ( 「まうちぎみ」の変化した語 ) =まえつきみ(公卿)
- [初出の実例]「僕紀の卿(マチキミ)と共に、天朝(みかと)に奉事るに堪へじ」(出典:日本書紀(720)雄略九年五月(図書寮本訓))
もうち‐きみまうち‥︻公卿・卿・卿大夫︼
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁もうちぎみ﹂とも。﹁まえつきみ﹂の変化したもの ) 天皇の御前に伺候する高位の臣の総称。上は大臣から下は五位まで。
(一)[初出の実例]﹁ほりかはのまうちきみ﹂(出典‥阿波国文庫旧蔵本伊勢物語︵10C前︶九七)
まつ‐ぎみ【公卿】
- 〘 名詞 〙 「まえつきみ(公卿)」の変化した語。〔古事記伝(1798)〕
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公卿
くぎょう
中国周(しゅう)の官、三公九卿(さんこうきゅうけい)に由来する名辞。上達部(かんだちめ)、卿相(けいしょう)、月卿(げっけい)、棘路(きょくろ)︵おどろのみち︶ともいう。一般に三公︵太師(たいし)、太傅(たいふ)、太保(たいほ)︶は太政(だいじょう)大臣、左大臣、右大臣に、九卿︵少師、少傅、少保、冢宰(ちょうさい)、司徒(しと)、宗伯(そうはく)、司馬(しば)、司寇(しこう)、司空(しくう)︶は参議、三位(さんみ)以上の高官にあてた。令(りょう)制では官職は大臣、大納言(だいなごん)、位階は従(じゅ)三位以上をさすが、のちには令外(りょうげ)の摂政(せっしょう)、関白、内大臣、中納言、参議をも含み、四位の参議もまたこれに入る。公卿には現任と散位(さんに)との別がある。﹃公卿補任(ぶにん)﹄によれば、散位のうち一度でも参議以上になったことのある官人は、前(さきの)大納言、前参議などと書いているが、位は従三位以上でも、参議にもならない官人の場合は、非参議と表現している。758年︵天平宝字2︶太政大臣を大師、左大臣を大傅、右大臣を大保、大納言を御史大夫(ぎょしたいふ)と改称したが、藤原仲麻呂(なかまろ)没後の764年に至り、それぞれ旧号に復した。
﹇渡辺直彦﹈
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公卿 (くぎょう)
摂政・関白以下,参議以上の現官および三位以上の有位者︵前官を含む︶の総称。中国の三公九卿に由来し,大臣を公に,大中納言・参議を卿に充てたという。狭くは大臣以下参議以上の議政官をいい,平安中期にはその定員を16人としたので,︿十六之員﹀とか︿二八之臣﹀とも称されたことが記録に見えるが,三位以上の前官および非参議をも含めて公卿と称することがしだいに一般化し,︽公卿補任︾に記載される範囲全体に及ぶようになった。鎌倉時代以降,公卿の員数はますます増大したが,一方,家格の形成に伴い,公卿に昇る上流廷臣の家柄もしだいに固定し,江戸時代には,その家柄に属する廷臣の総称として,公家とほぼ同じ意味にも用いられた。上達部︵かんだちめ︶,卿相︵けいそう︶,月卿︵げつけい︶,棘路︵きよくろ︶などの異称もある。
執筆者‥橋本 義彦
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公卿
くぎょう
律令制以前には「マエツキミ」の漢語的表現として,広い範囲の上級官人層をさす語であった。奈良時代にもこのような用例が多いが,平安時代に入ると,中国古代の三公九卿の制の影響をうけ,太政大臣・摂政・関白・左大臣・右大臣・内大臣を公,大納言・中納言・参議・三位以上の非参議官人を卿といい,あわせて公卿と称した。大臣以上と区別して,大納言以下のみを公卿と称する場合もある。参議は四位の者であっても公卿の列に入り,また三位以上を帯する者は議政官でなくとも公卿とされた。非参議公卿以外の,現に太政大臣以下参議以上の官職についている者を現任(げんにん)公卿とよんだ。上達部(かんだちめ)・月卿(げっけい)などの異称もある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
公卿
くぎょう
明治維新以前の公家社会で,中国王朝の三公九卿にならって太政大臣,左大臣,右大臣を三公もしくは公,大納言,中納言,参議および三位以上の朝官を卿といい,合せて公卿と称した。唐名で卿相,月卿,棘路といい,また大臣を除いた公卿を上達部 (かんだちめ) とも呼んだ。
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公卿
朝廷につとめる身分の高い役人のことです。﹁公﹂は太政大臣﹇だじょうだいじん﹈と左・右大臣﹇さ・うだいじん﹈のこと、﹁卿﹂は大納言﹇だいなごん﹈・中納言﹇ちゅうなごん﹈・参議﹇さんぎ﹈と三位以上の役人のことで、これらをまとめて、公卿と言います。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
公卿
くぎょう
摂政・関白・太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣を公 (こう) ,大納言・中納言および三位以上を卿という。朝廷の政治の最高構成員。参議は公卿会議に参加する要職なので四位でも卿といった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の公卿の言及
【貴族】より
…しかも元来個人を対象とした貴・通貴身分は,父祖の庇蔭をもって叙位する[蔭位]︵おんい︶制によって再生産され,その世襲化を促し,貴族化へ道を開いた。第2は公卿の成立で,平安中葉までに参議を含む公卿の範囲が定まり,宮廷貴族の中核となった。しかも平安中・末期に入ると,公卿が特定の氏族・家系に固定する傾向を急速に強め,︿貴種﹀とか︿華族﹀などの用語も生まれた。…
【公家】より
…律令制のもとでは,為政者は三位以上の︿貴﹀と四,五位の︿通貴﹀にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。平安後期武士や寺社の勢力が強大になると,朝廷(おおやけ)の政治を担当する身分つまり朝臣が公家と呼ばれるようになり,なかでもその最高の地位たる大臣,納言,参議を[公卿]︵くぎよう︶(総じて三位以上を上達部︵かんだちめ︶という),四,五位の昇殿を許された者を[殿上人]︵てんじようびと︶といい,それ以下の地下人︵じげにん︶と区別した。 しかし鎌倉時代以後,武士を統率する幕府が成立してその長(征夷大将軍)を︿[武家]﹀と呼ぶようになり,公家はこの武家や寺家・社家と相対する語に用いられた。…
【太政官】より
… (1)議政官組織を構成する官職は[太政大臣](定員1,ただし本来は具体的な職掌をもたない天子輔導の官),[左大臣・右大臣](各定員1),[大納言](定員4,のち2となる)だが,8世紀はじめに令外官︵りようげのかん︶の[中納言](定員3)と[参議](はじめ定員なし,9世紀から8となる)が加わり,平安時代にさらに[内大臣]が加わった。これらが後世公卿︵くぎよう︶といわれるものであって,その定員は10世紀ころまでほぼ守られていた。この組織は,天皇の諮問にこたえ,国政や法を審議し,また,天皇の命令(勅)や審議決定事項を後述の弁官局に伝えて,行政執行命令書としての[太政官符](諸官庁に下す命令書),太政官牒(寺院などに下す命令書),弁官下文(官宣旨︵かんせんじ︶ともいい,太政官符,太政官牒の様式と発布手続を簡略にしたもの)を作成させ,執行させる。…
※「公卿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」