日本歴史地名大系 「赤磐郡」の解説 赤磐郡あかいわぐん 面積:二五二・四七平方キロ瀬戸(せと)町・熊山(くまやま)町・山陽(さんよう)町・赤坂(あかさか)町・吉井(よしい)町 明治三三年︵一九〇〇︶赤坂郡と磐(いわ)梨(なし)郡が合併して成立した郡で、現郡域は昭和二八年︵一九五三︶・二九年に合併した和(わ)気(け)郡熊山村︵東南部︶、同三〇年合併の上道郡玉(たま)井(い)村︵西南部︶の地域を含む。県東部の中南域に位置し、旭川と吉井川に挟まれた地域。東は和気郡佐(さえ)伯(き)町・和気町、南東は備前市、南は岡山市、西は御(み)津(つ)郡御津町・建(たけ)部(べ)町、北西は久(く)米(め)郡久(くめ)米(な)南(ん)町、北は同郡柵(やな)原(はら)町。 〔古代―近世〕 当郡の北部と南西部を占めた赤坂郡は、八世紀に藤(ふじ)原(わら)郡を割置するまでは播磨国に接する広大な地域を占めていた。郡内の有力首長としては上道氏が想定されている。県下第三位の規模を有し、周湟を伴う前方後円墳の両(りよ)宮(うぐ)山(うざん)古墳︵山陽町︶を中心とする古墳群は、のちに上道氏として登場する氏族との関連が考えられる。律令時代には官道である山陽道が通り、高(たか)月(つき)駅が現山陽町に置かれたと推定され、備前国分僧寺・国分尼寺も同町にあった。南東部を占める磐梨郡は延暦七年︵七八八︶成立した新郡で、和気郡︵もとの藤原郡︶の吉井川以西の住民の意を受けた和気清麻呂の建言により、和気郡から分立した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報