野口援太郎(読み)のぐちえんたろう

改訂新版 世界大百科事典 「野口援太郎」の意味・わかりやすい解説

野口援太郎 (のぐちえんたろう)
生没年:1868-1941(明治1-昭和16)


18941901192324︿30︿︿19261933

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20世紀日本人名事典 「野口援太郎」の解説

野口 援太郎
ノグチ エンタロウ

 

, 西; 





1918(1868)



16(1941)111



()



23,27



3423810121314西2西591113


 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口援太郎」の解説

野口援太郎 のぐち-えんたろう

 
18681941 -
9183412,14西,51611174()()  

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野口援太郎」の解説

野口 援太郎 (のぐち えんたろう)

生年月日:1868年9月14日
大正時代;昭和時代の教育家。城西学園園長
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の野口援太郎の言及

【寄宿舎】より

…しかし,その後形式的管理の強化が青少年の反発と志気(モラール)の低下に結果することへの危惧から,寄宿舎自治や教職員をも含めた共同生活方式の導入が考慮されるようになった。1890年第一高等中学校における〈籠城自治〉の承認に代表される旧制高等学校における寮自治制は,自治の容認により寮生たちに将来のエリートとしての自負と使命感を育成しようと配慮されたものであったし,明治後半に姫路師範学校で校長野口援太郎により採用された自治・共同の寄宿舎制は,師弟一体の共同生活による自律的で積極性ある教師の養成を図ったものである。この自治制下で,寮生活にうるおいをもたらす寮祭,運動会,ストームなど多様な行事が行われ,またその生活を謳歌する寮歌などが数多く生み出された。…

【教育会】より

… 帝国教育会の果たした役割は時代によって変わった。注目されるのは第1次大戦後の沢柳政太郎会長,野口援太郎専務主事の時代である。1917年の全国小学校女教員会の開催,18年各府県の教育会の連合組織の結成,21年政府の地方教育費整理節減案への批判,そのほか機関誌《帝国教育》の発行,教員の研究活動への援助,国際的教育運動との連携等々の事業は,政府の政策とは離れた独自のプレッシャー・グループとしての役割を果たした。…

【教育の世紀】より


1923102811234︿︿

【児童の村】より

野口援太郎らが中心となって1923年に結成した団体〈教育の世紀社〉が実験学校として開設した私立小学校。最初のものは24年に東京池袋に創設された池袋児童の村小学校で,野村芳兵衛やのちには戸塚廉などが教師として参加した。…

※「野口援太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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