陸軍大学校(読み)リクグンダイガッコウ

デジタル大辞泉 「陸軍大学校」の意味・読み・例文・類語

りくぐん‐だいがっこう〔‐ダイガクカウ〕【陸軍大学校】

 
161883201945  

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精選版 日本国語大辞典 「陸軍大学校」の意味・読み・例文・類語

りくぐん‐だいがっこう‥ダイガクカウ【陸軍大学校】

 

(一)
(一)[] 西(1883)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「陸軍大学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍大学校 (りくぐんだいがっこう)


西187718821183485943115501945300031923101321033801

 23National Defense UniversityRoyal College of Defense StudiesNational Defense College1918Voennaya akademiya im.M.V.Frunze

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百科事典マイペディア 「陸軍大学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍大学校【りくぐんだいがっこう】

陸軍将校に高等用兵術を学ばせ,高級指揮官および参謀を養成した学校。1882年の陸軍大学校条例により翌年開校,1945年まで存続。陸軍の主要幹部のほとんどはこの学校の出身であった。陸軍士官学校卒業後一定期間の隊付勤務を経験した大尉・中尉を選抜試験で選び,通常3年間の教育を行った。→陸軍幼年学校
→関連項目海軍大学校

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸軍大学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍大学校
りくぐんだいがっこう

旧日本陸軍最高の教育研究機関。1883年(明治16)開校。各連隊士官中の優秀者を選抜して入学させ、これに3年間の幕僚・将帥教育を施すことをおもな目的とした。1923年(大正12)には専攻学生の制度を設けて少数の佐官を入学させ、33年(昭和8)には短期教育のための専科学生の制度が設けられている。卒業生は将校中のエリート層を形成し要職を独占したが、その教育が戦術・戦史教育に偏向していたこともあって、視野の狭い柔軟な思考を欠いた軍人が陸軍を指導する結果ともなった。卒業生は天保(てんぽう)銭型の徽章(きしょう)をつけていたため天保銭組とよばれる。36年には徽章廃止。

[吉田 裕]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸軍大学校」の意味・わかりやすい解説

陸軍大学校
りくぐんだいがっこう
military staff college; war college

 
 1882215031  

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世界大百科事典(旧版)内の陸軍大学校の言及

【陸軍】より

…軍人勅諭は以後軍の解体まで軍人を律する最高規範として位置づけられ,軍隊の天皇親率,政治不干与,命令絶対服従などの原則を明示した。西南戦争の経験に学んで78年12月にドイツから帰国した桂太郎の建議により参謀本部が設置され(本部長,山県有朋),軍人勅諭の原則に従って軍の統帥=軍令事項について大元帥=天皇を補佐する機関に発展し,82年にはその要員(参謀および高等司令官)の養成機関として参謀本部所管の陸軍大学校が設置された。俗に〈長の陸軍・薩の海軍〉と呼ばれたように,陸軍首脳は旧長州藩出身で占められ,山県有朋,桂太郎,寺内正毅,田中義一の順に実権が継承されてきたが,大学校の出身者でなければ軍中枢の要職につくことができなくなると藩閥の力は減退し,逆に士官学校,大学校の卒業成績の序列が大きな意味をもつ官僚機構に転化した。…

※「陸軍大学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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