今回の記事は認知科学の歴史概説です。
さて。久しぶりの更新なのですが、このサイトは、いずれ(というか、もはやか…)見限ります。学術blogを始めたのはいいけど、いじりづらいので。代わりに、htmlでHPサイトを立ち上げます。とりあえず、新しいサイトでは、客寄せ(笑)の一つの柱として認知科学の歴史を扱っていきたいと思っています。
認知科学とは何か
認知科学とは、Cognitive Scienceの訳語である。研究対象である﹁認知﹂は、cognitionの訳語で、﹁知﹂識を活かし、何かを﹁認﹂識することである。認知科学とは、詰まるところ知的活動のメカニズムを探る科学であり、言い換えればMind[*1]を研究対象としている科学である。より具体的には、知覚や思考、類推、理解、記憶、学習、言語、意識などで、研究対象は多岐に渡っている。これは、そもそも認知科学自体のルーツが多岐に渡るためで、具体的なルーツは、哲学、心理学、人工知能、文化人類学、言語学、神経科学とされている。つまり、認知科学は、多様なルーツと対象とを持つ学際的な分野であると言える。
認知科学の誕生経緯は複雑であるが、ごく簡単なイメージを掴んでもらうために、20世紀以降の行動主義から、認知科学の一つのコアである認知心理学が誕生するまでを、掻い摘み記しておく。
行動主義から認知革命へ
心理学史を学んだ者にとってはお馴染みのフレーズであるが、第一次大戦後、行動主義心理学[*2]が行き詰まりを見せた。人間の精神活動を研究対象から半ば捨てたことで、その研究法は洗練されたが、代償に、研究対象が貧困化してしまったのだ[*3]。極端な例を挙げれば、動物の些細な行動を記述するためにすら、非常に複雑な数式を利用せねばならない状況に陥っていた。
こうした状況に﹁イライラしていた﹂若い人々の間から、新行動主義[*4]の洗練された研究パラダイムである﹁S-O-R図式﹂を利用しつつ、人間の精神活動という豊かな研究対象を﹁取り戻す﹂、いわば﹁一挙両得﹂を目指す動きが徐々に活発化してくる。
この﹁一挙両得﹂運動の背景には、第二次大戦を前にした、アメリカの情報工学、具体的には計算機開発や人工知能研究の発展があった。小さな体育館程の巨大な計算機がまるで﹁生きて考えている﹂ような迫力を持っていたことから、人間を﹁情報の受信・処理機﹂として理解していこうとするアプローチが生まれ、人工知能研究や、コンピュータを用いた実験研究法の発展と相互関連しながら、この﹁新たな心理学﹂の構想は急速に現実化していった。こうした新たな動きは、ヒクソン・シンポジウムをはじめとする、いくつかの会合を通じて一層の熱を帯び、ついに、ダートマス会議(1956)で﹁認知革命﹂という結実を見せた。この後、﹁新しい心理学﹂には、ナイサーという名付け親が現れ、﹁認知心理学﹂ と名づけられた(1967)。こうして認知科学の誕生は一段落を見せた。
以上を踏まえての語義
以上から、認知科学という用語は、誕生時の狭義に則せば、﹁新しい心理学﹂であった﹁認知心理学﹂と、計算機開発の一つの目標である﹁人工知能﹂に関する研究とである[*5]。
しかしながら、現在、認知科学という言葉は、より広義の意味で、すなわち、知的活動のメカニズムを解き明かす研究群を総称するために用いられることが多い。具体的には、上記2者に加え、先述の言語学(特に生成文法、認知意味論など)、神経科学[*6]、人文・社会科学(特に認知人類学など)、認知哲学(心や意識の哲学など)、さらに近年になり、生物科学や進化論などにも近接を始めている[*7]。従って、知的活動に関する、広い科学領域を指す言葉として、認知科学は用いられる。本文中の認知科学も、この広義の意味で用いられている。
認知科学史の6節
先述した通り、認知科学にはいくつものルーツがある。従って、単純な﹁一本線﹂として描くことはそもそも難しく、また、認知科学史を極めて貧相なものにしかねないが、以下の6節に分けることで、﹁わかりやすさ﹂と﹁豊かさ﹂とに出来るだけに近づける描写ができないだろうかと私は考える[*8]。6節は次の通りである。
●(1)古代ギリシャ~近世
●(2)近代~19世紀
●(3)20世紀前半
●(4)1960年~1980年
●(5)1980年~2000年
●(6)2000年~現在
今回は導入なので、各節を簡単に紹介し、記事を終えたい。
(1)古代ギリシャ~近世
古代ギリシャからニュートンやゲーテなどまで。期間が最もあるので、重要研究は数限りなくあるが、いくつか触れておけば、古代ギリシャ哲学、中世イスラム科学、錬金術、ルネサンスにおける科学思想の起こり、デカルト以来の心身問題、経験説と生得説、大陸合理論の特徴、カント以来の認識論、ニュートンらにおける知覚(特に視覚)論など。
(2)近代
経験科学の確立期である。ヘルムホルツ、フェヒナー、エビングハウス、ダーウィンらの、きわめて認知科学的な先駆的業績が重要である。また、19世紀科学の目標と理論傾向、そしてブントの心理学研究室の誕生が重要である。
(3)20世紀前半
先述した、行動主義の発展から認知革命まで。認知革命と、その実現までの背景が重要である。ノイマンやシャノン、ウィーナーらの情報工学・情報理論上の業績が重要である。また、この時期は、認知科学というよりも、実験心理学上の重要な古典的研究が非常に多い[*9]。また、哲学においては、論理経験主義を経て、ライルによる心の哲学も起こった。言語学や文化人類学の発展、構造主義の起こりも重要だ。
1960年~1980年
計算機理論によるアプローチが隆盛した時代である。つまり、知的活動をコンピュータの情報処理に見立てることによる理解が積極的に試みられた[*10]。代表的な研究者にマーなどが挙げられる。
(5)1980年~2000年
計算機理論に代わり、コネクショニズム[*11]と呼ばれるアプローチが注目され始める。計算機理論の特徴の一つに、入力情報が﹁直列﹂で処理﹁される﹂ということが挙げられるが、この考え方は、当時PET技術などを背景に大きく発展を見せ始めた脳神経科学と相性がわるかったのである。そこで、ラメルハートらによりPDP(並列分散処理)モデルが提案され、コネクショニズム世代の幕が開ける。
(3)~(5)について、認知革命~コネクショニズムという流れだけでは説明出来ない重要研究は少なくない。例えば、ギブソンにおける生態心理学の起こりなどである。これについてはミレニアム・プロジェクトなどを参考に紹介していくつもりである。
(6)2000年~現在
一言で言えば、現在の認知科学は、﹁環境﹂と﹁発達﹂の問題に今まで以上に積極的に向き合い始めている。計算機理論とコネクショニズムとは、いずれも知的活動を、﹁内﹂から、理解する試みであるが、こうした視点は、人間が﹁環境﹂という﹁外﹂を生き、考え学習していくという現実の姿を描くのに必ずしも十分な理論ではない。
実は、﹁環境﹂や﹁発達﹂を重視する研究姿勢は、(3)(4)の段階において既に、ピアジェやギブソンらによって提案されている。また、近年でも、人工知能研究と認知哲学の近接領域内で、ドレイファスらにより、積極的な批判が見られている。認知科学の現在の中心である認知神経科学は、ようやく、こうした提案・批判を受け入れるだけの準備が出来てきたように思われる。
現在は、進化心理学、生態心理学、認知発達心理学的研究や身体化、心の理論に関する研究などが、非常にホットになってきている。認知科学は、今後﹁環境﹂・﹁発達﹂と﹁認知﹂の相互作用を一層考慮し、よりダイナミックに、同時に緻密に知的活動を理解していくモデル作りをしていくことになるだろう。
以上のように、私のような素人目にも明らかだが、認知科学は、新しい段階に進む過渡期にさしかかっている。過渡期とは、見方を換えれば、過去への反省期でもある。今後、一層の認知科学史研究が望まれる。
註釈
*1 心における理性的な側面を指すために用いられる言葉。知に関する研究は、古くは、古代ギリシアにおけるプラトン著﹁メノン篇﹂に遡る。
*2 人間の行動を、刺激と反応という図式で数量化ないしは理論化し、人間行動の理解を試みる立場を一般に行動主義と呼ぶ。特に上記の立場を徹底した、心理学的立場を古典的行動主義心理学と呼ぶ。代表的な研究者にJ・B・ワトソンなど。新行動主義心理学については、註4を参照。
*3 補足をしておくと、当時の、行動主義的心理学は、一般に﹁風呂水と赤子を一緒に流した﹂ことは否めない。しかし、それだけで、同立場を闇に葬ることも、また﹁風呂水と赤子を一緒に流す﹂ことに他ならない。なぜなら、現在の、認知科学も、この行動主義の発想を多分に汲むからである。認知メカニズムの仮説 (﹁メンタル・モデル﹂) をいくら精緻に組み立てようと、﹁わたし﹂や﹁他者﹂の心は(あるかどうかも含め)わからないのだから、取りあえず数量化可能な﹁刺激﹂と﹁反応﹂に関するデータに基づいて、より﹁適切﹂な人間行動に関するメカニズムを組み立てていくしかない。こうした根本的な発想ないし立場は、認知科学も、当時の行動主義も変わりがないのである。
*4 古典的行動主義心理学は、S-R図式において、つまり、刺激(Stimulus)を与え、反応(Response)を得る実験を通じて、行動の記述と予測を行ったが、同一量の刺激に対しても、反応に個体差が発生することに関しての説明に不得手であった。そこで、新行動主義は、SとRの間に有機体O(Organism)を組み込み、S-O-R図式とすることで、個体差を考慮し、より柔軟に刺激と反応の関係を説明するための枠組みを設けた。より詳しくは、例えば、こちらの方のサイトのご説明などを参照のこと
*5 人工知能研究のみを認知科学とする見方もある。加えて、特に、現在の認知神経科学を中心とした認知科学と区別するために、当時の計算機理論による理解を中心とした時代の認知科学を古典的認知科学と呼ぶ場合もある。古典的認知科学と呼ばれる範囲は、6節の時代区分によれば、(3)~(4)に相当する。また、(5)以降で、コネクショニズムが台頭するからといって、計算機理論自体の有効性が全く消えてしまったわけでもない。認知科学に限らず、科学一般に言えるが、結局、どういったレベルの現象(認知科学では行動)を説明するかによって、適切な理論が異なるということである。
*6 特に、認知心理学的実験を行い、大脳生理学的なデータ等を採取し、知的活動に関する理論を作っていく分野を認知神経心理学と呼ぶ。また、認知神経心理学に、器質損傷患者などのケーススタディを含め、認知神経科学と総称される呼び方もある。時代区分によれば、(5)~で、現在も非常にホットな分野である。なお、神経科学自体の起源は19世紀にまで遡る。
*7 現在の認知科学のコアは、認知神経科学であるが、これは知的活動を、神経細胞などの生物科学的基盤で理解しようとする試みであり、心理学における生物学的還元主義の一端である。こうした還元はどこまで可能で意義があるのだろうか。こうした問題を巡っては、心の哲学と認知神経科学の境界領域が研究の対象とすることが多い。
*8 この記事で述べられているのは、認知心理学を中心とした歴史像である。認知科学の(思想)ルーツは既に挙げたとおりだが、心理学から見た歴史像と、言語学や人工知能研究から見た歴史像では一部かなり違うものとなるだろう。そもそも歴史はそういうもんだし。
*9 例えば、ストループ効果や、ゲシュタルト心理学の起こりなど、他にも重要なものが多数あるが、紙面というより、私のモチベーションの低さ(苦笑)の都合で割愛。
*10 コンピュータ以外にも﹁機械﹂がある中、なぜコンピュータが当時メタファーになり得たのか。2点挙げておく。1つには、単に新しい技術であったことである。心に関する理論は、フロイトの蒸気機関のメタファーをはじめ、各時代の最先端技術を利用する場合が多い。2点目は、こちらがより重要だが、コンピュータが﹁記号処理﹂をしていることが、目に見えてわかりやすい機械であったからである。1と0の演算処理で、プログラムで、精緻な計算処理過程(アルゴリズム)が確認可能なコンピュータは、人間の知的活動のモデルを精緻化する上で当時無二の存在であった。この点については詳しくは、土屋(1987)を参照のこと。
*11 単純に言ってしまえば、コネクショニズムは、ユニットの結合体からなる機能学習モデルを作り、神経心理学実験や、コンピュータ・シミュレーションで検証・改良を行い、知的活動を理解していこうとする立場である。ユニット同士の関係性を重視することからコネクショニズムと呼ばれる。ここでは、それ以上は述べない(図なしで説明するのは大変なので)。
参考文献
全面的な流れは、ガードナー﹁認知革命﹂(産業図書)に倣っているが、今田恵﹁心理学史﹂(岩波書店)を参照している箇所も一部ある。また、註釈の文中で挙げた土屋(1987)というのは、土屋俊、1987、認知科学の全体像、月間言語1987年4月号、特集﹁認知科学とは何か﹂大修館書店である。色々と参照していて、書くのが面倒なので上記だけに止めます。
という感じ。結構、ところどころぼかしているのは、私自身の不勉強と、面倒くさがりのためです。事実レベルで間違ってたり、文意が非常に、わかりにくかったら訂正はしたいと思ってますので、コメント頂ければ幸い。加えて、一部は図説や学者の似顔絵などを入れた方がいいのだろうなぁと思いつつ、面倒くさくてしてない。
htmlサイトは、5年がかりくらいで、マイペースでやっていこうと思う。というわけで、ネタの仕入れ期間とhtmlの勉強に、つまりは充電期間にしばらく入るのですが、悪しからずです。さらに他に優先してせにゃならんことが山ほどあるので(大人ってやだやだ)、htmlサイトも、色々とやりたいけど余り時間は割けないと思う。あまり期待はしないで下さい。