広島に原爆投下されてから、8月6日で70年を迎える。被爆者も高齢になり、当時の体験を語り継ぐことが困難になる中で、広島県に住む30代の女性がユニークな試みが注目を集めている。
彼女のペンネームは﹁さすらいのカナブン﹂︵以下、カナブン︶。仕事の傍ら、漫画を描いている。原爆投下時に、広島市内を走る路面電車の運転士だった祖母の体験を﹁原爆に遭った少女の話﹂という79ページの漫画にして、自身のサイト﹁Game&cG﹂で2012年から無料公開している。
この漫画で広く話題になった祖母の体験をNHKがドラマ化。﹁一番電車が走った﹂︵黒島結菜主演︶が、8月10日午後7時半に放送される。カナブンさんは、なぜ祖母の体験を漫画にしようと思ったのだろうか。カナブンさんに詳しい話を聞いた。
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﹁原爆に遭った少女の話﹂より
■﹁被爆者の絵を描いて﹂祖母から頼まれる
カナブンさんの祖母で、現在87歳の児玉豊子︵旧姓‥雨田豊子︶さんは、1943年に設立された広島電鉄家政女学校の1期生だった。出征による運転士不足を補うために設立された学校。給料をもらいながら女学校を卒業できるという触れ込みだった。運命の1945年8月6日、当時17歳だった豊子さんは、勉学の傍ら、運転士を務めていた。
広島港方面に電車を走らせていた時、爆心地から2.3kmの御幸橋の付近で原爆の閃光を浴びた。慌てて扉を開けた瞬間に、電車から投げ出された。気が付くと防空壕の中だった。他の人より軽傷だった豊子さんは、同じく運転士だったいとこ、増野幸子︵旧姓‥小西幸子︶さんを救助しながら、避難した。8月9日には、一部復旧した路面電車の運転をしている。
カナブンさんは子供のころ、豊子さんの腰マッサージをしていたときに、原爆投下前後の話をよく聞いていた。中学生のとき、豊子さんから﹁あんたは絵がうまいけえ、御幸橋の上で見た被爆者の絵を描いて﹂と頼まれたという。そのときの心情をカナブンさんは、こう振り返る。
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「そのときは、描けませんでした。技術もないし、見たことがないものは描けない。それに、たった一枚の絵で祖母の衝撃は伝えきれないでしょう。まず、見る人も『原爆の絵ね、はいはい』で流さないか…との懸念もありました」
漫画にすること思い立ったのは、成人してからだ。2011年に漫画製作用のPCソフト「ComicStudio」を導入したことがきっかけだった。趣味で漫画を描いていたこともあり、仕事や家事の合間に1年かけて、完成させた。15年ごしで願いがかなった豊子さんは「まー、よぉ描いてくれたのぉ」と喜んだという。
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﹁原爆に遭った少女の話﹂より
■﹁はだしのゲン﹂が怖くて読めなかった人でも
わざわざ戦争や原爆の話を書店で買う層は限られている……。でも、無料なら﹁ちょっと見てみようか﹂となるはず。そう思ってカナブンさんは、インターネットで無料公開した。反響は予想以上だったという。
﹁﹃原爆や戦争の話はあまり知らなかった﹄という声に、広島以外では平和学習にそれほど力をいれていないことを初めて知りました。﹃はだしのゲン﹄は怖くて読めなかったけど、この絵柄ならすんなり読めたという人もいました。﹃漫画だから﹄と興味をもって読んでくださる方が、多くいらっしゃいました。﹃読みやすかった﹄と感想を頂けた時はホッとしました﹂
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被爆者の描写については﹁はだしのゲン﹂︵中沢啓治︶などの既存の原爆漫画よりも、控え目になっている。そのため、若者でも気軽に読める内容になったようだ。戦時下でのラブロマンスや、女学生同士の交流なども生き生きと描かれている。
カナブンさんは漫画を描いていく中で、戦争や原爆投下について﹁何も知らなかった﹂と思い知らされたという。でも、声高なメッセージを作中に入れるのは避けた。当時の祖母の考えや行動を、なるべくありのままに描写しようと心がけたという。
﹁なぜ戦争が起きたか、どうして止められなかったか。祖母の口からはそんな話は出ません。それが普通で日常だったからです。当時の祖母︵女学生で一般人︶に知らされることも、できることも何もなく、目の前の仕事に向き合う毎日。そんな祖母の話ばかり聞いていて﹃原爆はダメだ﹄とは思っても、私の戦争の見方が変わったかというと… 。余計な思想が作品に入ってはいけないと思いました。体験談を漫画にして出したいなら、私はあまり知らないままでもいい、知らない方がむしろいいと思いました﹂
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「原爆に遭った少女の話」より
■さまざまなアプローチで「語り継ぐこと」が大事
戦後70年が経過し、戦争の体験を語り継ぐことが困難になってきているが、Web漫画という若者にもなじみやすいメディアで伝えるカナブンさんの試みは効を奏しているようだ。
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﹁手応えは感じていませんが、こうして私の漫画が記事になったり﹃一番電車﹄を調べる上で辿りついて、ラジオドキュメントやテレビドラマになったり、祖母の体験がまわりまわって注目され始めたのは﹃成功かな﹄と思いました。自分が聞いただけの体験から、周りの方がそれぞれの形で語ってくれる。一人で頑張るのではなく、誰かの手を借りて語り継がれていくことで、たとえ被爆体験をした方が亡くなった後でも﹃体験が生きる﹄形になっていくはずです。それぞれの形になったものに触れた方が、またいろいろなアプローチで、原爆の体験を伝えてくれたらいいなと思っています﹂
祖母の念願をかなえて漫画を完成させたカナブンさんは現在、被爆電車をテーマにした第2作目﹁ヒロシマを生きた少女の話﹂︵99P︶を執筆中だ。モデルになったのは、祖母のいとこで広島電鉄家政女学校の生徒だった増野幸子さん︵86︶。すでに下書きのものを公開しており、2016年中の完成を目指している。
︵※増野幸子さんのインタビュー記事を、8月9日に掲載しました︶
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