武士の発生と成立     坂本賞三の王朝国家体制論

国司の受難 




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  (842)
調便廿
   




p139)


(p140)

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150


 


  • 857年(天安1)には対馬で郡司らが「党類」300余人を率いて対馬守立野正岑ら17名を襲って殺す。
  • 8837
  • 884年(元慶8)には石見国の郡司らが「守の政策は法にそむく」と権守上毛野氏永(かみつけぬのうじなが)を襲撃拘禁し、国守の印と国衙正倉の鍵を奪って介(次官)の忍海山下(おしのみぬやましたの)氏則に渡したと言う事件も。(下向井p023)




便

9 

律令制とその崩壊」で、9世紀末の昌泰年間(898〜901年)に、播磨国衙が、百姓達が群党をなして収納使を「捕以陵礫」、郡司を威圧して税を納めないと訴えていることを紹介しましたが、もうひとつ、10世紀の事例ですが、『政事要略』にある946年(天慶9127日の官符には「昨為徒歩単衣之輩、今率之身肥馬軽裘、是養暴凶、称聚勇敢」と書かれています。「肥馬軽裘」は、「軽くて美しいかわごろもと肥えた馬。富貴な人の外出の時のいでたち」を表すそうです。
解りやすく意訳するとこんな意味でしょうか。

昨日までは一介の浮浪者に過ぎなかった下郎が、党類と結びついて、自分達じゃ勇敢なんて称しているけど、要するに凶暴さに磨きをかけて、今じゃ幹部級の富豪浪人になって上等なレザージャケットに身を包み、立派な馬にのってブイブイいわせています。はぁ、なんて世の中になっちまったんでしょう・・・

そしてそれは「横行村里、対捍宰吏、威脅細民」(『類聚三代格』 946年(寛3911日官符)と、お上にゃたてつくは、かといってロビンフットじゃ全然無いって代物です。

なんか、鎌倉時代末期の「悪党」の言われようを思い出しますね。あるいは近未来の、経済も社会秩序も崩壊したあと、革ジャンに銀色の鋲をカシガシ付けた、サングラスを掛けたモヒカン頭の凶暴なのが、散弾銃を肩にハーレーダビットソンなんかに乗って走り廻ってるってバイオレンス映画みたいな。

先の3例だけ見ると、農民にとっては支配階級内の内輪もめみたいにも見えますが、そればかりじゃなくて、被支配者階級の農民や、社会(律令)の枠からはみ出し、逃げ出したプータロウもかなりアグレッシブ。上からも下からも入ってくるアウトローな「群盗」「群党」「凶党」「賊党」「結党」「僦馬の党(しゅうばのとう)」は、「在地豪族層を主要構成員としながらも、留住貴族から土民百姓を含む広範な反律令勢力の連合組織」(戸田1968年p22)であることをその本質のひとつとしています。

それにしても、この時代の農民は結構自由で元気がありますね。もう少し経つと在地領主に押さえつけられますが。




966-1028   


200


×

 

実はこの藤原時平が主導した延喜新政は、国司に院宮王臣家と富豪層の結託を分断しつつ律令に則った国内支配を遂行していくことを基本理念としていたが、その実際は元来より送電し証拠文書が分明で、かつ国務を妨げる恐れのない事態については、新たな国司支配のもとで「合法性」を与えるものであった。この理念と実態(新たに再編された合法性)との使い分けこそ延喜新政の本質であった。(2004年版 『日本史講座3−中世の形成』 東京大学出版会 p18)


10902

太政官符す
 まさに勅旨開田ならびに諸院諸宮及び五位以上の、百姓の田地舎宅を買い取り、閑地荒田を占請するを停止すべきの事

 右、案内を検ずるに、このごろ勅旨開田遍く諸国にあり。空閑荒廃の地を占むるといえども、これ黎元の産業の便を奪うなり。しかのみならず新たに庄家を立て、多く苛法を施す。課責もっとも繁く、威脅耐え難し。かつ諸国の奸濫の百姓、課役を遁れんがために、ややもすれば京師に赴きて好みて豪家に属し、あるいは田地をもって詐りて寄進と称し、あるいは舎宅をもって巧みに売与と号し、遂に使に請ひて牒を取り封を加え旁を立つ。


使

  




8966

是れ故に或いは国司、文法に背き、以て方略を廻らし、正道を違り、以て権議を施す。ややもすれば己のためにせずと雖も、その事皆法を犯す。


 6 1974 p26







90229022



910p23



5  1972調
27  1974  1995(2008.1.4

 


調調





  

4



800



2/3





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9882118

尾張国郡司百姓等解し申し、官裁を請うの事
裁断せられんことを請う、当国の守藤原朝臣元命、三箇年の内に責め取る非法の官物、ならびに濫行横法三十一箇条の愁状

  • ( 1)裁断せられんことを請う、例挙のほかに三箇年の収納せる、加徴の正税四十三万千二百四十八束が息利十二万九千三百七十四束四把一分の事
  • ( 7)裁断せられんことを請う、交易と号して誣い取る絹、手作の布、信濃の布、麻布・漆・油・苧・茜・綿等の事
  • (16)裁定せられんことを請う、雑使等を入部せしめて責め取る所の雑物の事
  • (19)裁定せられんことを請う、馬津の渡りの船無きに依り、所部の小船並びに津の辺の人をもって渡し煩わしむるの事
  • (25)裁定せられんことを請う、下しおかれざる購読師の衣料並びに僧尼等の毎年の布施の稲万2千余束の事
  • (26)裁定せられんことを請う、守元命朝臣、庁の務無きにより、郡司百姓の愁を通じ難き事
  • (27)裁断せられんことを請う、元命朝臣が子弟郎等、郡司百姓の手より雑物等を乞ひ取るの事
  • (30)裁断せられんことを請う、守元命朝臣、京より下向する度毎に、有官・散位の従類、同じき不善の輩を引率するの事
  • (31)裁糺せられんことを請う、去る寛和三年某月某をもって諸国に下し給わるる九ケ条の官符の内に、三ケ条を放知せしめ、今六ケ条を下知せしめざるの事



  

6p292(19)31

19252



 1

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10412姿

 


8966



 

12調
  • 調
  • そこで自分の治田も貴族に勝手に寄進しちゃって「土地の所有者は国司じゃないから国司の臨時雑役なんてしらないよ!」と抵抗する。
  • 9322

1045



10452退 

荘園というのは土地所有の証拠書類があり、前任国司より前から代々の国司が国免荘として官物、あるいは雑役の免除を認めてきた実績のあるものである。それ以外は荘園ではない。












調

2

 6


910 

1040



12


調1998 p44調

p29

「私領主」による直接経営地を「私営田」といった。「私営田」は国家の直営田である「公営田」に対置されるものである。


使使


「名」支配が崩れたあとに「別名」が出現するのであって(p322)


p26

ひとつの「名」の広さは、一戸の農民の経営に適した面積という訳ではなく、負名田堵の実力に応じて小さいものも大きいものもあった。大きい「名」の中には数町から数十町におよぶいわゆる「別名」と呼ぶものもあった。


西p205



p46

 


19746












 



2007.10.23
2008.01.07
2009.09.12-28