世界が変わったのだから、デザインも変わらなければならない
環境の変化に応じて生物は振る舞いを変える。人間も寒ければ服を着こむし、音楽配信サービスが便利だと感じればCDは買わなくなる。最近だと写真はスマートフォンのカメラで事足りる、という人も多いのではないだろうか。
﹁世界が変わったのだから、デザインも変わらなくてはならない﹂。これはインターフェイス研究者・渡邊恵太氏の著書﹃融けるデザイン﹄の帯に書かれていた一文だ。世界が変わる瞬間というのは、ほとんど目撃することができない。 それは気づけばゆるやかに、しかしダイナミックに進行し、自分たちも変わらざるを得なくなっている。つねに相手が存在する、対話的な活動であるデザイナーという職業はまさに、そうした変動点にいるようだ。
どこまでがデザインという行為か
ウェブのデザインから始めて、ロゴマークやポスターなどのグラフィックデザイン、最近はスマートフォンのアプリケーションを設計する機会も増えてきた。それでも、20世紀の人々が定義できる範疇に収まっている種類の仕事ではあると思う︵最初のMacは1984年に出荷された。つまりユーザー・インターフェースのデザイナーは1980年代には少数ながら、立派な職業として存在していた︶。![](/mwimgs/7/5/650wm/img_75efd80f84cea95aaa0a39d66db3340e34006.jpg)
1984年に出荷された最初のMacintosh 128K
興味深いのは、そうした今までの定義から外れた仕事が増えてきたことだ。ウェブでの拡散に最適化された名称を考えることや、ソーシャルメディアの運用プランニング、スマートデバイスでの商品の購買への導線設計などは、10年前では頼まれるどころか、そうした職域が存在することすらなかったかもしれない。
どこまでがデザインという行為であるか。そうでないかはとても興味深く、それはウェブサービスの一般化やスマートデバイスの普及にともなう、科学と芸術の融合がもたらす環境の変化が、かつてないほど私たちを取り巻いている今だからこそ考えておきたいトピックだ。