千代田区立麹町中学校
東京都千代田区にある中学校
千代田区立麹町中学校(ちよだくりつこうじまちちゅうがっこう)は、東京都千代田区平河町に所在する区立中学校。
千代田区立麹町中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1947年4月1日 |
開校記念日 | 5月2日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C113210100011 |
中学校コード | 1301001 |
所在地 | 〒102-0093 |
外部リンク | 公式サイト |
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概要
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麴町地域唯一の公立中学校。﹁麹町中学校内申書事件﹂や﹃積木くずし﹄の舞台として知られる。通称は麹中︵こうちゅう︶。
麹町中学校は、六三制の新制中学校として昭和22年4月に設立され、旧・永田町小学校︵現千代田区立麹町小学校︶3階7教室にて発足した[1]。後に本校舎が建てられるが、その校地は﹁安田財閥の祖﹂安田善次郎の私有地を﹁庭に植えてあるソテツの木を枯らさない﹂との条件に寄贈を受けたものであり、現在までそのソテツは学校のシンボルとされている。初代校長には、理学博士有元石太郎が就任した。
1950~60年代、東京大学合格者数の全国一位は都立日比谷高等学校であった。その日比谷高校に多数の合格者を輩出してきたことから名門中学校としてしばしば名前が挙げられた。当時﹁千代田区立番町小学校→千代田区立麹町中学校→都立日比谷高校→東京大学︵番町→麹町→日比谷→東大︶﹂がエリートコースとされた[2]。そのため、以前から麹町中学校は多くの越境通学者を抱えており、また番町小学校・麹町小学校の2校が学区指定の進学先とすることから、これらへの越境者も言をまたない[3]。従って一般的な公立中学とは異なり経済的に恵まれた多種多様な生徒が集まる傾向が強い。
しかし、校舎建て替え後の2014年に工藤勇一︵現横浜創英中学校・高等学校校長︶が学校長に就任すると、子どもの自律を重視した教育改革に取り組み、宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止、校則の自由化など、従来﹁当たり前﹂とされてきたことを次々と覆した[4]。生徒が主体者として学校運営に関わっていく教育方針と自由な校風への理解が深まったことにより、区内小学校から就学する児童が急増し2020年︵令和2年度︶から越境入学の受け入れを完全に中止している[5][出典無効]。2020年3月の工藤の退任後、後任が2023年3月まで務めたのち、同年4月から堀越勉が学校長に就任すると、堀越は﹁大きな課題のある学校﹂と判断し[6]、指導方針を転換して工藤の行った改革の多くを元に戻す方向で検討されている[7]。
交通
編集周辺
編集著名な出身者
編集- あ行
- か行
- さ行
- た行
- は行
- ま行
脚注
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(一)^ ﹃二十年のあゆみ﹄東京都千代田区立麹町中学校 1967
(二)^ ﹃現代用語の基礎知識﹄自由国民社 1967
(三)^ ﹃高度成長期への証言 下﹄毎日新聞社エコノミスト編集部 日本経済評論社 1999
(四)^ “教育熱心な親が﹁人のせいにする子﹂を作るワケ”. 東洋経済オンライン (2019年9月11日). 2019年10月23日閲覧。
(五)^ “麹町中学の越境停止と中学校区選び”. 東京子育て研究所 (2019年12月13日). 2021年2月25日閲覧。
(六)^ 編集委員・宮坂麻子、森下香枝﹁﹁定期試験なし﹂の千代田区・麴町中、改革転換を検討 保護者に波紋﹂﹃朝日新聞﹄2023年8月3日。2024年6月12日閲覧。
(七)^ 堀越勉﹁校長塾 経営力を高める最重要ポイント︻第539回︼﹂﹃日本教育新聞﹄2024年4月1日。2024年6月12日閲覧。
参考文献
編集- 『二十年のあゆみ』東京都千代田区立麹町中学校 1967
- 『創立30周年記念誌 麹町』創立30周年記念誌委員会 1977,11
- 『創立四十周年記念』40周年記念誌委員会編 1989,11
- 『創立五十周年記念誌』東京都千代田区立麹町中学校 1998,3
関連項目
編集- 麹町中学校内申書事件
- 積木くずし
- 東京都中学校一覧
- 工藤勇一 - 2014年から2019年まで校長を務めていた