「二松學舍大学」の版間の差分
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『国漢の二松』『雀も松の枝に来て論語を囀る』と記された戦前の文献を提示してください。 |
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官公私立東京諸学校一覧にも掲載され[[1881年]]には二松學舍の塾生は300名を数えた<ref name="example">学校法人二松学舎 『二松学舎九十年史』 1967年、68頁</ref>。これは[[福澤諭吉]]の[[慶應義塾]]や[[中村敬宇]]の[[同人社]]などと肩を並べるほどであった<ref>[http://www.shidaikyo.or.jp/newspaper/online/2462/5_2.html 日本私立大学協会 教育学術新聞]</ref>。また[[本沢竹雲]]の[[格知学舎]]など[[漢学]]を専修する学校は当時多くみられたが次第に衰退し、現存するものは二松學舍のみとなった{{要出典|date=2012年3月|}}。 |
官公私立東京諸学校一覧にも掲載され[[1881年]]には二松學舍の塾生は300名を数えた<ref name="example">学校法人二松学舎 『二松学舎九十年史』 1967年、68頁</ref>。これは[[福澤諭吉]]の[[慶應義塾]]や[[中村敬宇]]の[[同人社]]などと肩を並べるほどであった<ref>[http://www.shidaikyo.or.jp/newspaper/online/2462/5_2.html 日本私立大学協会 教育学術新聞]</ref>。また[[本沢竹雲]]の[[格知学舎]]など[[漢学]]を専修する学校は当時多くみられたが次第に衰退し、現存するものは二松學舍のみとなった{{要出典|date=2012年3月|}}。 |
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『国漢の二松』『雀も松の枝に来て[[論語]]を囀る』などと謳われ伝統的に[[文学部]]が有名。[[国語]][[教員]]の養成に注力している。 |
『国漢の二松』『雀も松の枝に来て[[論語]]を囀る』などと謳われ{{要出典|date=2020年3月}}伝統的に[[文学部]]が有名。[[国語]][[教員]]の養成に注力している。 |
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旧字体の「舍」と新字体の「舎」を混同して、「二松学舎」などと表記されることが多いが、正しくは下に棒が出る旧字の「舍」を用いた「二松學舍」である。 |
旧字体の「舍」と新字体の「舎」を混同して、「二松学舎」などと表記されることが多いが、正しくは下に棒が出る旧字の「舍」を用いた「二松學舍」である。 |
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[[司法省法学校]]、[[陸軍士官学校]]などが当時、試験に漢文を用いたことから塾生には司法官や軍官が多かった。三島は書道興隆に尽力し、後書学院を創設した[[比田井天来]]は二松學舍に学んでいる。私立では数少ない書道専攻がある大学でもある。 |
[[司法省法学校]]、[[陸軍士官学校]]などが当時、試験に漢文を用いたことから塾生には司法官や軍官が多かった。三島は書道興隆に尽力し、後書学院を創設した[[比田井天来]]は二松學舍に学んでいる。私立では数少ない書道専攻がある大学でもある。 |
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『国漢の二松』『雀も松の枝に来て[[論語]]を囀る』などと謳われ<ref>{{Cite web|title=水木かおるコーナー | 二松学舎大学 図書館・資料室|url=https://www.nishogakusha-u.ac.jp/library/|website=二松学舎大学|accessdate=2020-03-10|language=ja}}</ref>、[[文学部]]が有名{{要出典|date=2012年3月|}}。[[国語]][[教員]]の養成に注力している。学生を舎生(しゃせい)、卒業生を舎友(しゃゆう)と呼ぶ{{要出典|date=2012年3月|}}。 |
﹃国漢の二松﹄﹃雀も松の枝に来て[[論語]]を囀る﹄などと謳われ<ref>{{Cite web|title=水木かおるコーナー | 二松学舎大学 図書館・資料室|url=https://www.nishogakusha-u.ac.jp/library/|website=二松学舎大学|accessdate=2020-03-10|language=ja}}</ref>{{出典無効|date=2020-03-14}}、[[文学部]]が有名{{要出典|date=2012年3月|}}。[[国語]][[教員]]の養成に注力している。学生を舎生(しゃせい)、卒業生を舎友(しゃゆう)と呼ぶ{{要出典|date=2012年3月|}}。
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当時の様子は[[夏目漱石]]の『落第』に記されている。夏目漱石と三島中洲の弟子であり後に二松學舍の校長となる[[山田済斎]]は同年の1867年生まれで、ともに二松學舍で三島に学んでいる。 |
当時の様子は[[夏目漱石]]の『落第』に記されている。夏目漱石と三島中洲の弟子であり後に二松學舍の校長となる[[山田済斎]]は同年の1867年生まれで、ともに二松學舍で三島に学んでいる。 |
2020年3月14日 (土) 00:55時点における版
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二松學舍大学 | |
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![]() 二松學舍大学九段校舎 | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1877年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人二松學舍 |
本部所在地 | 東京都千代田区三番町6-16 |
キャンパス |
九段(東京都千代田区) 柏(千葉県柏市) |
学部 |
文学部 国際政治経済学部 |
研究科 |
文学研究科 国際政治経済学研究科 |
ウェブサイト | https://www.nishogakusha-u.ac.jp/ |
概観
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f5/Mishima_Ch%C5%ABsh%C5%AB_03.jpg/190px-Mishima_Ch%C5%ABsh%C5%AB_03.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/38/Eiichi_Shibusawa.jpg/190px-Eiichi_Shibusawa.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/Kaneko_Kentaro_1-1.jpg/190px-Kaneko_Kentaro_1-1.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e9/Shigeru_Yoshida_suit.jpg/250px-Shigeru_Yoshida_suit.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/Inukai_Tsuyoshi.jpg/190px-Inukai_Tsuyoshi.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e5/Takeo_Fukuda_1977_adjusted.jpg)
大学全体
二松學舍は、1877年に三島中洲が東京麹町一番町︵現東京都千代田区三番町︶に開いた漢学塾にはじまる。二松の名は不変の節操、堅貞を象徴する松の木が庭に二本あったこと、また韓愈﹃藍田県丞庁壁記﹄によれば学び舎としての意味を持ち、学舍として後の世まで続くことを願い名付けられた[1]。 官公私立東京諸学校一覧にも掲載され1881年には二松學舍の塾生は300名を数えた[2]。これは福澤諭吉の慶應義塾や中村敬宇の同人社などと肩を並べるほどであった[3]。また本沢竹雲の格知学舎など漢学を専修する学校は当時多くみられたが次第に衰退し、現存するものは二松學舍のみとなった[要出典]。 ﹃国漢の二松﹄﹃雀も松の枝に来て論語を囀る﹄などと謳われ[要出典]伝統的に文学部が有名。国語教員の養成に注力している。 旧字体の﹁舍﹂と新字体の﹁舎﹂を混同して、﹁二松学舎﹂などと表記されることが多いが、正しくは下に棒が出る旧字の﹁舍﹂を用いた﹁二松學舍﹂である。建学の精神︵舎訓︶
二松學舍にある﹃育英﹄の精神は、西洋文化の摂取を汲々としている時節を憂えた三島が、東洋文化を学ぶことこそわが国本来の姿を知りえるとして﹃己ヲ修メ人ヲ治メ一世ニ有用ナル人物ヲ養成スル﹄ことで東洋学の確立と新時代を担う国家有為の人材の育成を目指したことにある。教育および研究
2学部、2研究科を設置。教員免許の他、司書や学芸員の資格が取得できる。学風および特色
司法省法学校、陸軍士官学校などが当時、試験に漢文を用いたことから塾生には司法官や軍官が多かった。三島は書道興隆に尽力し、後書学院を創設した比田井天来は二松學舍に学んでいる。私立では数少ない書道専攻がある大学でもある。 ﹃国漢の二松﹄﹃雀も松の枝に来て論語を囀る﹄などと謳われ[4][出典無効]、文学部が有名[要出典]。国語教員の養成に注力している。学生を舎生(しゃせい)、卒業生を舎友(しゃゆう)と呼ぶ[要出典]。 当時の様子は夏目漱石の﹃落第﹄に記されている。夏目漱石と三島中洲の弟子であり後に二松學舍の校長となる山田済斎は同年の1867年生まれで、ともに二松學舍で三島に学んでいる。沿革
略歴
二松學舍大学は、三島中洲が東京府麹町区一番町43番地︵現在の東京都千代田区三番町︶の私邸内に1877年(明治10年)10月10日に創設した漢学塾を起源とする大学である。これまでは1・2年次は柏キャンパスを、3・4年次は九段キャンパスを使っていたが柏キャンパスは交通の便が悪く[要出典]、またこれまでダブルキャンパスによる問題を抱えていた[要出典]ため、2009年に大学機能を九段に集約し4年間をすべて九段キャンパスで過ごせることとなった。年表
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Yamada_Hokoku_portrait.jpg/180px-Yamada_Hokoku_portrait.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Calligraphy_of_Yamada_Houkoku.jpg/180px-Calligraphy_of_Yamada_Houkoku.jpg)
基礎データ
所在地
●九段キャンパス︵東京都千代田区三番町︶ ●柏キャンパス︵千葉県柏市大井︶象徴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1b/Gthumb.svg/180px-Gthumb.svg.png)
徽章
●校章は相対した松葉の真ん中に﹁二松學﹂と描かれたもの。スクールカラー
●二松學舍大学のスクールカラーは 松葉緑■である。これは松の葉のような色で、平安時代からの色名である。長寿と不変のシンボルである松[要出典]は、縁起のいい物[要出典]とされ、その葉色の松葉色も、めでたい色とされてきた[要出典]。校歌
学生歌
二松學舍大学学生歌︵作詞‥森本治吉、作曲古関裕而︶ 二松學舍歌︵山田準︶教育および研究
組織
学部
●文学部 1949年設置 文学部は、1949年の大学設置当初から存在する二松學舍大学の中ではもっとも古い学部である。 ●国文学科 国文学科は、大学設立時から現在まで残る学科である ●国文学専攻 ●日本文化専攻 ●映像・演劇・メディア専攻 ●比較文学・文化専攻 ●日本語学専攻 ●中国文学科 中国文学科も、大学設立時から現在まで残る学科である ●中国文学専攻 ●書道専攻 ●日本漢学専攻 ●韓国語専攻 ●中国語専攻 ●比較文学・文化専攻 ●国際政治経済学部 1991年設置 ●国際政治経済学科 ●国際政治専攻 ●国際経済専攻 ●法行政専攻 各学部・学科とも2年次より以上の専攻に分かれる。 なお、比較文学・文化専攻は、文学部共通の専攻である。大学院
●文学研究科 ●国文学専攻 博士前期課程・後期課程︵昼夜開講制︶ ●中国学専攻 博士前期課程・後期課程︵昼夜開講制︶ ●国際政治経済学研究科 ●国際政治経済学専攻 修士課程︵1年制・2年制︶ ●東アジア経済・ビジネスプログラム︵平日夜間・週末昼間開講︶附属機関
●図書館 ●二松學舍大学附属図書館 ●大学資料展示室 ●研究所 ●東アジア学術総合研究所 ●日本研究部 ●中国研究部 ●韓国研究部 以上の三研究部は東洋学研究所︵1988年設置︶が源流 ●陽明学研究部 1988年設置の陽明学研究所が源流 ●漢字文献資料研究部 2002年設置の国際漢字文献資料センターが源流 ●国際政治経済研究部 ●センター ●教職支援センター ●国際交流センター ●キャリアセンター ●情報センター ●研究会 ●二松學舍大学人文学会 ●二松學舍大学国際政経学会 ●二松詩文会 ●二松短歌会 ●二松俳句会研究
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、1件のプログラムが採択されている。 ●2004年 革新的な学術分野 日本漢文学研究の世界的拠点の構築教育
学校生活
学園祭
学園祭は﹁学舎祭﹂と呼んでいたが、2002年から﹁創縁祭﹂と名称を変更した。毎年11月3日頃に九段キャンパスで開かれている。部活動・クラブ活動・サークル活動
13の体育系クラブと15の文化系クラブ、それに複数のサークルが活動している。主に柏キャンパスでの活動が多い。大学関係者と組織
大学関係者組織
松苓会
松苓会は二松學舍専門学校・大学の卒業生、大学院の修了者を正会員としている同窓会組織。﹃松苓﹄とは、中洲の七言絶句﹃多産茯苓医世弊﹄の﹃茯苓﹄からとられている[要出典]。茯苓は和名をまつほどといい漢方薬に用いられる。卒業生は、一世の木鐸となり、時弊を医正する人中の茯苓でなければならぬ、と専門学校校長山田準によって命名された[要出典]。二松學舍大学後援会
二松學舍大学の教育研究の特色である国文学及び中国学︵哲学・思想・歴史・文学︶研究、アジア太平洋地域政治経済研究を支援することを主目的として設立。その他
二松學舍サービス︵株︶大学関係者一覧
●二松學舍大学の人物一覧施設
キャンパス
九段キャンパス
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Kudanshita_eki_1.jpg/220px-Kudanshita_eki_1.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Nishogakusha_University_02.jpg/220px-Nishogakusha_University_02.jpg)
柏キャンパス
●使用学部‥不定。体育の実技科目や一部の科目履修時に使用。[5] ●使用研究科‥大学院国際政治経済学研究科︵一部︶。 ●交通アクセス JR常磐線・東武野田線 柏駅下車、東口の企業バス乗降場︵バスのりば6︶よりスクールバス15分 JR常磐線 我孫子駅下車、北口のスクールバ乗降場よりスクールバス20分 日本における学生カバディの発祥の地である。[6]同キャンパスの隣に二松學舍大学附属柏中学校・高等学校がある。学生食堂
九段キャンパス最上階にあるレストラン、﹁ファカルティラウンジ﹂は一般の利用が可能。安価で質の高い料理は複数のマスメディアに紹介された[7]。14種類のドリンクバーもあると、2011年7月22日(金)テレビ東京レディス4で紹介された。講堂
九段キャンパス内には中洲記念講堂があり、各種式典などに利用されている。寮
柏市内に4つの二松生専用学生マンションを持つ︵委託︶。対外関係
地方自治体との協定
●千代田区内大学と千代田区の連携協定 ●大妻女子大学 ●共立女子大学・共立女子短期大学 ●上智大学 ●専修大学 ●東京家政学院短期大学 ●東京電機大学 ●日本大学 ●日本歯科大学 ●法政大学 ●明治大学他大学との協定
小学校教員養成特別プログラム︵二種︶ ●玉川大学︵玉川大学通信教育部︶ 今まで二松學舍大学では小学校教諭免許を取得することが不可能であったが、この協定により取得可能になった。海外協定校
![中華人民共和国の旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fa/Flag_of_the_People%27s_Republic_of_China.svg/25px-Flag_of_the_People%27s_Republic_of_China.svg.png)
![中華民国の旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/Flag_of_the_Republic_of_China.svg/25px-Flag_of_the_Republic_of_China.svg.png)
![大韓民国の旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/Flag_of_South_Korea.svg/25px-Flag_of_South_Korea.svg.png)
![オーストラリアの旗](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Flag_of_Australia.svg/25px-Flag_of_Australia.svg.png)