条約改正
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条約改正とは、江戸時代後期の幕末から明治にかけて日本と諸外国との間で結ばれた不平等条約を改正するための外交交渉の事である。
江戸時代後期にたびたび日本へ来航して鎖国を行う日本に通商や国交を求める諸外国に対し、江戸幕府は1859年(安政4)に安政五カ国条約(アメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスとの通商条約)を結ぶ。五カ国条約は関税自主権が無く、領事裁判権を認め、片務的最恵国待遇条款を承認する内容であった。幕府が朝廷の勅許無しに結んだ諸外国との条約は国内において尊皇攘夷運動、討幕運動の激化を招く。江戸幕府は王政復古により消滅し、薩摩藩、長州藩を中心に成立した明治政府は幕府が行っていた外交を継承し、岩倉使節団を派遣して改正の打診を行う。1878年(明治11)には外務卿寺島宗則がアメリカと税権回復の新条約を調印するが、イギリスの反対で挫折する。
1885年(明治8)に内閣制度が発足して太政官制度が廃止されると、条約改正は明治憲法制定と同時平行で取り組まれ、井上馨は東京において諸外国の使節団と改正会議を行うが、1887年の辞任で中止される。その後条約改正は大隈重信、黒田清隆、青木周蔵、榎本武揚らが引き継ぎ、外国への譲歩に対する世論の反対などもあり難航した。外相陸奥宗光は1894年の日清戦争直前に日英通商航海条約を調印させ、治外法権制度を撤廃させる。外相小村寿太郎は1911年(明治44)に日米修好公開条約を調印させ、税権回復を実現させる。