沢庵漬け
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Takuan_by_-puamelia-.jpg/220px-Takuan_by_-puamelia-.jpg)
沢庵漬け︵たくあんづけ︶は、大根の漬物である。主に日本で食べられる。たくあん、たくわんなどとも呼ばれる。大根を干して糠に漬けたものや、大根を干さずに塩漬けにしたものや調味液に漬けたものなど製法によって栄養価や食感、色や風味も異なる。
発祥
諸説あるが、江戸時代、臨済宗の僧・沢庵宗彭が考案した[1]という説がある。沢庵は紫衣事件で出羽国に流罪となり、春雨庵︵山形県上山市︶に隠遁したが、付近住民の差し入れた大量の大根を干して漬け込み、保存食にしたといい、現在、春雨庵境内には﹁沢庵漬名称発祥の地碑﹂がある。 その後、江戸に戻った沢庵が創建した東海寺では﹁初めは名も無い漬物だったが、ある時徳川家光がここを訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、﹃名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし﹄と言った﹂と伝えられている。異説として沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説もある。なお東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、沢庵ではなく﹁百本﹂と呼ぶ。 また別の説によると、元々は﹁混じり気のないもの﹂という意味の﹁じゃくあん漬け﹂、あるいは、﹁貯え漬け︵たくわえづけ︶﹂が転じたとも言われている[2]。 この大根の漬物は、18世紀に江戸だけではなく京都や九州にも広がり食べられていた[3]。 また、比叡山には元三大師こと慈恵大師良源︵912年-985年︶が平安時代に考案したとされる﹁定心房︵じょうしんぼう︶﹂と呼ばれる漬物が伝えられており、これを沢庵漬けの始祖とする説[4]もある。これは丸干しした大根を塩と藁で重ね漬けにしたものであった[5]とされるが、現在﹁定心房たくあん﹂として販売されているものは一般的な糠漬けの沢庵である。製法
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伝統的な製法では、大根を数日から数週間天日に干し、手で曲げられる程度にまでしなびた大根を、容器に入れて米糠と塩で1~数か月漬ける。風味付けの昆布や唐辛子、柿の皮などを加えることもある。
大根を日干し、塩を加えて漬けて水分を減らす事によって大根本来の味が濃縮され、塩味が加わり、米糠の中に存在する麹がデンプンを分解して生ずる糖分によって甘味が増すとともに、徐々に黄褐色へ染まっていく。
現在商品として流通している大多数の沢庵漬けは、日干し大根の代わりに塩や糖液に漬けて水分を除いた塩押し大根や糖絞り大根を使用することが多く、伝統的な沢庵とは食感や風味が異なる︵それぞれ塩押し漬、糖絞り漬などとして区別されることもある︶。また、甘味料やうま味調味料などを配合した調味液で調味したり、人工着色料で色づけしたりといった加工がされることもある。これは時代が下るにつれて消費者の嗜好がより甘く低塩分な漬物を求めるようになった事、また大量生産、コスト削減の為に製造工程の短略化を図った事等の帰結である。その一方で、三浦半島や三重県伊勢地方、徳島県などでは、伝統的製法による沢庵が今なお商品として生産されており、付加価値が付いた名物となるとともに一定の需要を得ている。また、紀の川漬のように米糠に代えて麦のふすまを用いるものもある。
伝統的な糠漬けでは、米糠の中に含まれる枯草菌の産出物によって、ダイコンは徐々に芯まで黄色から褐色に染まる。しかし、菌の作用は地域や環境によって異なるため、沢庵の色を統一しにくく、また味などの商品の品質も不安定になる。したがって今日大量生産される商品では、糠漬けであってもウコンやクチナシの色素を加える事で画一的に黄色く着色したものが主流になっている。
八百屋などで10~20本の沢庵漬け用の干し大根が販売されている。しかし、梅干やキュウリなどの糠漬とは異なって数本程度の少量で漬け込む事は困難で漬け込む際の匂いを敬遠する事もあり、沢庵を漬ける家庭はそれほど多くはない。
高知では暖かい土地柄で発酵が進みやすく、糠漬けなどはすぐに酸っぱくなってしまう。そのためか沢庵漬けなどはあらかじめ酸味を添加してある物があるほどである[6][7]。
料理
多くは、糠から取り出したダイコンを水洗いして、糠を落とし、薄切りにして食べる。ご飯のおかずとして食べたり、お茶請けとしても用いられる。千切りにして仕出し弁当の添え物などに用いられることもある。 日干し大根を用いた伝統的な製法の沢庵では、古くなった場合、塩抜きして油いためにしたり、煮物などの料理に使用することがある。 なお、以前たくあんに油分を加えて中華風に味付けしたものを、桃屋が﹁根菜﹂として瓶詰めにして販売していたが、製造終了となっている。新香巻︵しんこまき︶
海苔の上に酢飯を乗せ、その上に細切りにした具を乗せて巻き簾を使用して細巻きにした海苔巻き寿司。二等分に切り、さらに二等分もしくは三等分に切って盛り付ける。いぶりがっこ
﹁いぶし沢庵﹂とも呼ばれる。秋田県では、二十日間いぶし続けて燻製にしたダイコンを漬けたもの︵沢庵を燻製にするのではなく、燻製にしたダイコンを漬けたもの︶をいぶりがっこと称し、伝統的に食べられている[8][9]。遠州焼き
遠州焼きとは、静岡県西部を中心とする地域のお好み焼き。小麦粉、鶏卵の生地に、地元の三方原大根などで作った沢庵を刻んで加え、豚肉、イカなどとともに焼くもの。キャベツは必ずしも入らない。ソース風味のものと、醤油風味のものがある。遠州焼きという名称は他地域の人によるもので、地元では単にお好み焼きと呼ばれている。サラダパン
滋賀県長浜市では﹁サラダパン﹂と呼ばれる、マヨネーズで和えたたくあんの細切りを挟んだ惣菜パンが製造販売されている。 その他 江戸時代、湯漬けの添え物としてよく用いられた︵戦国期より武士の常食として湯漬けが常となり、戦中食としては梅干しが用いられたが、江戸期に入り、より安価な沢山漬けが普及したため︶。 古漬けは水で洗って刻んで炒め物や茶漬けの具として使われている。沢庵の枚数
和食料理店などで、おかずの一品として沢庵が二切れ付いてくる事がよくあるが、この沢庵を二切れ出すという習慣は、江戸時代から始まったといわれている。 侍が世の中の中心だった江戸時代、沢庵はおかずに欠かせない定番で、当時、侍に沢庵を一切れ、もしくは三切れだけ出すのはタブーだった。それは、一切れは﹁人斬れ﹂に通じ、また三切れは﹁身斬れ︵腹を切れ︶﹂に通じると言われていたためである。そこから、沢庵を二切れ出すという習慣が生まれたという。ただしこの理由は江戸を中心とした武家政権が確立された地区の習慣だとする説もある。 関西では沢庵付けを三切れ出す事は縁起を担ぐ︵三方︶ものとされ、関西の丼専門店ではあえて三切れの沢庵付けを出す店もある。 日本の刑務所では、沢庵の量は1人当たり25グラム前後である[8]。 自衛隊の戦闘糧食として採用されている﹁たくあん漬缶詰﹂︵1食分︶は、固形量55グラムの規格である。︵平成27年現在︶[10]日本国外の沢庵
台湾
日本の統治が長かった台湾にも沢庵漬けがあり、年配者は日本語のまま﹁タクアン﹂とも呼ぶが、一般的には台湾語で﹁鹹菜脯︵キャムツァイポー︶﹂と呼ばれ、現在も根付いている。﹁菜脯﹂は本来、台湾、福建、広東潮汕地区に見られる干し大根︵蘿蔔乾︶を用いた漬物であり、本来は単なる塩漬けに近いものだが、黄色く染め、甘みを加えた日本式の沢庵も同じ名前で親しまれている。薄切りにした﹁鹹菜脯﹂は、折り詰め弁当のおかずのひとつとして、また、刻んだ煮こみ豚ばら肉乗せご飯の﹁滷肉飯﹂や、嘉義七面鳥肉飯などのご飯料理の定番の付け合せとして親しまれている。さらに、刻んだ沢庵は、卵焼きに混ぜて﹁菜脯卵 ツァイポーヌン﹂︵干し大根で作ることもある︶としたり、春巻の具のひとつとするなど、料理の材料としても用いられている嘉義県布袋鎮の名物である。日本が統治していた当時は、徳島県などから供給されていたというが、現在は台湾現地産や中国産が主流となっている。韓国
韓国には日本統治時代に沢庵漬けが持ち込まれた。﹁日帝の持ちこんだもので良かったものは、沢庵だけ﹂という格言があるほど韓国社会に受容され、現在では広く普及している。一般的には﹁タンムジ﹂︵﹁甘い大根の漬物﹂の略︶と呼ばれるが、日本語のたくあんが朝鮮語式発音に変わった﹁タカン﹂と呼ばれることもある。味は甘酸っぱい傾向があるもののほぼ同じ。また韓国では中華料理店でチャジャンミョンに添えられて提供されることが一般的である。加えて日本料理店のみならず、洋食を供するレストランでも沢庵漬けが出されることがあるが、これは洋食そのものが日本から伝わったものであるために定着した現象である。中国
中国において、大根の漬け物は﹁鹹蘿蔔﹂と呼び、各地で作られているが、一般には日干しした大根の他に塩だけを用い、2度漬け込みするか、2度めに唐辛子を加えて辛い味を付けるものがほとんどである。このため、色は白または赤いものとなる。江南地域では、日本のたくあんのような甘口の﹁蘿蔔乾﹂︵例えば、常州蘿蔔乾︶も存在する。臭い食べ物の代表例
沢庵は発酵により、外国人など馴れていない者が臭気とも感じる特有のにおいがある。イザベラ・バードは著書の﹁日本紀行﹂で、﹁誰かがこれを食べているときは、同じ家のなかにいられないほどで、これよりひどい臭いはスカンクしか無い﹂と描写している。 臭い食べ物の代表例︵食べ物の臭さの﹁順位付け﹂ではない︶[11]![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
Au: アラバスター単位、におい成分の成分量の単位である。においの強弱は、におい成分毎にヒトの感覚閾値との相乗値で評価され、純粋な﹁においの単位﹂ではない。
戦中・戦後の沢庵
第二次世界大戦中は、沢庵にも公定価格が導入され、戦後もしばらく続けられた。価格は季節ごとに変動し、冬場は100匁あたり3円60銭、夏場は100匁あたり7円10銭と差が付けられていた︵昭和22年9月改定後、東京都など大消費地の価格︶。また早づけ沢庵と塩漬け大根の価格は、沢庵とは別に設定されていた[12]。参考文献
(一)^ 守貞漫稿・物類称呼
(二)^ 宮武外骨 編﹃日本擬人名辞典﹄成光館、1930年、30頁。
(三)^ ﹁料理網目調味抄﹂・﹁物類称呼﹂
(四)^ ﹃街道をゆく16 叡山の諸道﹄司馬遼太郎
(五)^ ﹃タクアンかじり歩き﹄妹尾河童
(六)^ 妹尾河童著﹃タクワンかじり歩き﹄
(七)^ 日本経済新聞 2000年11月から2010年3月まで掲載﹁食べ物 新日本奇行﹂より
(八)^ ab妹尾河童﹃河童のタクアンかじり歩き﹄文藝春秋︿文春文庫﹀、1992年。ISBN 4167535025。
(九)^ いぶりがっこ郷土料理ものがたり 2020年2月13日閲覧
(十)^ “防衛省仕様書改正票 たくあん漬缶詰” (PDF). 防衛省. 2020年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
(11)^ 昭文社-なるほど知図帳2009﹁世界﹂51ページ。上記データを監修した東京農業大学教授小泉武夫の使用済み靴下は 120 Au であった。
(12)^ ﹁ツケモノ等値上げ﹂﹃朝日新聞﹄昭和22年9月11日.2面
関連項目
外部リンク
- 歴史と日本各地の沢庵 - 東京中央漬物株式会社