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補陀落︵ふだらく、梵: Potalaka︶は、観音菩薩の降臨する霊場であり[1]、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である[2]。その山の形状は八角形であるという[3]。インドの南端の海岸にあるとされた[3]。補陀落山︵ふだらくせん︶とも称す[3]。
﹁補陀落﹂は、サンスクリット語︵梵語︶のポータラカ (Potalaka) の音訳である[3]。他の音写には補怛洛伽、普陀洛、普陀落など多数がある[要出典]。義訳は光明山、海島山、小花樹山など[3]。英語では、Mount Potalaka と呼ばれる[要出典]。
補陀落は実叉難陀訳﹃大方広仏華厳経﹄﹁入法界品﹂、般若訳﹃大方広仏華厳経﹄﹁入法界品﹂、﹃千手経﹄、﹃陀羅尼集経﹄2など、多数の経論に見られる。﹃陀羅尼集経﹄の註によると海島ともいい、﹃大唐西域記﹄によると南インドの海浜の山の東にあるという[4][要出典]。八角の形状をした山であるといわれる[3]。興福寺の南円堂の円形はこれを模している。
玄奘は﹃大唐西域記﹄巻第十で、補陀落︹布怛落迦︺山は南インドのマラヤ︹秣剌耶︺山の東にあると記している︵マラヤ山はケーララ州のカルダモン丘陵に当たるとされる︶[5]。その場所を特定しようとする試みや研究もあり[2]、スリランカがあてられることもあった。彦坂周はタミル・ナードゥ州南端のポディイル山に比定した[6]。観音信仰が隆盛になると霊地として﹁補陀落﹂の名称が各地で広まった[2]。特に中国では現在の浙江省にある舟山群島を補陀落︵普陀山︶として遠隔地にまで観音信仰が広がった。
また、日本でも熊野や日光が補陀落になぞらえられ、信仰を集めた。なお、日光という地名は、補陀落~二荒︵ふたら︶~二荒︵にこう︶~日光となったという説もある[2]。中世には、観音信仰に基づき、熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す、﹁補陀落渡海﹂が盛んに行われた。
なお、チベットも観音信仰の地として知られるが、ラサにあるポタラ宮の名も、サンスクリット語の﹁ポータラカ﹂に由来する[2]。