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近藤日出造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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近藤 日出造
本名 近藤 秀蔵[1][2]
生誕 1908年2月15日[1][2]
日本の旗 日本長野県更級郡稲荷山町[2]
死没 (1979-03-23) 1979年3月23日(71歳没)[1][2]
東京都中野区[1][2]
職業 漫画家
活動期間 1928年 - 1979年
ジャンル 政治漫画
テンプレートを表示

  1908215[1][2] - 1979323[1][2] [1][2]

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190841[2][2][2]稿[4]1928[4]稿[2]

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1938退194015[2][4][4]

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197449 [2]

197550 23[2]


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1949424 195671950[10]


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著書

単著
  • 家庭科学漫画(東栄社 1942)
  • 日出造膝栗毛(文藝春秋新社 1954)
  • やァこんにちは 第1‐2集(読売新聞社 1954)
  • 恐妻会(朋文社 1955)
  • 絵のない漫画(鱒書房 1956)
  • 海道うらばなし(六月社 1958)
  • 孫子の兵法(読売新聞社 サラリーマン・ブックス 1962)
  • 金 欲の皮の人間学(読売新聞社 サラリーマン・ブックス 1963)
  • にっぽん人物画 正・続(オリオン社 1964)
  • 安保がわかる(漫画社 1969) - 自民党国民協会に80万部を売り上げたことが、体制派漫画家として学生運動家らから非難を浴びた[要出典]
  • 人の顔はなにを語るか(実業之日本社 ホリデー新書 1970)
共著編
  • 漫画研究資料講座 第2輯 漫画デツサン論(矢部友衛共著 日本漫画研究会 1935)
  • 模範産業戦士訪問記(共著 東京産業報国会編 漫画社 1943)
  • わが青春の懺悔録(編 雪華社 1958)
  • この道ばかりは(杉浦幸雄共著 実業之日本社 1960)

メディア出演

テレビ
  • 雨・風・曇(日本テレビ 1956) - 司会
  • 春夏秋冬(日本テレビ 1959) - 司会

出典

  1. ^ a b c d e f g 近藤日出造 コトバンク - 典拠は『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』『デジタル大辞泉』『百科事典マイペディア』『デジタル版 日本人名大辞典+Plu』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 近藤日出造 千曲市ふる里漫画館
  3. ^ 手塚治虫「マンガの描き方」光文社(1977)131頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 寺光忠男『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』 毎日新聞社、1990年 pp.10-20「新漫画派集団の誕生」
  5. ^ a b c 『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』pp.35-40「焼け跡から」
  6. ^ 「マンガ家を原発推進CMにかつぎ出す『漫画社』の正体」『図説危険な話』コミックボックス編集、ふゅーじょんぷろだくと、1989年、p.48
  7. ^ 長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』清流出版、2004年、p.277
  8. ^ インタビュアー高瀬毅「まんが家に聞く 原発についてのさまざまな思い」『COMIC BOX』1990年1月号、pp.38-39
  9. ^ 千曲市ふる里漫画館
  10. ^ 茨木正治(編)『マンガジャンル・スタディーズ』 臨川書店、2013年 pp.192-219 雑賀忠宏「『マンガ』を描くことと『マンガ家』 ――職業としての『マンガ家』像をめぐって――」

外部リンク