サウジアラムコ
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種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | タダウル 2222 |
本社所在地 |
サウジアラビア ダーラン |
設立 | 1933年 |
業種 | 石油・ガス |
事業内容 |
石油・天然ガスの探査、開発および生産 関連するパイプライン、輸送および加工業務 原油、石油および化学品の供給や取引、精製、販売および輸送 |
代表者 |
ヤセル・ルマイヤン会長 アミーン・H・ナーセル社長兼CEO |
売上高 | US$535.188 billion (2022)[1] |
営業利益 | US$305.087 billion (2022)[1] |
純利益 | US$161.068 billion (2022)[1] |
従業員数 | 70,496[1] |
主要株主 |
サウジアラビア政府 (90.19%)[2][3] パブリック・インベストメント・ファンド (4%) Sanabil (4%)[4] |
外部リンク |
www |
サウジアラムコ︵英語: Saudi Aramco、アラビア語: أرامكو السعودية Aramku al-Saūdīyah︶は、サウジアラビア王国の国有石油会社である[5]。保有原油埋蔵量、原油生産量、原油輸出量は共に世界最大である。
沿革[編集]
詳細は「サウジアラビアの石油産業の歴史」を参照
「世界の石油市場の出来事の年表」も参照
前史[編集]
旧オスマン帝国の領土内であるサウジアラビアでは、1928年に締結された赤線協定によって、イラク石油会社︵通称﹁IPC﹂︶の株主であったエクソンとモービルが石油を開発するためには、他の株主︵アングロ・ペルシャ石油会社︵現‥BP︶、ロイヤル・ダッチ・シェル︵現‥シェル︶、フランス石油︵通称﹁CFP﹂、現‥トタルエナジーズ︶、カルースト・グルベンキアン︶の承諾を得る必要があった。
欧米資本の進出[編集]
1933年5月29日、米国の国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア︵通称﹁ソーカル﹂︵SoCal︶、現‥シェブロン︶の子会社・カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー(通称﹁カソック﹂︵CASOC︶︶がサウジアラビアのイブン・サウド国王との合意書に調印し、同国の石油利権を獲得した。利権の対価は毎年5,000ポンドと、石油が出た場合にその収入で返済する50,000ポンドの貸付であった。 1936年、カソックは、米国のテキサコ︵現‥シェブロン︶と50%ずつ株式を保有する合弁会社になり、1938年3月、ダーランで石油を掘り当てた︵ダンマン油田︶。1944年1月31日、カソックは社名をアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー︵通称﹁アラムコ﹂︶に変更した。赤線協定廃止とOPECの設立[編集]
1948年、赤線協定を廃止する合意が成立したため、2社がアラムコの株主に加わった。カソックとテキサコは、50%ずつ保有していたアラムコの株式の比率を30%に下げ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー︵エッソ、後のエクソン、現‥エクソンモービル︶が30%、ソコニー・ヴァキューム・オイル・カンパニー︵後のモービル、現‥エクソンモービル︶が10%保有することになった。これらの株主は﹁アラムコ4社﹂と呼ばれるようになる。 1949年、ラスタヌラ製油所の操業を開始した。この製油所の原油処理能力は日量55万バレルと世界最大級である。1950年12月30日、アラムコとサウジアラビア政府が新協定︵利益折半協定︶に調印した。 1960年の石油輸出国機構︵OPEC︶結成を契機に、1960~1970年代には産油国で石油会社を国有化する動きが進んだが、サウジアラビア政府は急激な完全国有化政策を採らなかった。国有化へ[編集]
1962年3月、アハマド・ザキ・ヤマニがサウジアラビアの石油鉱物資源相に就任し、アラムコ4社︵ソーカル、テキサコ、エクソン、モービル︶に呼びかけ、政府によるアラムコへのParticipation︵事業参加︶についての交渉が行われた。 1971年2月14日、サウジアラビア、クウェート、イランを含む湾岸産油6か国とエクソン、ロイヤル・ダッチ・シェル、フランス石油など、湾岸地域で操業する国際石油会社13社との間で、原油価格変更のルールと新しい利益配分比率を定める﹁テヘラン協定﹂が締結された。 1973年10月、第四次中東戦争勃発。12月、政府の25%経営参加に合意する﹁リヤド協定﹂が成立した。 1980年には、政府の100%事業参加︵実質的な完全国有化︶を実現した。 1983年、アリ・ヌアイミがアラムコ最高経営責任者︵CEO︶に就任した。 1986年10月、ヤマニは石油鉱物資源相を突然解任された。サウジアラムコの設立[編集]
ヤマニの後任として就任した石油鉱物資源相ヒシャーム・ナーゼルによって、アラムコの完全国有化が進められた。1988年11月8日、サウジアラビア政府は旧アラムコの操業権利・資産などを引き継ぎ、国営石油会社﹁サウジアラビアン・オイル・カンパニー﹂︵サウジアラムコ︶を設立した。 サウジアラムコの主な事業内容は、石油・ガスの探鉱、開発、生産、販売などであった。﹁アラムコ﹂とはアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー︵Arabian American Oil Company︶の略称であり、国営石油会社の略称に他国である﹁アメリカ﹂の名称を残していることに特徴がある。 1993年7月1日、サウジアラムコは国営企業のサマレック︵SAMAREC‥サウジアラビア販売・精製公社︶を吸収。国内石油精製事業と石油製品の販売を事業に加えた。 1995年、サウジサラムコCEOだったアリ・ヌアイミが石油鉱物資源相に就任した。最高石油・鉱物評議会の設立[編集]
2000年1月、石油、天然ガス、その他炭化水素資源に関する国家政策やサウジアラムコの事業計画などを審議・決定する国家の最高意思決定機関として﹁最高石油・鉱物評議会﹂︵Supreme Council for Petroleum and Mineral Affairs︶が発足した。2010年時点で最高石油・鉱物評議会はアブドゥッラー国王が議長、スルターン皇太子兼副首相を副議長とし、サウード外務大臣、ヌアイミ石油鉱物資源相をはじめとする関係閣僚など合計12名から構成されていた。経済開発評議会の設立[編集]
2015年に第7代国王にサルマーンが就任すると、同年1月29日に行われた内閣改造・政府機構改革により最高石油・鉱物評議会が廃止された。これと同時に最高経済評議会も廃止され後継機関として﹁経済開発評議会﹂が発足し、サウジアラムコが管轄下に置かれた。経済開発評議会議長にはサルマーン国王の息子である副皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンが就任した。 同年9月17日、経済開発評議会の決定によりアミーン・H・ナーセルがサウジアラムコ社長兼最高経営責任者︵CEO︶に就任した[6]。新規上場と新規株式公開[編集]
「上場企業の時価総額別一覧」も参照
2019年12月、サウジ証券取引所に上場して、米国のAppleを抜いて時価総額が世界一の企業となった。また、256億ドルを調達して中国のアリババグループの250億ドルを超える史上最大のIPOも行った[7]。2020年1月には、さらに拡大して294億ドル︵約3兆2230億円︶相当となった[8]。このIPOは、皇太子に昇格したムハンマドが進める、石油に頼らない経済改革の一環と位置付けられている[5]。
691億ドルを投じて、石油化学大手のサウジ基礎産業公社︵SABIC︶の株式の70%を取得するM&Aが2020年6月16日に完了。サウジアラムコは、油田開発から化学工業まで﹁炭化水素のバリューチェーン﹂の価値向上につながると声明した[5]。
2022年8月、アメリカの潤滑油メーカー・バルボリンの子会社で、グローバル事業部門︵製造・流通︶を扱う﹁バルボリン・グローバル・プロダクツ﹂の買収を発表[9]。2023年3月に正式に買収が完了した。
2022年10月26日、 エネルギー移行の支援を目的とする投資ファンド、アラムコ・サステナビリティ-・ファンドを設立した[10]。傘下のアラムコ・ベンチャーズが運営する[10]。
原油高による最高益[編集]
2023年3月12日、2022年12月期の決算は純利益が前期比46.5%増の1611億ドル︵約21兆7500億円︶と、2019年12月の上場以降で最高益を記録した。ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格の高騰や、生産量の増加が業績を支えた。同社の声明によると、業績は﹁より強い原油価格、販売量の増加、精製品のマージンの改善に下支えされた﹂と説明している[11]。日本との関係[編集]
●2000年2月 - アラビア石油がサウジアラビアにおける利権を失効。 ●2004年 ●5月 - 住友化学と、サウジアラビアでの世界最大級の石油精製・石油化学統合コンプレックス建設に向けた覚書を締結。 ●8月 - 昭和シェル石油の株式の9.96%をロイヤル・ダッチ・シェルグループから譲り受ける︵翌年5%を追加譲受︶。この関係で、後の2019年4月に出光興産が昭和シェル石油を完全子会社化し経営統合して以降、サウジアラムコは出光興産の株主のひとつとなる。 ●2010年6月 - 資源エネルギー庁と共同プロジェクトに調印。2011年2月より石油天然ガス・金属鉱物資源機構を通じ、沖縄石油基地の原油タンクに約60万キロリットルの原油を貯蔵する[12]。その後タンク貸与量は2013年更新で100万キロリットル、2019年更新で130万キロリットルに拡大された。 ●2012年3月22日 - 東京都千代田区丸の内に、日本法人のアラムコ・アジア・ジャパン株式会社を設立。 ●2019年 - かつての新津油田跡地にある石油の世界館の改修に対し、アラムコ・アジア・ジャパンが改修費用を寄付した[13][14][15]。スポンサーシップ[編集]
サッカー[編集]
2024年4月25日より国際サッカー連盟︵FIFA︶との公式パートナーシップ契約を2027年末までに締結[16]。モータースポーツ[編集]
2020年3月、自動車レースのフォーミュラ1︵F1︶のグローバルパートナーとなる[17]。2022年シーズンからは、F1に参戦するアストンマーティンF1のスポンサーとなった他[18]、2023年からはフォーミュラ2︵F2︶及びFIA F3に対し﹁持続可能な燃料﹂を供給している[19]。2023年5月には、2026年シーズン以降のF1で使用されるカーボンニュートラル燃料を本田技研工業︵ホンダF1︶と共同開発することを発表した[20]。出典[編集]
(一)^ abcd“Saudi Aramco Annual Report 2022”. 2023年3月21日閲覧。
(二)^ “Saudi Aramco raises $37.48 billion in the world's biggest IPO”. CNN Business. (2019年9月25日)
(三)^ “ARAMCO Institutional Ownership - Saudi Arabian Oil Co”. fintel.io. 2024年4月27日閲覧。
(四)^ “Aramco boosts dividend as Q2 profit drops 38% to $30.1 bln”. Reuters. 2023年8月7日閲覧。
(五)^ abc﹁サウジアラムコ、石化公社の買収完了 下流を網羅、超巨大企業に﹂﹃日経産業新聞﹄2020年7月16日︵グローバル面︶
(六)^ サウジアラムコ‥アミン・ナセル氏を社長兼CEOに指名 ブルームバーグ 2015年9月17日
(七)^ “サウジアラムコ上場、ストップ高に 時価総額世界最大1.88兆ドル”. ロイター. (2019年12月11日) 2019年12月12日閲覧。
(八)^ “世界最大のアラムコIPO、一段の規模拡大で294億ドル相当に”. Bloomberg.com. 2020年1月14日閲覧。
(九)^ アラムコ、バルボリン社グローバル製品事業の買収で合意 - サウジアラムコ・2022年8月1日
(十)^ ab﹁サウジアラムコ、エネルギー移行支援で15億ドルのファンド設立﹂﹃Reuters﹄、2022年10月27日。2022年10月27日閲覧。
(11)^ “サウジ国営石油会社、22年通期純利益は21兆円超 原油高で最高益”. BBCニュース (2023年3月13日). 2023年3月16日閲覧。
(12)^ -日本・サウジアラビア共同プロジェクト-サウジアラムコ社の沖縄における石油基地事業開始記念式典の開催について - 石油天然ガス・金属鉱物資源機構︵2011年2月17日︶
(13)^ “石油文化発信に感銘2千万円寄付 サウジ企業の日本法人が新潟市に”. 新潟日報. (2019年6月27日) - WayBack Machineによるアーカイブ
(14)^ “映像充実してリニューアル 秋葉・石油の世界館で内覧会”. 新潟日報. (2020年10月23日)
(15)^ “アラムコ・アジア・ジャパン︵AAJ︶は、新潟市秋葉区︵旧新津市︶にある、石油産業にスポットを当てた日本で唯一の博物館﹁石油の世界館﹂を支援しています。”. アラムコ・ジャパン. 2021年12月5日閲覧。
(16)^ “アラムコと国際サッカー連盟 グローバル・パートナーシップの締結を発表”. aramco. 2024年4月25日
(17)^ サウジアラビアの石油会社﹃アラムコ﹄がF1のグローバルパートナーに。グランプリ開催に前進か - F1速報・2020年3月10日
(18)^ アストンマーチンF1、サウジアラビアの石油企業アラムコとパートナー契約締結を発表 - motorsport.com 2022年2月4日
(19)^ 低炭素燃料の未来を切り拓くために2023年からフォーミュラ2とフォーミュラ3がアラムコと提携 - アラムコ・2022年9月2日
(20)^ “ホンダ﹃四輪モータースポーツに関する記者会見﹄質疑応答全文”. オートスポーツ (2023年5月24日). 2023年6月1日閲覧。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- الرئيسية(アラビア語) - 公式サイト
- Saudi Aramco – where energy is opportunity(英語)
- ホーム - アラムコ・アジア・ジャパン株式会社