中川郡 (十勝国)
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中川郡︵なかがわぐん︶は、北海道︵十勝国︶十勝総合振興局の郡。
人口40,417人、面積1,778.05km²、人口密度22.7人/km²。︵2024年5月31日、住民基本台帳人口︶
以下の4町を含む。
●幕別町︵まくべつちょう︶
●池田町︵いけだちょう︶
●豊頃町︵とよころちょう︶
●本別町︵ほんべつちょう︶
郡域[編集]
1879年︵明治12年︶に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記4町から幕別町の一部︵忠類各町︶、豊頃町の一部︵湧洞・長節・大津・打内および大津各町︶を除き、下記を加えた区域にあたる。 ●帯広市の一部︵桜木町・以平町および泉町の一部︶ ●河西郡中札内村の一部︵元更別・上札内・南札内の各一部︶ ●河西郡更別村の一部︵上更別・更南・勢雄および更別・弘和の一部︶ ●河東郡音更町の一部︵長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域[1]︶ ●河東郡士幌町の一部︵下居辺および概ね士幌川流域[1]︶ ●河東郡上士幌町の一部︵概ね居辺東[1]︶ ●足寄郡足寄町の一部︵概ね利別川以西および平和・共栄町・上利別・上利別本町・大誉地︶ ●足寄郡陸別町の一部︵トマム︶歴史[編集]
郡発足までの沿革[編集]
江戸時代の中川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。中川郡北部︵現在の足寄郡足寄町の利別川以西に相当︶にある芽登温泉は蝦夷の人々の間では古くから知られていた。 江戸時代後期、中川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年中川郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年中川郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年以降は仙台藩領となった︵6藩分領︶。戊辰戦争︵箱館戦争︶終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を﹁下川郡﹂と命名し、開拓使公文録でも﹁下川郡﹂であったが、その後現在の中川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の上川郡、十勝郡で郡名が変更されている。郡発足以降の沿革[編集]
明治9年の大区小区
- 第23大区
- 6小区 : 旅来村、安骨村、豊頃村、十弗村、凋寒村、様舞村、誓牛村、信取村、蓋派村、居辺村、押帯村、勇足村、幌蓋村、負箙村、嫌侶村、本別村、蝶多村、止若村、咾別村、幕別村、白人村、別奴村
- 第23大区
●明治12年︵1879年︶7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての中川郡が発足。
●明治13年︵1880年︶3月 - 浦河郡外十郡役所︵浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治15年︵1882年︶2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
●明治19年︵1886年︶1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
●明治20年︵1888年︶6月 - 釧路郡外十一郡役所︵釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治22年︵1890年︶1月 - 釧路郡外十郡役所︵釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治24年︵1892年︶3月 - 釧路郡外十二郡役所︵釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所︶の管轄となる。
●明治30年︵1897年︶
●7月 - 河西郡外五郡役所︵河西河東上川中川十勝当縁広尾郡役所︶の管轄となる。
●11月5日 - 郡役所が廃止され、河西支庁の管轄となる。
●明治39年︵1906年︶4月1日
●北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。︵3村︶
●凋寒村︵二級村︶ ← 凋寒村﹇一部﹈、蝶多村﹇一部﹈、十弗村、様舞村、誓牛村、信取村、蓋派村、居辺村︵概ね現・池田町︶
●豊頃村︵二級村︶ ← 豊頃村、安骨村︵現・豊頃町︶
●幕別村︵二級村︶ ← 幕別村、止若村、咾別村、白人村、別奴村︵概ね現・幕別町︶
●凋寒村・蝶多村の各一部が河東郡音更村、旅来村が十勝郡大津村の各一部となる。
●大正2年︵1913年︶4月1日 - 凋寒村が改称して川合村となる。
●大正4年︵1915年︶4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、本別村、押帯村、勇足村、幌蓋村、負箙村、嫌侶村の区域をもって本別村︵二級村︶が発足。︵4村︶
●大正8年︵1919年︶4月1日 - 川合村・幕別村が北海道一級町村制を施行。
●大正10年︵1921年︶4月1日 - 本別村の一部︵南部地区を除く︶が分立して西足寄村︵二級村︶が発足。︵5村︶
●大正12年︵1923年︶4月1日 - 本別村が北海道一級町村制を施行。
●大正14年︵1925年︶4月1日 - 川合村の一部︵大字居辺村の一部︶が河東郡川上村に編入。
●大正15年︵1926年︶
●4月1日 - 幕別村の一部︵大字幕別村・別奴村の各一部︶が河西郡大正村に編入。
●7月1日 - 川合村が改称のうえ北海道一級町村制・町制を施行して池田町︵一級町︶となる。︵1町4村︶
●昭和7年︵1932年︶8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。
●昭和8年︵1933年︶
●5月1日 - 本別村が北海道一級町村制・町制を施行して本別町︵一級町︶となる。︵2町3村︶
●6月1日 - 池田町の一部︵大字居辺村の一部︶が河東郡士幌村に編入。
●昭和18年︵1943年︶6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
●昭和21年︵1946年︶
●9月15日 - 幕別村が町制施行して幕別町となる。︵3町2村︶
●10月5日 - 指定町村を廃止。
●昭和22年︵1947年︶5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。
●昭和23年︵1948年︶4月1日 - 幕別町の一部︵勢雄および弘和の一部︶が河西郡更別村に編入。
●昭和25年︵1950年︶4月1日 - 西足寄村が町制施行して西足寄町となる。︵4町1村︶
●昭和26年︵1951年︶4月1日 - 西足寄町の一部︵字斗満の一部、63m2、252戸、1,863人︶が足寄郡陸別村に編入。
●昭和30年︵1955年︶4月1日︵3町1村︶
●西足寄町が足寄郡足寄村と合併して足寄郡足寄町が発足し、郡より離脱。
●豊頃村が十勝郡大津村の一部︵大字当縁村の一部[2]︶を編入。
●昭和40年︵1965年︶1月1日 - 豊頃村が町制施行して豊頃町となる。︵4町︶
●平成18年︵2006年︶2月6日 - 幕別町が広尾郡忠類村を編入。
●平成22年︵2010年︶4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。
行政[編集]
浦河郡外十郡長この節の加筆が望まれています。 |
- 釧路郡外十一郡長
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- 釧路郡外十郡長
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- 釧路郡外十二郡長
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- 河西郡外五郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 吉田直太郎[3] | 明治30年(1897年)7月 | 明治30年(1897年)11月5日 | 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く |