佐藤孝三郎
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d5/Sato_Kozaburo.jpg/200px-Sato_Kozaburo.jpg)
佐藤 孝三郎︵さとう こうざぶろう、1868年3月2日︵慶応4年2月9日︶ - 1969年11月21日︶は、日本の内務官僚。福井県知事、名古屋市長、函館市長。
経歴[編集]
福岡県出身。佐藤与平の長男として生まれる。1888年8月、福岡尋常師範学校を卒業し、井尻小学校訓導となる。1896年7月に東京専門学校︵現・早稲田大学︶に入学し、1899年3月、同修了。同年11月、文官高等試験に合格し、1900年5月、内務省に入省し内務属として警保局に配属された。 1902年2月、山口県参事官に就任。以後、群馬県参事官、島根県警察部長、和歌山県事務官・第四部長、同第一部長兼第三部長[1]、同内務部長、群馬県内務部長、秋田県内務部長、宮城県内務部長などを歴任した。 1914年6月、福井県知事に就任し、1917年1月まで在任し休職。同年7月に退官した。その後、名古屋市長︵1917年7月 - 1921年7月︶、函館市長︵1924年11月 – 1928年11月︶を歴任した。著書[編集]
- 『高岳自叙伝』佐藤達夫、1963年。
親族[編集]
脚注[編集]
- ^ 『官報』第7061号、明治40年1月15日。