大谷三穂
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大谷 三穂 おおたに みほ | |
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![]() 公式肖像写真 | |
生誕 |
1971年5月28日(53歳)![]() |
所属組織 |
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軍歴 | 1996年(平成8年) - |
最終階級 |
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/28/Aegis_Destroyer_Myoko%2C_captain_Miho_Otani.jpg/280px-Aegis_Destroyer_Myoko%2C_captain_Miho_Otani.jpg)
大谷 三穂︵おおたに みほ、1971年︵昭和46年︶5月28日 - ︶は日本の海上自衛官。現在の階級は1等海佐[1]。
自衛隊初の女性練習艦艦長、護衛艦艦長、イージス艦艦長を歴任[注 1]、2022年︵令和4年︶12月から練習艦﹁かしま﹂艦長[4]。防衛大学校女子第1期生︵第40期︶。
経歴[編集]
大阪府吹田市出身。大阪府立千里高等学校卒業。龍谷大学文学部に進学するが、2年生のとき、大学の下宿先で湾岸戦争のニュースを見て﹁愛国心を覚え﹂、防衛大学校への進学を決意する[5]。家族の反対を押し切り、1992年︵平成4年︶4月、女子1期生として入学した[5]。 1学年時は航空要員を希望していたが、海上自衛隊に配属され、練習艦﹁なつぐも﹂で最初の勤務を迎える。その後、防衛大学校の指導教官や海上幕僚監部などの勤務を経て、2011年︵平成23年︶4月、当時練習艦だった﹁あさぎり﹂の副長に就任した[5]。 2008年︵平成20年︶に護衛艦への女性の配置制限が撤廃された後、2012年︵平成24年︶3月に﹁あさぎり﹂が護衛艦籍に復帰したことに伴い、女性初の護衛艦副長となる[5]。2013年︵平成25年︶3月には練習艦﹁しまゆき﹂艦長に就任し、東良子と同時に海上自衛隊女性初の練習艦艦長となった[6][7]。2016年︵平成28年︶2月には﹁やまぎり﹂艦長に就任し、女性初の護衛艦艦長となった[8][9]。 2017年︵平成29年︶7月1日、1等海佐昇任[10]。2018年︵平成30年︶3月23日、海幕厚生課厚生班長[11]。2019年︵令和元年︶12月2日に﹁みょうこう﹂艦長に着任し、女性初のイージス艦艦長となった[1][12][注 2]。2021年 (令和3年) 8月23日、統合幕僚学校教育課。2021年 (令和3年) 12月23日、統合幕僚学校教育課第1教官室学校教官。2022年︵令和4年︶12月9日、練習艦﹁かしま﹂艦長に就任[4]。2023年︵令和5年︶12月22日、自衛隊神奈川地方協力本部長に就任[14]。関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ ab女性初のイージス艦長が着任 京都・海自舞鶴基地 下野新聞 2019年12月2日
(二)^ 大型艦に初の女性艦長 海洋観測艦の﹁わかさ﹂松尾直子3佐が着任﹁風通し良い隊風醸成したい﹂
(三)^ 自衛隊法第65条の13の規定に基づく令和元年度若年定年等 隊員の就職の援助の実施結果の公表について
(四)^ ab防衛省発令︵1佐人事︶2022年12月9日 (PDF)
(五)^ abcd“﹁艦長になる自信あります﹂女性初の護衛艦副長、2年目の決意”. 産経WEST. (2013年3月11日) 2017年2月1日閲覧。
(六)^ “海自﹁艦長の夢かなった﹂”. 福島民報. (2013年3月22日). オリジナルの2013年3月27日時点におけるアーカイブ。 2017年1月8日閲覧。
(七)^ “泣く泣く娘を両親に預け…海上自衛隊練習艦女性艦長”. 女性自身 (2013年6月9日). 2017年1月8日閲覧。
(八)^ “<元気人@かながわ>海自護衛艦 初の女性艦長 大谷三穂さん︵45歳︶”. 東京新聞. (2016年7月18日) 2017年1月8日閲覧。
(九)^ “︻大谷三穂2等海佐︼人生も荒波を越えてきた初の女性艦長”. ZAKZAK︵夕刊フジ︶ (2016年6月23日). 2017年1月8日閲覧。
(十)^ 防衛省発令︵昇任1佐人事︶2017年7月1日 (PDF)
(11)^ 防衛省発令︵1佐人事︶2018年3月23日 (PDF)
(12)^ “女性初のイージス艦長着任 京都・舞鶴基地”. 産経新聞. (2019年12月2日) 2019年12月3日閲覧。
(13)^ 防衛省発令︵1佐人事︶2021年8月23日 (PDF)
(14)^ 防衛省発令︵1佐人事︶2023年12月22日 (PDF)
(15)^ 退職日特別昇任