富士松加賀太夫
富士松 加賀太夫︵ふじまつ かがたゆう︶は、新内節の太夫の名跡。代々富士松派の家元を名乗る事が多い。
●初代富士松加賀太夫 - 後∶初代富士松魯中
●二代目富士松加賀太夫 - 不明
●三代目富士松加賀太夫 - 不明
●四代目富士松加賀太夫 - 不明
●五代目富士松加賀太夫︵1855年 - 1892年12月10日︶本名∶野中 富士松。江戸浅草の生まれ、初代富士松魯中の三男で、六代目加賀太夫の弟。7歳で父が死去し、父の門弟で寄席で活躍していた富士松紫朝の門下になり﹁富士太夫﹂を名乗る。後に﹁歌賀太夫﹂と改名し、1880年に五代目加賀太夫を襲名。主な作曲には﹁高橋お伝﹂や﹁花井お梅﹂がある。美声だったが寄席では売れなかった。
●六代目富士松加賀太夫︵1852年 - 1896年11月29日︶ - 本名∶野中 福太郎。初代富士松魯中の長男。弟は五代目富士松加賀太夫。富士松島太夫から1893年に父の名である二代目魯中を襲名。弟の五代目没後六代目加賀太夫を襲名。