徳田一穂
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徳田 一穂︵とくだ かずほ、1903年7月 - 1981年7月2日︶は、東京生まれの小説家。徳田秋声の長男。
略歴[編集]
小説家徳田秋声の長子として、明治36年︵1903年︶7月、東京府東京市本郷︵当時︶に生まれる。出生届の記載は明治37年︵1904年︶3月20日であるが、野口冨士男が﹃徳田秋聲傳﹄において彼の誕生を明治36年7月と比定して以来、これが定説となり、最新の研究成果を反映した八木書店版﹃徳田秋聲全集﹄別巻の年譜でも、明治36年説を踏襲している。 誕生以来、秋声の私小説の大半に登場しており、秋声作品を系統的に読めば、その前半生をかなり詳細に辿ることが出来る。 幼少から虚弱体質で、常々父親から意志の弱さを指摘される。第四高等学校の受験に失敗し、大正13年︵1924年︶慶應義塾大学文学部に入学するも、中途退学。その後は定職に就かず、SPレコードによるクラシック音楽の鑑賞、外国映画やボードレール、コクトー、ヴァレリーなどのフランス文学への耽溺、といったディレッタント︵dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者︶的生活を送る。昭和7年︵1932年︶秋声会機関誌﹁あらくれ﹂の編集発行人となる。 昭和10年︵1935年︶1月、玉の井の娼妓を救い出して自宅に匿い、父秋声が事後処理に奔走するという事件が起こる[1]。この体験をもとに、﹃縛られた女﹄﹃鰺ケ沢﹄﹃無心邂逅﹄などの短編を発表した。それら一連の作品は、小説集﹃縛られた女﹄︵1938年6月10日発行︶、﹃女の職業﹄︵1939年4月12日発行︶、﹃取残された町﹄︵1939年12月10日発行︶に収められ、小説家としての地歩を固めた。 牧野信一は、一穂の短編小説︵﹁遊び仲間﹂﹁怠け者﹂︶を 徳田一穂氏の近頃のものは、一連を成す主観的なものであり、僕が読んだ限りでは全部佳作であつた。生活といふものに対して、随分と凝つた眼の所有者であり、淡々と叙してゐる中に、実にも鋭敏なる神経が隈なく行き渡り、理解力の典雅さに充ち、透明度も深く、そして視野計の狂ひなどは何処にも見出せなかつた。︵中略︶何気ない短篇でありながら、読む者をして舌を巻かせる類ひの力量を示したもので感心した。 と高く評価している[2]。 昭和14年︵1939年︶には、1月創刊の同人雑誌﹁文学者﹂[3]の同人に名を連ねた。 その後の作品集には、﹃花影﹄︵1940年7月10日発行︶、﹃受難の芸術﹄︵評論・随筆・訪問録、1941年9月20日発行︶、﹃北の旅﹄︵1942年9月20日発行︶がある。 昭和18年︵1943年︶の秋声の死後、小説家としては僅かの短篇小説を発表するにとどまった。卯辰山に秋声文学碑が建つまでを描いた実名小説﹃碑と未亡人﹄︵﹁新潮﹂1954年11月︶が最後の小説作品である[4]。 後半生は秋声遺宅を守り、秋声の日記︵抄︶の紹介[5]や雪華社版・臨川書店版﹃秋聲全集﹄の編纂のほか、秋声関係の随想や解説文などを残している。墓所は小平霊園(23-27-29)。単行本リスト[編集]
●﹃縛られた女﹄砂子屋書房、1938年. ●縛られた女/鰺ケ沢/白い姉妹/通信員/花影/遊び仲間/年賀状/臆病神/初恋物語/花結び/花粉/ネクタイ/余韻/夜の庭/瑕ある海 ●﹃女の職業﹄赤塚書房、1939年. ●兄弟/春泥/白い姉妹/女の職業/借家探し/靴/怠け者/痛い目 ●﹃取残された町﹄青木書店、1939年. ●無心邂逅/麒麟館/並木の病葉 ●﹃花影﹄人文書院、1940年. ●コマ/縛られた女/鰺ケ沢/急行券/麒麟館/結婚/花影/年賀状/遊び仲間/通信員 ●﹃受難の芸術﹄豊国社、1941年. ●感想・随筆/文学の周囲/季節の晴曇/訪問録 ●﹃北の旅﹄桜井書店、1942年.[6] ●北の旅/いが栗頭/一つの峠/藤の咲く頃/海の風/寝台車/帰らぬ昔/脇道 ●﹃白い姉妹﹄地平社︿手帖文庫、第2部第13﹀、1947年.[7] ●白い姉妹/女の職業/春泥/兄弟/借家探し/靴 ●﹃秋聲と東京回顧―森川町界隈﹄日本古書通信社、2008年.[8] ●森川町界隈/道草/大学界隈︵徳田秋聲︶/父への想い︵徳田章子︶/徳田一穂の“日和下駄”︵小林修︶/徳田一穂著書目録 ●﹃秋聲の家―徳田一穂作品集﹄大木志門 編、徳田秋聲記念館文庫、2020年. ●年賀状/鯵ヶ沢/一つの峠/墓参/碑と未亡人/父と自分/芥川龍之介/感傷の旅/父との近影/父〝秋聲〟のこと/父の姿/思い出の一齣/父秋聲と音楽/出発はこれから/父秋聲の家/秋聲の家―父の﹁黴﹂を読んでた私にこう言った/父の思い出/﹃一つの好み﹄あとがき/﹃縮図﹄跋・追記/﹃古里の雪﹄あとがき/著作目録 ●﹃街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想﹄大木志門 編、龜鳴屋、2021年. ●幕間/瑕ある海 ――Poissons de la mélancolie/縛られた女/無心邂逅/北の旅/粉雪/随想42編/本郷森川町の家﹇写真集﹈︵小幡英典︶/﹁黴﹂の子、街の子、徳田一穂︵大木志門︶/徳田一穂著作目録︵増補版︶脚注[編集]
(一)^ 秋声は昭和10年︵1935年︶5月1日発表の短編小説﹃二つの現象﹄でこの事件を書いている。
(二)^ ﹃読売新聞﹄第20909号﹁月評二 新人の佳作、凡作﹂、1935年4月27日。
(三)^ 文学者編輯所︵編︶、﹁文学者﹂発行所︵刊︶、上田屋書店︵発売︶、昭和14年︵1939年︶1月–昭和16年︵1941年︶3月。同人は、浅野晃、板垣直子、伊藤整、大鹿卓、岡田三郎、尾崎一雄、尾崎士郎、上泉秀信、窪川鶴次郎、榊山潤、田辺茂一、徳田一穂、徳永直、楢崎勤、丹羽文雄、春山行夫、福田清人、本多顕彰、水野成夫、室生犀星、和田伝。
(四)^ 大木志門﹁﹁黴﹂の子、街の子、徳田一穂﹂︵﹃街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想﹄龜鳴屋、2021年︶
(五)^ 一穂は秋声の日記帳類を取り集め、一括して保存したものが27冊に及んだという。しかし、現在それらの日記類原本は所在不明となっており、八木書店版全集にも一穂が抜粋した部分しか収められていない︵﹃徳田秋聲全集﹄別巻、解題︶。
(六)^ 昭和22年︵1947年︶、喜久屋書店より再刊。
(七)^ 過去作品の再編本。
(八)^ ﹁森川町界隈﹂﹁道草﹂は、昭和53年︵1978年︶10月から昭和56年︵1981年︶5月まで、﹁森川町界隈﹂の表題のもとに、前者が4回、後者が28回の計32回にわたって﹃日本古書通信﹄に連載された。