新海覚雄
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新海 覚雄︵しんかい かくお、1904年 - 1968年8月10日︶は、日本の画家。
彫刻家の新海竹太郎の長男として東京で生まれた。平成時代に入って再評価されており、東京国立近代美術館に﹁老船長﹂︵1933年︶が、板橋区立美術館に﹁貯蓄報国﹂︵1943年︶﹁龍を持つ婦人像﹂︵1954年︶他が所蔵されている[1]。墓所は多磨霊園。
経歴[編集]
●1904年、東京都生まれ、川端画学校に学ぶ[2]。 ●1922年、太平洋画会賞。同会会員[2]。 ●1925年、中央美術展に入選する。同年末より二科展に出品[2]。 ●1928年以降、3年連続で協会展に入選。 ●1946年、芸術家団体一水会会員となる。 ●1948年、日本美術会入会。 ●1950年2月、日本美術会の機関誌﹃BBBB.﹄に﹁人民の画家ケーテ・コルヴィッツ﹂を執筆。同年、槙本楠郎﹃コロポックル物語﹄︵泰光堂︶の挿絵を描く。 ●1951年-1954年、日本アンデパンダン展に出品。 ●1953年3月、日本美術会の事務局長となる︵翌年まで︶。委員長は井上長三郎が務めた[3]。 ●1954年、関英雄等編﹃お話動物園. 4年生﹄︵泰光堂︶の挿絵を描いた。 ●1956年7月、﹃新日本文学﹄に﹁リアリズム美術の方法意識﹂を発表。著書[編集]
●﹃ケーテ・コルヴィッツ﹄︵八月書房、1950年︶出典[編集]
- ^ 日本美術会会員の公共機関に収蔵された作品一覧(故人含む)日本美術会サイト。ただし、板橋区立美術館収蔵品では「籠を持つ婦人像」とあり、制作年も「1925年」とある。
- ^ a b c 歴史が眠る多磨霊園
- ^ 日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴日本美術会サイト内