永井進
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永井 進 | |
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生誕 | 1911年3月25日 |
出身地 |
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死没 | 1974年2月5日(62歳没) |
学歴 | 東京音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
永井 進︵ながい すすむ、1911年3月25日 - 1974年2月5日︶は、昭和期のピアニストである。東京藝術大学音楽学部教授も務めた。
概略[編集]
1911年、東京都麻布生まれ。1929年、麻布小學校および旧制・芝中學校︵現・芝高等学校︶卒業。 納所弁次郎︵のうしょ・べんじろう 1865年 - 1936年/ ﹁うさぎとカメ﹂﹁桃太郎﹂などの作曲で知られる︶、榊原 直︵さかきばら・なおし1894 - 1959/ 榊原トリオで活躍したピアニスト︶にピアノを師事。 1929年︵昭和4年18歳︶東京音樂學校予科に入学︵翌年本科に進級︶。福井直俊、田中規矩士に師事。本科3年次からは、レオ・シロタ︵後述※1︶に師事。 1933年東京音樂學校︵現・東京藝術大学︶卒業、引き続き東京音樂学校研究科に進学。 同年、皇后の前にて演奏。 1935年︵昭和10年24歳︶東京音樂學校研究科修了。9月から教務嘱託として母校に残り、指導を開始。 1936年︵昭和11年25歳︶オーストリアから東京音樂學校に招聘されたウィーン国立音楽院教授パウル・ヴァインガルテン︵後述※2︶に留学給付金を支給され、滞独留学生︵日本に滞在したままドイツやオーストリア留学生給付金を支給されて、文部省の指定する外国人教官に師事する制度︶2年間指導を受ける。 1939年︵昭和14年28歳︶10月、東京音樂學校助教授に昇格。 1941年ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮による新交響樂団(現・NHK交響楽団)と共演してデビューを果たす。 1944年に東京音楽学校に教授に就任。戦後には演奏活動にも専念する。 1946年︵昭和46年35歳︶8月、東京音樂學校を退職。 1952年︵昭和27年︶東京藝術大学︵前・東京音樂學校︶教授に就任する。 1960年︵昭和35年49歳︶日本ショパン協会副会長に就任︵会長は野村光一︶。 1963年 パリで開催された第10回ロン=ティボー国際コンクールピアノ部門に、審査員として招聘される︵邦人初︶。 1970年 ワルシャワで開催された第8回ショパン国際ピアノコンクールに、審査員として招聘される︵邦人初︶。 数え切れないほどの門下生を海外留学させ、国際コンクール入賞者を輩出。国際舞台での演奏家や優秀な教師に成長させた。田村 宏、松野景一、小林道夫、大野︵深澤︶亮子、荒 憲一、平井丈二郎、松浦豊明、松﨑伶子、岩崎セツ子、竹島悠紀子、辻 安佐子、土屋美寧子、武田真理、奥 千絵子、岡本愛子、渡邊健二、海老彰子、他多数。 また、1962年から1983年まで放映されたNHK﹁ピアノのおけいこ﹂の初代講師でもある。 1974年永眠。墓所は多磨霊園。 ※1レオ・シロタ(Leo Sirota・1885~1965︶フェルッチョ・ブゾーニの高弟のユダヤ系ピアニスト。 ※2パウル・ヴァインガルテン︵Paul Weingarten 1886 - 1948︶はエミール・フォン・ザウアー︵Emil von Sauer︶門下。ウィーン国立音楽院教授として井上園子を育てる。ウィーン国立音楽院を特例休職して来日した。出典[編集]
- 平凡社『日本人名大事典 現代』
- The New GROVE Dictionary of Music and Musicians 12 (ニューグローヴ世界音楽大事典12)
- 財団法人 音楽鑑賞教育振興会『演奏家大事典』II