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エピソード[編集]
●妻が学校の事業展開と服飾教育振興をしていく中で、妻の考えを理解し献身的に支えたという。妻が服飾で海外研修の折には妻に代わって子育て成していた。妻亡き後も学校を切り盛りした[3]。
●逝去後、顕彰活動の一環として北翔大学構内の第二体育館横に妻と共に胸像が建っている。
受賞歴[編集]
●北海道知事表彰︵1973年︶
●文部大臣表彰︵1980年、1984年、1985年︶
●藍綬褒章︵1981年︶
●勲三等瑞宝章︵1991年︶[4]
●妻は、学校法人浅井学園初代学園長で専門学校北海道ドレスメーカー学院初代学院長の浅井淑子。子息に、学校法人浅井学園前理事長・北海道浅井学園大学前学長・北海道浅井学園大学短期大学部前学長の浅井幹夫。息女に、北海道ドレスメーカー学院2代学院長の浅井洋子がいる。
- ^ 創立三十周年記念誌執筆編集委員会編『創立三十年』(北海道女子短期大学, 1993年)p28-29
- ^ 以上につき創立三十周年記念誌執筆編集委員会編『創立三十年』(北海道女子短期大学, 1993年)p28-29
- ^ 創立三十周年記念誌執筆編集委員会編『創立三十年』(北海道女子短期大学, 1993年)p25-26
- ^ 以上につき創立三十周年記念誌執筆編集委員会編『創立三十年』(北海道女子短期大学, 1993年)p28-29