福田恆存
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福田 恆存 ふくだ つねあり | |
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誕生 |
1912年8月25日 東京市本郷区駒込東片町 (現在の東京都文京区)[1] |
死没 |
1994年11月20日(82歳没) 神奈川県中郡大磯町東海大学医学部付属大磯病院[1] |
墓地 | 妙大寺 |
職業 |
作家 翻訳家 評論家 劇作家 演出家 |
言語 | 日本語(歴史的仮名遣) |
国籍 | 日本 |
教育 | 文学士(東京帝国大学) |
最終学歴 | 東京帝国大学文学部英文学科卒業 |
活動期間 | 1937年 - 1994年 |
主題 |
文芸評論 戯曲 英米文学 |
文学活動 | 国語国字問題 |
代表作 |
『藝術とはなにか : 藝術と文明』(1950年) 『平和論にたいする疑問』(1955年) 『人間・この劇的なるもの』(1956年) 『私の恋愛教室』(1959年) 『私の國語敎室』(1960年) 『解ってたまるか!』(1968年) 『私の英國史』(1980年) 『演劇入門』(1981年) |
主な受賞歴 |
岸田演劇賞(1955年) 読売文学賞(1961年) 菊池寛賞(1980年) 芸術院賞(1981年)[2] |
デビュー作 | 『作家の態度』(1947年) |
配偶者 | 福田敦江 |
子供 | 福田逸(次男) |
影響を受けたもの
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福田 恆存︵ふくだ つねあり、1912年︿大正元年﹀8月25日 - 1994年︿平成6年﹀11月20日︶は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。日本芸術院会員。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事[1]などを務めた。名前については﹁こうそん﹂と音読みされることも多い。
概要
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保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した﹃平和論にたいする疑問﹄︵1955年︶は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家[6]。
また、同時期には﹃ハムレット﹄︵1955年︶をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ[7]。
文藝春秋社﹁文藝春秋﹂、﹁諸君﹂、自由社﹁自由﹂などの保守派総合雑誌への寄稿でも知られる。産経新聞社の論壇誌﹁正論﹂は、福田と田中美知太郎、小林秀雄等の提唱によって1973年︵昭和48年︶に創刊された。
﹁レトリシャン﹂や﹁論争の手品師﹂といわれ、一流のリフレーミングの使い手でもあった[8]。著書に﹃人間・この劇的なるもの﹄︵1956年︶、﹃私の英国史﹄︵1980年︶、戯曲﹃キティ颱風﹄︵1970年︶など。
経歴
[編集]出自と教育
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1912年︵大正元年︶8月25日、東京市本郷区駒込東片町にて、埼玉県大宮出身の東京電燈社員の父・幸四郎、伊豆出身の石工の子孫である母・まさの長男として中間階級の家庭に生まれる。﹁恆存﹂は石橋思案の命名で、﹃孟子﹄に由来する[1][9]。自然豊かな下町・神田で育ち、一家はしばしば劇場に通った。
1919年︵大正8年︶、東京市立錦華小学校︵現・千代田区立お茶の水小学校︶に学区外入学。大正デモクラシー教育の先進校であった同校では自学自習、自由研究、自由画などが導入されており、福田はリベラルな先進的教育を受けるが、小学生ながらも﹁新教育理論﹂に陶酔する教師に対して違和感を抱いていた。また、1922年︵大正11年︶の関東大震災により下町の気風は消え、福田は﹁故郷喪失者﹂となった。[10]
私には今の東京は勿論の事、戰前の東京も故鄕ではない。私の故鄕は關東大震災前の東京である。つまり、私は故鄕喪失者といふことになる。 — ﹁ふるさとと旅﹂﹃旅﹄︵1978年︶
1925年︵大正14年︶4月、第二東京市立中学校︵現・東京都立上野高等学校︶入学。高橋義孝と同級。同校でもリベラルな先進的教育を受けるが、校風の﹁自主の精神﹂には息苦しさを覚えた。当時の二中校長高藤太一郎により、優秀な教師が集められ、教師陣には英語の落合欽吾、岡倉由三郎、上田義雄、国語の横山藤吾、時枝誠記、西尾実、福永勝盛、東洋史の志田不動麿がいた。1929年︵昭和4年︶、四修で旧制浦和高等学校の受験に挑戦するが、落第した。[11]
1930年︵昭和5年︶、旧制浦和高等学校文科甲類入学。当時の旧制学校は昭和恐慌もあり同盟休校が盛んに行われた﹁シュトゥルム・ウント・ドランク﹂︵疾風怒濤︶の時代だったが、福田自身は左翼的な学生運動には関わらなかった。小説から戯曲に関心を移し、高校時代に劇作家を志す。高校三年時に執筆した﹁我国新劇運動の過去と未来﹂では、小山内薫没後まもない演劇界の左翼・マルクス主義傾向を批判している。また同時期に、アドルフ・アッピア︵舞台演出家︶の"L'Oeuvre D'art Vivant"の第一章を英訳版から重訳している。1932年︵昭和7年︶開設の築地座に応募作品﹁或る人の街﹂を送り、佳作に選ばれた。[12]
1933年︵昭和8年︶、東京帝国大学文学部英吉利文学科︵英文科︶入学。高校末期から大学初期にかけ執筆は劇作から批評に重きを置いた。これは小林秀雄の影響によるものだが、福田自身は小林の影響がこれ以上及ぶことを恐れ、﹃文藝評論﹄など僅かな作品にしか触れていない。[13]。
戦前・戦中
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1936年︵昭和11年︶3月、東京帝国大学文学部英吉利文学科卒業。卒業論文は﹁D・H・ロレンスに於ける倫理の問題﹂、英題"Moral Problems in D. H. Lawrence"︶。同年、徴兵検査を受け、丙種合格兵役免除。東大卒業後は旧制中学教師、出版社、団体職員などで勤務した[1]。
1937年︵昭和12年︶1月、同期の友人高橋義孝に誘われ第一次﹃作家精神﹄の後継誌である﹃行動文学﹄の同人となり、論壇デビュー作として﹁横光利一と﹃作家の秘密﹄﹂を発表した。同年4月、不況下で就職先がなく、東京帝国大学大学院入学。1938年︵昭和13年︶5月から静岡県立掛川中学校︵現・静岡県立掛川西高等学校︶で教鞭を執るが、校長との不和により翌年7月に退職した。
1940年︵昭和15年︶には中学時代の恩師である西尾実の紹介により、雑誌﹃形成﹄編集者となる。このころ、神奈川県立湘南中学校︵現・神奈川県立湘南高等学校︶、浅野高等工学校︵現・浅野工学専門学校︶、日本大学医学部予科で教鞭を執る。1941年︵昭和16年︶、西尾の紹介で日本語教育振興会に参加し、雑誌﹃日本語﹄編集に関わった。翌1942年︵昭和17年︶には日本語教育振興会の命令により満州、モンゴル、中国を視察する。1944年︵昭和19年︶、日本語教育振興会退職。同年、太平洋協会研究員。
1944年︵昭和20年︶1月、西尾の媒酌により西本敦江︵西本直民長女︶と結婚。空襲が激しさを増す中で恆存以外の家族は静岡県に疎開する。同年6月、東京女子大学講師。
戦後
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1946年︵昭和21年︶10月、月刊誌﹃展望﹄にて﹁民衆の心﹂を発表。同年3月、神奈川県中郡大磯町に移住し、一家を疎開先の静岡県から呼び寄せる。1947年︵昭和22年︶に﹃批評﹄同人となる。また、中村光夫、吉田健一と共に鉢の木会を結成する。1950年︵昭和25年︶に多摩美術大学教授。同年には岸田國士による﹁雲の会﹂創設に参加。1951年︵昭和26年︶、チャタレイ裁判に被告人側の特別弁護人として出廷し、小山書店社長小山久二郎の無罪を主張した。
1969年︵昭和44年︶、京都産業大学教授。京都には在住せず、月に一度の集中講義を行った。1983年︵昭和58年︶、京都産業大学退職。1981年︵昭和56年︶より日本芸術院︵第2部︶会員。
晩年
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1987年︵昭和62年︶から1988年︵昭和63年︶にかけ﹃福田恆存全集﹄を刊行したが、平成に入ってからは、いくつかの雑誌に数ページ分の随筆・所感を書いた以外は執筆発表を行わず、﹃福田恆存翻訳全集﹄が完結した翌年の1994年︵平成6年︶11月20日に、肺炎により東海大学医学部付属大磯病院で没した[1]。享年82。戒名は実相院恆存日信居士[14]。12月9日に青山葬儀所で本葬・告別式が行われた。葬儀委員長は作家阿川弘之で、林健太郎、久米明等が弔辞を述べた。墓所は神奈川県中郡大磯町妙大寺福田家之墓。
主な業績は、前記の﹃全集﹄や﹃翻訳全集﹄にまとめられた。ただし自選により、短編の論文随想に加え唯一の新聞連載小説である﹃謎の女﹄︵新潮社、1954年︵昭和29年︶︶をはじめ、生前刊行の全集・著作集には、未収録で知られざる論考著作も多い。2007年︵平成19年︶11月より、福田逸︵次男・明治大学商学部教授で、演出家・翻訳家・財団法人﹁現代演劇協会﹂[15]理事長として演劇活動を継いだ︶等の編集により、﹃福田恆存評論集﹄︵麗澤大学出版会、カバー装丁︶が刊行完結した︵下記の全集・著作集を参照︶。
活動
[編集]文芸評論
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﹃行動文学﹄の同人として、﹁横光利一と﹃作家の秘密﹄﹂などを発表し文芸評論を開始。文芸評論者としては嘉村礒多、芥川龍之介らに関する論考が、戦前や戦後間もない時期の主な作品である。また1947年︵昭和22年︶に﹃思索﹄春季号に発表された﹁一匹と九十九匹と﹂は、政治と文学の峻別を説く内容で、﹁政治と文学﹂論争に一石を投じた。この作品を福田の代表作とみなす見解も多い。﹃群像﹄1948年6月-7月に﹁道化の文学―太宰治論﹂を発表。1949年︵昭和24年︶より日英交流のための団体﹁あるびよん・くらぶ﹂に参加[16]。
昭和20年代後半より、文学への関心は次第に個別の作家論や文芸批評を離れていった。この時期の代表作は、芸術をより根本的に論じた1950年︵昭和25年︶の﹃藝術とは何か﹄︵要書房︶や、芸術・演劇論から人間論にまで展開した1956年︵昭和31年︶の﹃人間・この劇的なるもの﹄︵新潮社︶などの著作である。1950年、多摩美術大学で教授を務めた[17]。
政治
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福田恆存の名を世間で有名にしたのは、進歩派全盛の中での保守派の論争家としての活動であった。1954年︵昭和29年︶に﹃中央公論﹄12月号に発表した﹁平和論の進め方についての疑問﹂で、当時全盛であった進歩派の平和論を真っ向から判した。
福田は、﹁平和論の進め方についての疑問﹂以降、論壇から﹁保守反動﹂呼ばわりされ、﹁村八分﹂の処遇を受けたと述懐している[18]。﹃朝日新聞﹄論壇時評︵1951年10月〜1980年12月︶では、﹁平和論の進め方についての疑問﹂以降、言及が即座に無くなったわけではなく、1966年までは比較的言及されているが︵言及数24︶、しかし肯定的に取り上げられているのは17で31人中第28位となり、中野好夫︵49︶、小田実︵40︶、清水幾太郎︵39︶の半分以下となる[19]。さらに、否定的に取り上げられているのは7であり、否定的に取り上げられる割合は30・8%となり、31人中のトップとなる[19]。
例えば都留重人は以下のように取り上げている[20]。
ベトナム問題が論壇をにぎわしているのは、これで四ヶ月目だが、今月になって目立つことは、アメリカの政策を支持する論文の登場である。中でも、一番むきになってこの役をはたそうとしているのは、福田恒存の﹁アメリカを孤立させるな﹂︵文芸春秋︶であろう。福田はいろいろなことを、いわば文学者的特権で、証明なしに言っている︵後略︶ — ﹃朝日新聞﹄論壇時評 1965年6月22日
しかし1967年以降からは、肯定的・否定的に関わらず言及されなくなり、竹内洋は﹁﹃保守反動﹄評論家というレッテルが定着したのだろう﹂と述べている[19]。このように福田は論壇では否定、そして無視されていくようになる[21]。坪内祐三は、福田が﹃問ひ質したき事ども﹄︵1981年︶を刊行したころは保守論壇からも完全に孤立していた、と評している[22]。
1977年︵昭和52年︶から1979年︵昭和54年︶には、フジテレビ系列の政治討論番組﹃福田恆存の世相を斬る﹄︵世相を斬るシリーズにおいては第3代目︶の司会進行でテレビ出演もしていた。この時期には韓国大統領朴正煕と親交があり、没時に回想記も発表した。
右派の漫画家・小林よしのりは、﹃修身論﹄後半の一章[23]を使い、福田の﹁人間は生産を通じてでなければ付合えない。消費は人を孤独に陥れる﹂[24]︵﹁消費ブームを論ず﹂1961年 原文原題は本字体歴史的仮名遣い︶を引用し、自身のスタッフに﹁福田恆存のこの言葉を噛みしめよ﹂と述べている。
国語国字問題
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戦後の国語国字改革を批判し、1955年︵昭和30年︶から翌年にかけての金田一京助たちとの論争で︵﹁国語改良論に再考をうながす﹂﹁知性﹂1955年10月号など︶﹁現代かなづかい﹂・﹁当用漢字﹂の不合理を指摘した。その集大成が歴史的仮名遣のすすめを説く﹃私の國語敎室﹄︵新潮社、初版1960年︵昭和35年︶、読売文学賞受賞︶である。著書全ては歴史的仮名遣で書かれたが、出版社の意向で文庫再刊等の一部は、現代かなづかいを用いている。
翻訳
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翻訳家としての代表作は、シェイクスピア﹁四大悲劇﹂を初めとする主要戯曲、ヘミングウェイ﹃老人と海﹄、D・H・ローレンス最晩年の評論﹃アポカリプス論﹄︵初版は邦題﹃現代人は愛しうるか﹄白水社、1951年︵昭和26年︶に初刊︶、ワイルド﹃サロメ﹄、﹃ドリアン・グレイの肖像﹄である。
堀内克明は、著書﹃誤訳パトロール﹄︵1989年、大修館書店︶で﹃恋する女たち﹄︵新潮文庫︶の福田のテキストから、﹁a long, slow look﹂を﹁遠いどんよりしたまなざし﹂としている語その他を﹁初歩を誤った﹂誤訳であると指摘している︵堀内によれば、この表現は正しくは﹁ゆっくり、じっと﹂という、距離ではなく時間としてのlongとslowであるとする︶。小川高義は、﹃老人と海﹄︵光文社古典新訳文庫、2014年︶訳者解説で、老人の﹁aloud﹂を福田が﹁叫ぶ、ののしる﹂など感情的に翻訳している点を批判、老人の性格描写および近現代の用法からその語は単に﹁口にした﹂程度のものである、と考察している。
演劇人として
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劇作家、演出家でも活躍した。福田恆存︵1912年生︶は、1930年代の十代より評論、劇作を開始、﹃我国新劇運動の過去と現在﹄を発表するなど、新劇運動にも参画した。支持を表明する築地座︵1932年結成︶の戯曲公募にも応じ、処女作﹃或る街の人﹄が佳作に選ばれた事で、友田恭助らの面識を得る[25]。文壇へのデビュー後には、岸田國士が主宰する雲の会︵1950年結成︶に参加し[26]、文学座でのシェイクスピア悲劇﹃ハムレット﹄︵1955年初演︶の翻訳、演出を行った[27]。1963年からは、財団法人・現代演劇協会の理事長を務め、協会附属の劇団雲、劇団欅、更には劇団昴を主宰する[28]。
やがて芥川と対立すると、協会内で新たに﹁劇団欅﹂を設立し、﹁劇団雲﹂から手を引いて芥川らと一線を画するようになった。1975年︵昭和50年︶に芥川、仲谷、岸田、中村伸郎ら﹁劇団雲﹂の大部分が現代演劇協会を離脱し、﹁演劇集団 円﹂を設立すると、﹁劇団雲﹂の残留派と﹁劇団欅﹂を統合し、﹁劇団昴﹂を結成した。
1981年︵昭和56年︶に﹃演劇入門﹄︵えんげきにゅうもん︶[29]を刊行。没後の2020年︵令和2年︶に﹃演劇入門 増補版﹄︵2020年8月、中央公論新社︶が中公文庫で再刊された[30]。
家族・親族
[編集]著作
[編集]評論
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- 以下は没後刊
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- 語句集
- 『日本への遺言 福田恆存語録』(文藝春秋、1995年、文春文庫、1998年)
- 中村保男・谷田貝常夫編 - ※著作を軸に約300篇の語録断章を編む
- 『滅びゆく日本へ 福田恆存の言葉』(河出書房新社、2016年6月)
- 佐藤松男編 - ※著作全体から約400篇の語句を編み解説
戯曲・小説
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翻訳
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●エーヴ・キュリー
●戰塵の旅 ロシア篇︵坂西志保との共訳、日本橋書店、1946年︶
※アジア篇も刊行予告されたが未刊。
●アーネスト・ヘミングウェイ
●老人と海︵チャールズ・E・タトル商会、1953年/改訂版1956年︶
●老人と海︵ヘミングウェイ全集 第10巻‥三笠書房、1956年/改訂版1966年/決定版﹁第7巻﹂1973年︶
●ヘミングウェイ︵世界の文学 第44巻‥中央公論社、1964年/新装版1993年︶、﹃老人と海﹄を所収
●老人と海︵新潮文庫、1966年、改版1994年、新訂版2003年︶
●ヘミングウェイII︵新潮世界文学 第四十四巻‥新潮社、1970年︶、﹃老人と海﹄を所収
●T・S・エリオット
●カクテル・パーティ︵小山書店、1951年 / 創元文庫、1952年︶
●現代世界文学全集 (26) T・S・エリオット︵新潮社、1954年︶、﹃カクテル・パーティー﹄、﹃一族再会﹄、﹃寺院の殺人﹄を所収。
●エリオット全集 (2) 詩劇︵中央公論社、1960年、改訂版1971年、新装版1981年︶、同上
●オスカー・ワイルド
●ワイルド語録︵池田書店、1950年︶
●獄中記︵新潮文庫、1954年、改版1968年︶
●サロメ︵新潮社、1958年 / 岩波文庫、1959年、改版2000年︶
●ドリアン・グレイの肖像︵新潮文庫、1962年、改版1967年、新装改版2004年︶
●アーサー卿の犯罪︵中央公論社、1952年 / 福田逸との共訳、中公文庫、1977年︶、短編集
●J・M・バリー
●あっぱれクライトン︵鳴海四郎との共訳、河出市民文庫、1953年︶
●ジェームズ・サーバー
●現代イソップ︵万有社、1950年︶
●SEXは必要か︵E・B・ホワイト共著、南春治との共訳、新潮社︿一時間文庫﹀、1953年︶
●D・H・ロレンス
●恋する女たち︵新潮文庫 全3巻、1952年 / 改版全2巻、1969年︶
※旧版は1950年-1951年に﹁ロレンス選集9・10﹂で刊行︵小山書店、上・中巻のみで中絶︶
●性・文学・検閲︵新潮社、1956年︶、※論文集で中村保男が下訳
●死んだ男・てんとう虫︵新潮文庫、1957年︶
●ロレンスI︵新潮世界文学 第三十九巻‥新潮社、1970年︶に所収。
●現代人は愛しうるか 黙示録論︵白水社、1951年 / 筑摩叢書、1965年︶、※遺作﹁アポリカブス﹂の訳
●改訳版︵中公文庫、1982年 / ちくま学芸文庫、2004年︶、後者の解説は高橋英夫
●G・K・チェスタトン
●正統とは何か︵チェスタトン著作集︵1︶、春秋社、1973年、新装版1995年、2009年︶、※実際は安西徹雄により翻訳。
●詩人と狂人たち︵国書刊行会︿世界幻想文学大系﹀、1976年 / 創元推理文庫、1977年︶、※実際は中村保男により翻訳。
●バーナード・ショー
●聖女ジャンヌ・ダーク[34]︵松原正との共訳、新潮社、1963年︶
●ヘンリク・イプセン
●ヘッダ・ガーブラー︵中央公論社、1979年︶、※英訳版より翻訳
●ソポクレス
●オイディプス王・アンティゴネ︵新潮文庫、1984年、改版2014年︶、※英訳版より翻訳
●コリン・ウィルソン
●アウトサイダー︵河出書房新社、1957年︶、※中村保男との共訳
全集・著作集
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●福田恆存著作集︵全8巻、新潮社、1957年-1958年︶、3巻目までは創作集、他の5巻は評論集
●福田恆存評論集︵全7巻、新潮社、1966年︶、5巻目までは上記新版
●福田恆存全集︵全8巻、文藝春秋、1987年-1988年︶、実質は自選集、第7巻に年譜、第8巻は創作集
●福田恆存翻訳全集︵全8巻、文藝春秋、1992年-1993年︶、半数がシェイクスピア作品
●福田恆存評論集︵全20巻別巻1、麗澤大学出版会、2007年11月-2011年3月︶
※当初は全12巻別巻1で、2009年中に完結予定だったが同年に変更。別巻はホレイショー日記・年譜、著書目録、索引ほか。
●福田恆存戯曲全集︵全5巻別巻1、文藝春秋、2008年11月-2011年5月︶
別巻は﹁劇場への招待﹂、﹁私の演劇白書﹂、﹁觀客への訴へ﹂ほか。
●福田恆存対談・座談集︵全7巻、玉川大学出版部、2011年4月-2012年10月︶
主な編著
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●芥川龍之介研究-作家研究叢書︵新潮社、1957年︶
●國語問題論爭史︵新潮社、1962年︶- 著者名は福田だが、実質は門下生土屋道雄がまとめた。
土屋道雄﹃國語問題論爭史﹄︵玉川大学出版部、2005年︶、ISBN 4472403153 - 増訂版
●現代日本思想大系32反近代の思想︵筑摩書房、1965年︶- 福田名義での解説担当だが、実際は西尾幹二による口述筆記。
●中国のすべて 日本の将来︵企画・監修、高木書房、1973年︶
●ソ連のすべて 日本の将来︵同、高木書房、1974年︶
●教育のすべて 日本の将来︵同、高木書房、1974年︶
●新聞のすべて 日本の将来︵同、高木書房、1975年︶
●国家意識なき日本人 日本の将来︵同、高木書房、1976年︶
●中国はどうなるか 続・中国のすべて 日本の将来︵桑原寿二と企画監修、高木書房、1976年︶
●憲法のすべて 日本の将来︵同、高木書房、1977年︶
●朝鮮半島のすべて 日本の将来︵同、高木書房、1977年︶
●福田恆存 世相を斬る︵サンケイ出版、1978年︶‐ ※日曜午前のテレビ番組でのゲストとの対談。
音声
[編集]- 福田恆存講演 第1集 日本の近代化とその自立 (新潮カセット、新潮社、1996年4月)- 第1・2集は連続講演「処世術から宗教まで」。
- 福田恆存講演 第2集 理想の名に値するもの(新潮カセット、新潮社、1996年6月)- 1976年3月から1977年3月にかけ三百人劇場で行われた。
- 福田恆存講演 第3集 近代日本文学について/シェイクスピア劇の魅力(新潮カセット、新潮社、1996年8月)
評論・研究
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●井尻千男﹃劇的なる精神 福田恆存﹄日本教文社︿教文選書﹀、1994年6月。ISBN 4-531-01517-7。
●井尻千男﹃劇的なる精神 福田恆存﹄徳間書店︿徳間文庫 教養シリーズ﹀、1998年7月。ISBN 4-19-890934-2。
●岩本真一﹁第3章 福田恆存の﹁近代の超克﹂論―﹁言葉﹂と﹁共同体﹂﹂﹃超克の思想﹄水声社、2008年12月。ISBN 4-89176-704-9。
●遠藤浩一﹃福田恆存と三島由紀夫 1945〜1970﹄麗澤大学出版会︵上・下︶、2010年4月。ISBN 4-89205-596-4 / ISBN 4-89205-597-2。
●岡本英敏﹃福田恆存﹄慶應義塾大学出版会、2014年4月。ISBN 4-7664-2128-0。
●川久保剛﹃福田恆存 人間は弱い﹄ミネルヴァ書房︿日本評伝選﹀、2012年7月。ISBN 4-623-06388-7。
●金子光彦﹃福田恆存論﹄近代文芸社、1996年5月。ISBN 4-7733-5405-4。
●久米明﹃僕の戦後舞台・テレビ・映画史70年﹄河出書房新社、2018年11月。ISBN 4-309-27985-6。後半が師・福田恆存との回想記。
●向坂隆一郎﹃回想の向坂隆一郎﹄向坂隆一郎追悼集編集会、1984年。[35]
●斎藤禎﹃文士たちのアメリカ留学 一九五三~一九六三﹄書籍工房早山、2018年12月。ISBN 4-904701-54-2。[36]
●辻村明﹁偽善との戦い―孤高の精神 福田恆存﹂﹃自分と戦った人々﹄高木書房、1993年4月。ISBN 4-88471-042-8。
●土屋道雄﹃福田恆存と戦後の時代-保守の精神とは何か﹄日本教文社︿教文選書﹀、1989年8月。ISBN 4-531-01511-8。[37]
●坪内祐三﹁﹁一九七九年の福田恆存﹂および﹁丸山真男か福田恆存か﹂﹂﹃ストリートワイズ﹄晶文社、1997年4月。ISBN 4-7949-6301-7。
●坪内祐三﹁﹁一九七九年の福田恆存﹂および﹁丸山真男か福田恆存か﹂﹂﹃ストリートワイズ﹄講談社文庫、2009年4月。ISBN 4-06-276332-X。
●坪内祐三﹁一九八二年の﹁福田恆存論﹂﹂﹃後ろ向きで前へ進む﹄晶文社、2002年8月。ISBN 4-7949-6540-0。
●中村保男﹃絶對の探求 福田恆存の軌跡﹄麗澤大学出版会、2003年8月。ISBN 4-89205-467-4。
●西尾幹二﹁﹁素心﹂の思想家・福田恆存の哲学﹂﹃真贋の洞察﹄文藝春秋、2008年10月。ISBN 4-16-370370-5。
●西部邁﹁﹁言葉の弓射る﹂精神の書 ︿福田恆存全集﹀刊行に寄せて﹂﹃ニヒリズムを超えて﹄角川春樹事務所︿ハルキ文庫﹀、1997年11月、170-173頁。ISBN 4-89456-362-2。 - 日本文芸社︵1989年︶を改訂。
●西部邁﹁保守思想の神髄――福田恆存﹂﹃日本の保守思想﹄角川春樹事務所︿ハルキ文庫﹀、2012年5月、224-264頁。ISBN 4-7584-3662-2。 -﹃思想史の相貌﹄︵世界文化社、1991年︶を改題・改訂
●西部邁﹁106 福田恆存﹂﹃学問﹄講談社、2004年4月、342-344頁。ISBN 4-06-212369X。
●浜崎洋介﹃福田恆存 思想の︿かたち﹀ イロニー・演戯・言葉﹄新曜社、2011年11月。ISBN 4-7885-1263-7。
●福田逸﹃父・福田恆存﹄文藝春秋、2017年7月。ISBN 416-3906886。
●福田逸﹃父・福田恆存﹄文春学藝ライブラリー、2021年6月。ISBN 416-8130924。
●前田嘉則﹃文學の救ひ 福田恆存の言説と行為と﹄郁朋社、1999年4月。ISBN 4-87302-0204。
●持丸博、佐藤松男﹃証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決﹄文藝春秋、2010年10月。ISBN 4-16-373250-0。
●﹃総特集 福田恆存―人間・この劇的なるもの﹄河出書房新社編、2015年5月。ISBN 4-309247091
入門・福田恆存、インタビュー、メモワール、福田恆存論セレクション、福田恆存への10の視点、単行本未収録作品、主要著作30作ガイドほか
脚注
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(一)^ abcdef“福田恆存 ~︿戦後﹀に異議あり 保守の論客~” (PDF). グレート・ワークスの世界 ―近現代日本の思想と学問―. 神奈川県立図書館. 2014年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月28日閲覧。
(二)^ “福田恒存”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2012年6月23日閲覧。
(三)^ 三谷太一郎﹁﹁文明化﹂・﹁西洋化﹂・﹁近代化﹂をめぐって‥ 福沢諭吉と丸山眞男─日本近代の先導者と批判者─﹂﹃日本學士院紀要﹄第72巻Special_Issue、2018年、226頁、doi:10.2183/tja.72.Special_Issue_209。
(四)^ ﹃吉本隆明全集9 1964-1968﹄晶文社、2015年6月、283-296頁。
(五)^ ﹃﹃平衡感覚ー福田恆存を悼んで﹄、柄谷行人、新潮﹄新潮社、1995年2月、250-253頁。
(六)^ “ハンドブック近代日本政治思想史 幕末から昭和まで”. www.minervashobo.co.jp. ミネルヴァ書房. 2023年9月12日閲覧。
(七)^ “演劇入門 -福田恆存 著|文庫|中央公論新社”. www.chuko.co.jp. 2023年8月13日閲覧。
(八)^ 竹内洋﹃メディアと知識人 - 清水幾太郎の覇権と忘却﹄中央公論新社、2012年、308頁。ISBN 978-4120044052。
(九)^ “孟子 盡心上”. 中國哲學書電子化計劃. 2012年6月21日閲覧。 “人之有德慧術知者,恒存乎疢疾”
(十)^ 川久保2017 6-10頁
(11)^ 川久保2017 11-13頁
(12)^ 川久保2017 14-24頁
(13)^ 川久保2017 24-34頁
(14)^ 岩井寛﹃作家の臨終・墓碑事典﹄︵東京堂出版、1997年︶283頁
(15)^ 設立50年目の2013年秋に一旦解散した。
(16)^ 同会の出版部編集委員として活動。会誌﹃あるびよん﹄の編集委員を務める。﹃あるびよん﹄創刊号、新月社、1949年
(17)^ http://www.shiro1000.jp/tau-history/tama-zoukei/tama-zoukei.html
(18)^ ﹃福田恆存全集 第三卷﹄﹁覚書三﹂
(19)^ abc竹内 2011, p. 289.
(20)^ 竹内 2011, p. 288.
(21)^ 竹内 2011, p. 290.
(22)^ ﹃諸君!﹄1997年11月号、呉智英・坪内祐三﹁福田恒存から断筆・筒井康隆まで戦後論壇この50人・50冊﹂
(23)^ 小林よしのり﹃ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論﹄マガジンハウス、2010年、203-206頁。
(24)^ ﹃福田恆存全集 第五卷﹄文藝春秋、1987年。
(25)^ 川久保剛﹁福田恆存 ミネルヴァ日本評伝選﹂、ミネルヴァ書房、2012年、pp.18-23。
(26)^ 宮野江里加﹁﹁雲の会﹂論——文学立体化運動の再考﹂﹃身体表象﹄第3巻、身体表象文化学会、2020年3月、2023年8月13日閲覧。
(27)^ 井上優﹁岩田豊雄の中のシェイクスピア--1955年 福田恆存演出﹃ハムレット﹄成立の一背景﹂﹃西洋比較演劇研究﹄第19巻第1号、西洋比較演劇研究会、2020年、23-37頁、doi:10.7141/ctr.19.23、ISSN 1347-2720、NAID 130007825948。
(28)^ “現代演劇協会年表 – 現代演劇協会 デジタルアーカイヴ”. onceuponatimedarts.com. 2023年8月13日閲覧。
(29)^ ﹃演劇入門﹄玉川大学出版部、1981年6月15日。後年にオンデマンド版で再刊
(30)^ “演劇入門 -福田恆存 著|文庫|中央公論新社”. www.chuko.co.jp. 2023年8月13日閲覧。
(31)^ ﹃演劇入門 増補版﹄︵中公文庫︶は、1980年代に発表された﹃演劇入門﹄に、評論を追加。なお版元・中央公論新社は、2000年代に読売新聞社を軸とするメディア・コングロマリットの一社となった。
(32)^ 昭和37年から昭和55年にかけ、九州で四度行った講演と問答集
(33)^ 編著﹃シェイクスピア バースデイブック SHAKESPEARE BIRTHDAY BOOK﹄︵現代演劇協会、新潮社制作、1967年、村上芳正装丁︶、非売品で左に語句、右に日記・メモ帳
(34)^ ﹃ノーベル賞文学全集20 ジョージ・バーナード・ショー ほか﹄に受賞演説と収録︵主婦の友社、1972年︶
(35)^ 新潮社の編集者で、退社後は演劇関係で福田を支えた
(36)^ ﹁第9章 アメリカから帰った福田恆存は、﹁文化人﹂の﹁平和論﹂を果敢に攻撃した﹂を収録。著者は文藝春秋﹁諸君﹂などでの担当編集者
(37)^ 著者自身により、Amazon Kindleで再刊。2012年11月
参考文献
[編集]- 竹内洋『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、2011年10月)ISBN 978-4120043000
- 川久保剛『福田恆存-人間は弱い』(ミネルヴァ書房、2012年7月)ISBN 978-4623063888
- 福田逸『父・福田恆存』(文藝春秋、2017年7月)ISBN 978-4163906881
関連項目
[編集]関連人物
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