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エピソード[編集]
●福島時代、飛行場でのイベントの実況放送中、グライダーが目の前で空中分解した事故を起こし、そのまま伝えたところ、﹁航空機の事故は当局発表のもの以外、いっさい放送禁止になっているが、その禁令を犯した﹂として、隣席にいた逓信省の放送監督官によって放送を打ち切られ︵当時は監督官が逐次番組内容をチェックし、逸脱した場合は放送中止を強制できる決まりだった。放送禁止事項参照︶、自宅謹慎命令が下ったが、顔見知りだった福島連隊区司令官が﹁グライダーにはエンジンがないから、航空機に該当しない﹂と主張したため、不問に付された[2]。
●双葉山定次が引退した1945年6月の夏場所は非公開︵招待された少数の傷痍軍人を除く︶・放送なしで行われたが、藤倉はこの場所の海外向け短波放送のための実況を担当した[1]。短波放送は一般向け受信機が一切流通しておらず、もっぱら対外謀略のためのみに使われており、この実況中継は日本国内が平静であることを海外に向けて宣伝するためのプロパガンダであった。大相撲放送の実況アナウンサーを念願していた藤倉は、願いが皮肉な形で実現したことについて﹁悲しいピエロみたいなもの﹂と述懐している[1][5]。
出演番組[編集]
●街頭録音
●あなたの記憶
●﹃マイク餘談﹄隆文堂、1948年5月15日。NDLJP:2461307。
●﹃マイクとともに﹄講談社、1952年3月30日。NDLJP:1659754。
●﹃マイク交友録 : ぶっつけ本番のアナ人生敢闘記﹄普通社︿Rigeon Books﹀、1963年1月30日。NDLJP:2498998。
●﹃会議・行事の司会術入門﹄日本実業出版社、1978年。 ︵1994年再刊︶
●﹃マイク人生うらおもて﹄エイジ出版、1982年5月11日。NDLJP:12259855。
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※2021年以降はアナウンサー以外の男性司会者(2021年以降は白組だけでなく全体の司会を担当) |