青い眼の人形 (楽曲)
﹃青い眼の人形﹄︵あおいめのにんぎょう︶は、1921年に発表された日本の童謡。
概要[編集]
野口雨情作詞[1]、本居長世作曲[2]で﹃赤い靴﹄と同様、異国情緒をかもし出す童謡である。一方で日米の友情を築く意味で作られた楽曲でもある[3]。1921年︵大正10年︶12月、﹃金の船﹄︵キンノツノ社︶に発表された。雑誌掲載時のタイトルは﹃靑い目の人形﹄。なお、野口雨情には同名の童謡集︵1924年発表︶がある[1]。1923年、関東大震災が起こった時は海外からも多くの募金が寄せられたが、アメリカでも義援金を募る際にこの﹃青い眼の人形﹄が歌われた [4]。第二次世界大戦中では、童謡﹃赤い靴﹄と同じように、敵国の歌とみなされて歌う事が禁じられた。なお、﹃青い眼の人形﹄はキューピー人形から発想を得て作られた歌であり、昭和初期にアメリカから日本に贈られた友情人形が﹁青い目の人形﹂と呼ばれたのはこの歌に因む。 野口雨情の出身地である茨城県北茨城市の中郷サービスエリアの付近には、﹃青い眼の人形﹄の歌碑が建てられている。JR磯原駅東口ロータリーにも﹃青い眼の人形﹄などのメロディが流れるからくり時計が設置されている[5]。歌詞[編集]
青い眼の人形
青(靑)い眼(目)をした お人形は アメリカ生れの セルロイド(ト) |
日本の港へ ついたとき 一杯涙を うかべてた |
「わたしは言葉が わからない 迷ひ子になつたら なんとせう」 |
やさしい日本の 嬢ちやんよ 仲よく遊んで や(遣)つとくれ |
括弧内は雑誌掲載時の表示。
曲調[編集]
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