艾未未(アイ・ウェイウェイ)の少年時代 文 / 牧陽一 この文を書こうと思ったのは2016年4月、艾未未の弁護士である、劉暁原(リウ・シャオ ユエン)が彼のインスタグラムにCCTVの「1950年代に生まれて(生于五十年代)」という番組を貴重な映像記録として紹介していたからだった。艾未未にTwitterのDMで訊くと、2008年の制作だという。艾未未に対する弾圧が始まってから8年間もお蔵入りしていたというわけである。このドキュメンタリーの出演者は1950年代生まれの6人、漫才師の姜昆、書家の呉歓、医者の卒淑敏、実業家の任志強、そしてアーティストの陳丹青と艾未未である。陳丹青・艾未未『非芸術訪談』(人民文学出版社)は2007年だから刊行できたが、翌年の2008年5月12日四川汶川大地震以降のブログ記事を発表以降、つまり手抜き建築の小中学校の調査、亡くなった子供たちの名簿の制作を始めた時期から艾
中国南部・広西チワン族自治区武宣の市街地を歩く女性(2016年5月8日撮影)。(c)AFP/GREG BAKER 【5月13日 AFP】中国では文化大革命(Cultural Revolution)の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。しかし、文革開始から50年を迎えた中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、包み隠そうと躍起になっている。 文化大革命は、大躍進政策(Great Leap Forward)で失敗し政敵打倒をもくろむ毛沢東(Mao Zedong)の主導で1966年に始まった。全土で暴力行為や破壊行為が10年続き、党主導の階級闘争は社会的混乱へと変貌していった。まだ10代の紅衛兵(Red Guards)たちは、「反革命的」だとして教師を撲殺。家族間で非難の応酬が起き、各地で激しい派閥争いも発生した。 だが、かつて毛沢東につい
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