ブックマーク / note.com/kusuburuboku (2)
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子どもは国の宝だ 未来ある若者が、、、 そんな言葉に、最近もやもやしている。 前提として、それらの言葉は正しいと思うし、間違っていないと思う。 ただ、 ﹁自立して社会に貢献する大人﹂になれなければ自己責任論を振りかざされるこの国の風潮に、辟易としているのかもしれない 大人は、その未来を生きている大人になると宝じゃなくなってしまうの? 若者と中年だと価値が変わるの? いや、そんなへ理屈が言いたいんじゃない。 でも、貧困問題を追うライターとして感じるのは、大人の貧困への風当たりの強さだ。 自身の貧困体験をnoteを出し、ありがたいことに大きな反響を呼んだ。 そこでは生い立ちから23歳までのことを書いた。 その後、現代ビジネスで、フェーズごとに記事を書いた。 そこでの反応はこうだ。 幼少期→同情 大学生時代→まあかわいそうかな 社会人→は?就職したら抜け出せるだろ? あまりの反応の違いに驚いた。
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西成区、新今宮という土地でホームレスの方とデートするという内容。 読んだ感想は、残酷だな、これに尽きる。 ﹁西成﹂と聞けば関西の人でなくても、多くの人はどのような土地であるかは想像できるだろう。少なくとも関西でその名を知らない人はいない。 その土地の特性の説明についてはほかに譲る。知らない人は調べることをお勧めする。︵その前提があるかないかで、また印象がさらに変わる︶ ”無自覚の特権層”である女性が、日雇い労働者の町に繰り出し、あくまで対等な関係として、”無邪気”にホームレスとの交流を描く。 ﹁どんな人とでも同じ人間としてフラットに交流し、楽しめる私﹂を描きたかったのか、﹁ここは人情や温かさのある街だ﹂と言いたかったのか、そこはわからない。 社会が生み出した、人間の尊厳に関わる深刻な問題の中にいる方をして、ここまで無邪気に、何も触れずに書き上げられることに不気味さを感じた。 そもそも、最初
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