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なんとも驚く結果だった。 それは東京都知事選。 午後8時ジャストに小池百合子氏が当確。のみならず、蓋を開けてみれば蓮舫氏を40万票近く上回り、石丸伸二氏が二位となっていたという逆転劇。 このことに、多くの人がショックを隠せないでいる。私もただただ驚いた。石丸氏に関してはまったくのノーマーク、まさか蓮舫氏以上の票を得るなど想像もしていなかった。 しかし、思い返せばその予兆は十分あったのだ。 たとえば都知事選が始まってすぐの頃。 普段全く政治について発信などしない若い有名アーティストなどが、SNSで石丸氏への支持を表明するという光景を幾度か見かけ、驚いていた。 え、もしかしてこの人、政治に無関心な若者の票をすごい勢いで掘り起こしてて、これまで選挙に行かない層に響いてる? そう思うことは何度かあった。 一方、街頭での熱気を感じる出来事もあった。選挙期間中、たまたま石丸氏の街宣の直前の様子を見かけ
5月24日、早朝4時半に私は起きた。重い身体に鞭打って身支度を整え、朝ごはんをむりやりお腹に詰め込み、ベーグルの形に丸まって寝ている猫に顔を埋めてエネルギーチャージして家を出た。「第2回桐生市生活保護業務の適正化に関する第三者委員会」を取材するために一路、群馬県桐生市へ。 ザクッとこれまでの経緯 昨年11月、桐生市で生活保護を利用していた男性が、ハローワークで求職活動をした証明とひきかえに、毎日窓口で一日1000円だけ渡されていたことが報道各社から報じられた。 嫌がらせとしか思えない過度な就労指導、最低生活費を大きく下回る分割支給、そして月単位にしても保護費を半額程度しか支給されなかった男性2人はその後、提訴に踏み切った。 同時期、生活保護決定後も保護費の支給が遅れに遅れただけにとどまらず、預けた覚えのないハンコを勝手に受領簿に押された利用者がいたことが報道された。その後の記者会見で、保護
1月1日に能登半島地震が起きた際、日本海沿岸にある原発への影響を心配した人は多かったのではないでしょうか。実際、この地震によって能登半島の志賀(しか)原発にはいくつものトラブルが起きていました。志賀原発の状況、そして事故の際の避難の難しさなどから、あらためて浮かび上がる原発再稼働の危険性について、NPO法人原子力資料情報室事務局長の松久保肇さんにご寄稿をいただきました。 2024年1月1日16時10分、能登半島の北東端、石川県珠洲市を震源とするマグニチュード(M)7.6(震源深さ16km)の地震が発生しました。最大震度7を計測する激しい揺れや、4mを超えるとみられる津波が能登半島の北岸などに到達し、きわめて大きな被害をもたらしています。今回の震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、大切な方をなくされたご遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。 今回の地震で観測された
昨年12月、福岡高裁那覇支部は、沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設をめぐって、国が県に代わって埋め立ての設計変更を承認する「代執行」を認める判断を出しました。県内からは強い反対の声があがり、軟弱地盤など数々の問題点も指摘されている中での、国の主張を全面的に認める判断。裁判所の傍聴席でそれを聞きながら、強い憤りを感じたというジャーナリストの布施祐仁さんに寄稿いただきました。 開廷すると、三浦隆志裁判長がすぐさま判決の主文を読み上げた。 「被告は(中略)3日以内に承認せよ」 沖縄県の敗訴であった。その瞬間、傍聴席の市民から「不当判決だよ!」と怒号が飛んだ。三浦裁判長はヤジを無視するかのように間を置くことなく判決の骨子を読み上げ、5分足らずで閉廷した。 この日、裁判所にあったのは法でも正義でもなく、「国家による問答無用の暴力」以外の何物でもなかった。 判決後、報道陣に「不当判決」と記した紙を掲
昨年、「総裁としての今任期中に改憲を目指す」と宣言した岸田首相。2022年末には敵基地攻撃能力(反撃能力)保有を認める「安保関連三文書」が閣議決定、憲法審査会では緊急事態条項についての議論が続けられるなど、なし崩しに改憲への道が開かれようとしているようにも感じます。近年の日本の政治と憲法の現状について、憲法研究者の志田陽子さんにお話を伺いました。 高等教育無償化も同性婚も、憲法改正なしで実現できる ──昨年11月、岸田首相は自民党総裁としての今任期が終了する2024年9月までに「改憲を目指す」と発言しました。かつて、安倍元首相も同様に「任期中に改憲を」と述べていたことが思い起こされますが、首相や与党が前のめりに「改憲」を叫ぶ近年の状況をどう見ておられますか。 志田 今から10年ほど前、野党だった自民党が「日本国憲法改正草案」を出したあたりから、「憲法改正を実現することが保守の政治家としての
また生活保護がバッシングに晒されている。 きっかけは、10月に京都で開催された「生存権を求める京都デモ」が報じられたこと。 生活保護利用者と支援者が「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはオシャレもしたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」と路上で訴えたという記事に、大きなバッシングが広がった。 バッシングは定番のもので、何がウナギだ、何が旅行だといったもの。 「働いてる自分だってウナギなんて食えないのに」。その怒りは、もちろん理解できる。しかしこの場合、怒りの矛先は先進国で30年間、唯一賃金が上がらない国の舵取りをしてきた現政権にこそ向けられるべきではないかと思うのだ。が、今回もおなじみの「弱いものがさらに弱いものを叩く」光景が繰り広げられている。 貧困問題に17年間関わっていると、こういう光景には飽き飽きしていて「何度目だろう…」と遠い目になるのだが、ここで、あのデモに腹が立ったという人た
9月のある日、大阪府大阪市に住む女性からつくろい東京ファンドにメールが届いた。 女性は生活困窮して城東区に生活保護の申請をした際、これまでに何度か金銭的援助を受けていたことから関係が悪化してしまった親に扶養照会をしないで欲しいと職員に説明した。女性は厚労省通知にも目を通し、扶養照会についても事前に学んだ上で、つくろい東京ファンドのホームページから扶養照会に関する申出書も印刷、記入して提出した。にもかかわらず、対応した職員は「厚労省の運用改善は知っているが、国と現場は違う」と譲らず、彼女の意思も意見もクレー射撃のように撃ち落とし、結局、親に扶養照会を強行した。 メールで彼女は申出書の共有を感謝しながらも、「一体、どうすれば止められたのでしょうか」と無力感をつづっていた。 彼女は「自分はされてしまった。だけど、次の方にとって使いやすい制度であって欲しい」と願い、面談時に録音した音声データと正確
マガジン9読者の皆さん、お久しぶりです。「明日できることは明日やる」をモットーに、やらなきゃならないことも先送りして呑気に構えていたら、いよいよ仕事が積もりに積もってしまい、にっちもさっちもいかなくなって恐慌をきたし、2カ月ほど連載をお休みさせていただきました。心配してくださった皆さん、ありがとうございました。 私は五十肩に苦しんだり、階段で滑って尾てい骨をしたたかに打ったりして落ち着きのなさは相変わらずですが、そこそこ元気にしております。ところで、「にっちもさっちも」ってなんでしょうね? 「それを考えると一晩中寝られないの」でお茶の間を温かい笑いに包んでくれた春日三球さんのご冥福をお祈りいたします。 ※「にっちもさっちも」は辞書で調べましたので、ちゃんと眠れました。 「住まいは人権」ハウジングファーストとは さて、連載復活の今日は、部屋探しの困難について。 私が何となく属している「一般社
日本維新の会が人気だ。 毎日新聞が5月に実施した「立憲民主党と日本維新の会、どちらが野党第一党にふさわしいか」(支持政党にかかわらず)という世論調査では、維新と答えた人が47%、立憲と答えたのは25%。倍近い差がつく結果となった。 維新を支持する層についてはこれまでさまざまな分析がなされてきた。低所得者が多いのではと言われていたがそうでもない、中堅サラリーマンや自営業などのプチ成功者が多いらしいとか、いろいろだ。 それらに対して私ごときでは検証しようもないわけだが、これまであまり語られてこなかったことに「ロスジェネの維新支持」という現象がある。 周りを見渡しても、2005年の小泉郵政選挙で自民党を支持し、今は維新支持というロスジェネは普通にいる。小泉の時は「既得権益批判」によって自分が上にいけると思い、今は維新を支持する層だ。正社員もいれば非正規もいる。 で、最近、見るともなしにテレビを見
昨年5月25日、在外日本人国民審査権に関する大法廷判決が出ました。15人の最高裁判事全員一致による戦後11件目の法令違憲判決で、弁護士の吉田京子さんはこの訴訟を代理人として闘われました。また、昨年8月には受刑者の選挙権を制限する公職選挙法の憲法適合性を問う訴訟を提起されています。これらの訴訟の意義についてお話しいただきました。[2023年1月14日(土)@渋谷本校] 「これは憲法に違反するのではないか」 この在外日本人国民審査権訴訟の発端は、2017年10月の衆議院総選挙でした。その日、東京は大雨で、私は傘をさして投票所に行きました。そして帰宅してフェイスブックを見ると、友人の投稿が目に入ってきたのです。当時ブラジルに住んでいた日本人の友人ですが、サンパウロに投票をしに行ったところ国民審査の投票ができなくて、「もしかすると、これは憲法に違反するんじゃないでしょうか」と書いていました。 この
三上智恵さんの「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記」でもたびたび伝えられているように、かねてから重い基地負担を負ってきた沖縄で、近年さらなる「軍事化」が急速に進んでいます。自衛隊拠点の建設、繰り返される米軍との共同演習……「島嶼防衛」の名の下で進むこうした動きに、アフガニスタンや東ティモールの紛争後処理に携わった経験を持つ東京外国語大学教授・伊勢崎賢治さんは強く警鐘を鳴らしています。「沖縄はむしろ、非武装化されるべきだ」──そう語る伊勢崎さんに、その理由をお聞きしました。 「ボーダーランド」の非武装化で「中立」を守る ──ここ数年、沖縄をはじめとする南西諸島の「軍事化」が急速に進んでいますが、伊勢崎さんはそれに強く反対されているとお聞きしました。 伊勢崎 今、日本政府は明らかに、中国、ロシア、北朝鮮を「仮想敵国」として想定していると思います。そうすると、そこにもっとも近い沖縄、そして北海道はいわ
鈴木邦男さんが亡くなった。 新右翼・一水会の創設者。享年79歳。晩年はその言動から「左翼」と言われることも多かった。とにかく日本の右翼・左翼の垣根を取っ払い、分断と対立を乗り越える象徴みたいな人だった。 そんな鈴木さんは、私にとってものすごく特別な人だ。なぜなら、私の人生は鈴木さんと出会ったことで大きく変わったからだ。だいぶおかしな方向に。 初めて会ったのは、私が物書きになるずっと前、20歳そこそこの頃だ。当時の私はフリーターで、北海道から上京してまだ2、3年。何者かになろうともがきながらも何をしていいのかわからなくて、とにかくいろんなイベントに通うなどして「自分探し」の真っ只中にいた。そんな頃、高円寺で開催されたサブカル系のイベントの打ち上げで隣になったのが鈴木さんだった。1996年頃だったと思う。 なんだかぼーっとしたおじさんだなぁ。それが第一印象だった。そんなぼんやりおじさんは話すと
コロナ禍の影響を最も受けた女性たち 12月22日木曜日は、私が担当している「カフェ潮の路」の年内最終営業日だった。 カフェでは経済的に余裕のある人が、余裕のない人のために料金を先払いする「お福わけ券」というシステムがある。 コロナ禍でこの券を利用する人たちが急増したのだが、特に若い女性の増加がずっと気がかりだった。 カフェのポリシー上、相手のご事情はこちらからは聞かない。関係性が構築され、本人が相談したいと思った時にいつでも速攻でサポートできるよう、気持ち的にはクラウチングスタートの姿勢で鼻息荒くSOSを待ち受けている。しかし、2年くらい待って、ようやく相手が相談してくださったときには、既に借金が巨大な雪だるまになっていることもある。それでも、生きてさえいれば解決不能なことなんてないから、とにかくお弁当を食べてもらう。毎週、顔を見てホッとする。本人の力を信じて、見守る。 必死に生きる女性た
ひろゆき氏のTweetが大きな批判を浴び、波紋を広げている。 辺野古の座り込み現場に行った、アレだ。 「新基地断念まで座り込み抗議3011日」と書かれた看板の横でピースサインするひろゆき氏。そんな写真とともに投稿された言葉は「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」 このTweetを見て、久々に、満面の笑顔が暴力になりうることを思い知った。 Tweetにはこの原稿を書いている時点で28万を超す「いいね」がついているものの、当然、抗議も殺到。多くの人が怒りを表明している。 私も怒りを強く持つ一人だが、一方で、あのような「笑顔での侮辱」は、これまで幾度も目にしてきたものでもある。多くのヘイトデモの場はもちろん、振り返れば、私が20代前半の頃にどっぷりハマっていた90年代サブカルの頃から、うんざりするほど目にしてきた。 冷笑的で、何かに必死になっている人を馬鹿にするような態度
「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」 辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での座り込みが3000日の節目を迎えた数日後。「座り込み抗議3011日」と表示された看板の横でピースサインをして笑う男性がこうツイートしたところ、1週間でおよそ30万の「いいね」がつき、賛否4000ものコメントが殺到した。ネット用語でいう「炎上」である。 投稿した2ちゃんねるの創始者で実業家のひろゆきさんは「論破王」の異名をとる論客。YouTubeやネットテレビで活躍、若い世代を中心に大変人気があるのは私も知っていた。社会問題への指摘が鋭いなと感じたこともあるし、慈善活動もされていると聞いている。そんな彼が辺野古に来たらどう言うかな? と思ったこともあった。しかし実際にそれが実現した日、私は午後早めに辺野古から引き揚げたのでニアミスだったのだが、事態は最悪の展開になっていく。 ・「1日に1時間
ホーム 雨宮処凛がゆく! 第609回:『彼女はなぜ、この国で 入管に奪われたいのちと尊厳』〜改めて、ウィシュマさんの死から考える。の巻(雨宮処凛) 「どうせ死んでもオオゴトになんてならないだろ」 この国には、長らくそんな意識が共有されてきた場所がある。 それは入管の収容施設だ。 2021年3月、スリランカ女性のウィシュマさんが亡くなったことで大きく注目された入管問題。今年9月には、入管施設で14年に亡くなったカメルーン男性の死をめぐる裁判の判決が出た。収容されていた男性は体調の悪さを訴え、「死にそうだ」ともがき苦しんでいたにもかかわらず職員は放置。その結果、命を落とした。地裁は入管職員に救急搬送を要請すべき義務があったと認め、国側に165万円の賠償を命じた。 ウィシュマさんの死をきっかけにその劣悪な処遇が注目されるようになった入管だが、07年以降、17人が施設内で命を落としている。うち5人
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