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2009.08.18 「チャンドラーのある」人生 (10) カテゴリ:文章論 この数か月、どんな本を読んできたか、あらためて考えてみた。 レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳)、『大いなる眠り』、『かわいい女』(創元推理文庫)、『湖中の女』、『プレイバック』、『高い窓』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。村上春樹『1Q84』(新潮社)、ジョージ・オーウェル『動物農場』(角川文庫)。ダシール・ハメット『マルタの鷹』(これは途中まで)。そして、今、目の前にあるのは『フイッツジェラルド短編集』(岩波文庫)。 要するに、村上春樹関連本ばかり読んでいるようなものである。しかし、この中でもっとも強くこころを動かされたのは、チャンドラーの文章である。 その文章の堅牢、精緻、剛健、精妙。そこには確かな「世界」がある。その世界に入るためのドアを開け、順路にしたがって歩を進める。その歩みのなかに
2006.02.17 ペダンティックについて カテゴリ:その他 ペダンティックということばがある。日本語に訳すと衒学的ということになる。しかし、ペダンティック、衒学的ということば自体が、なぜかペダンティックで衒学的である。なぜこういうことになるのか。 このことばはあまり一般的ではない。「えっと、聞いたことあるんだけど、それってどういう意味だっけ」と思われているあなた、あなたには罪はありません。おそらくはそう思わせるために巧妙に仕組まれた罠がこのふたつのことばなんですから、そんなものぜんぜん気にしなくていいですよ。 「デリダがいうように」「ヴィトゲンシュタインはこういっている」「ヤスパースもつとに指摘しているように」というような言い回しで相手を煙に巻く話し方をする手合いに対して使われることばが「ペダンティック」であり、「衒学的」である。 「知ったかぶり」と訳すと、ちょっとお人好しな印象を与え
「チャンドラーのある」人生 この数か月、どんな本を読んできたか、あらためて考えてみた。レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳)、『大いなる眠り』、『かわいい女』(創元推理文庫)、『湖中の女』、『プレイバック』、『高い窓』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。村上春樹『1Q84』(新潮社)、ジョージ・オーウェル『動物農場』(角川文庫)。ダシール・ハメット『マルタの鷹』(これは途中まで)。そして、今、目の前にあるのは『フイッツジェラルド短編集』(岩波文庫)。要するに、村上春樹関連本ばかり読んでいるようなものである。しかし、この中でもっとも強くこころを動かされたのは、チャンドラーの文章である。その文章の堅牢、精緻、剛健、精妙。そこには確かな「世界」がある。その世界に入るためのドアを開け、順路にしたがって歩を進める。その歩みのなかに感じる至福、充足、緊張、愉楽。極端なことをいえば、ストー
2008.03.03 大江健三郎v.s.伊集院光2 (15) カテゴリ:その他 泥棒の背中を洗う警官、その警官の背中を洗う女店員。ここには物語を、文体を立体的にする複数の視点が存在している。その伊丹の視点に大江は共感する。そのことばは伊丹を深く励ましたであろうと思う。伊集院が静かに語りはじめる。 「伊丹さんにはよく意味のわからないNGと、よく意味のわからないおっけーがあったんです。なぜ今のがだめなのか、なぜ今のがいいのか、やってるこっちにはよくわからない。でも役者はとにかく淡々と何度でも繰り返し演じるしかない。でも、あのシーンでは最初の出前持ちをからかうシーン、最後の背中を洗うシーン、あれはとにかく延々と繰り返し演技させられたのを覚えています。伊丹さんはその大江さんのことばを聞いて、きっと「報われた」と思ったと思いますよ」 ひとつの物語を複数個の視点から立体的に浮かび上がらせる。大江はこの
2006.02.01 非ジャーナリスト宣言 朝日新聞 (15) カテゴリ:SELECTION 私は通勤電車の中でドアのそばに立つことが多いのだが、最近居心地が悪くて困っている。ドアのすぐ脇の窓ガラスに貼ってある小さなポスターが原因である。それは写真と大きな文字のコピーからなっており、そのコピーの文面が私をおちつかなくさせるのである。 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」 どうです。おちつかない気分になるでしょう。なんだか胸のあたりがもやもやむかむかしてきませんか。おもわず赤ペンをもって添削したくなってくる。 添削例その1 「朝日新聞」は頭にもってきたほうがいいのではないだろうか。 「(朝日新聞の)言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。(おお、ぴったりだ)それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。(そりゃ、無謀だ
2006.03.08 自習室があいてないんです (5) カテゴリ:SELECTION 以前にも書いたことだが、最近の若者を自分たちとはまったく異なる新人類ととらえることに私は懐疑的である。理由は以下の通り。 1 人間はそもそも後続世代に対してそういう見方をしがちである(私がわざわざそれに加担する必要はない) 2 若い世代は基本的にわれわれの似姿であり、鏡である。 3 日常的に若者に接する機会の多い人間は「最近の若いやつは」という言い方を自制すべきだと思う。(これは根拠ではなくて、信念ですね。なぜそう思うかというと、若者と接する機会の少ない人はその発言をうのみにしちゃう可能性が高いからです。) ただし、だからといって世代間の意識の相違や変化を認めないというわけではない。そんなことはぜんぜんない。こちらの予期しない反応や態度を目にして驚くことはしばしばである。でもそれを若者の傾向ととらえるより
2006.01.31 文章のリセット効果について カテゴリ:文章論 文章を書く行為を定期的に続けていると、そこにはある効能が存在していることに気づく。それを一言でいえば「リセット効果」ということになるだろうか。 ふだんわれわれの頭の中はどうなっているか。他人の頭の中にもぐりこんだことがないのでたしかなことはいえないが、さまざまな雑念というか、折に触れてのもろもろの感想、所見、感情がもやもやとしたエクトプラズマを形成し、そこにただよっているのではないか。何かを見、何かに触れ、何かを耳にするにつれ、われわれは何事かを感じ、何事かを思う。しかし、それらの断片的な感想は頭のなかをしばらくふわふわとただよっては、やがて音もなく消えてゆく。 これは考えてみれば、きわめて不安定な状態といえる。しかし、この不安定な状態が毎日毎日繰り返されると、やがてはそこに「不安定という名の安定状態」が訪れる。もやもやと
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