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夏の料理
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私たちは日常的に意識せず、様々なことをアウトソーシングしながら暮らしている。地理的にも遠く離れ、辿ってきた歴史も大きく異なる地域の距離と時間を編み直すことによって、得られるヒントとは。小説家・古川日出男と巡る福島と沖縄。 後藤「この号の記事のために赤坂憲雄さんの東北行脚に同行させてもらったんですけれど、距離や規模というのは、体で感じないとわからないことがたくさんあるなって思ったんです。でも、それって、ツアーをしていて感じることでもあるんですよね。〝日本は思ったより広いぞ〟っていう。そういうことで気がつくのは、普通の暮らしの中では自分の想像力が追いつかないような場所にいろいろなものがあるということで、それは原発とか基地とか、センセーショナルなものだけじゃなくて、たとえば、ゴミ焼却場や火葬場もそう。そういう普段は縁遠い場所に置かれているものを、目の前に再提示するものって、パッと思い浮かぶのは文
未来に待ち受ける問題を予測して、それに立ち向かう。そのために、関わる人々の意見を全て集約して一歩一歩、着実に設計する。そんな藤村龍至さんは、従来の建築家像とは大きく異なっている。「社会は変えられない」と諦めている人々に向けた、実践に基づく提言の数々だ。 後藤「藤村さんの著書『批判的工学主義の建築』(※1)を読ませていただきました。途中の建築の専門的な話は難しかったんですが、とても面白かったです。ミュージシャンからするとやっぱり、設計するうえでの3つの決まりが面白かったですよね」 藤村「ああ、考えるな、イメージするな……」 後藤「そう。考えるな、イメージ(想像)するな、振り返るな。この一直線の設計の進め方が、とても腑に落ちました。完成形がイメージできた時点で既存の枠組みのような何かにつかまってしまうというのは、その通りだと思います。曲作りでもそういう場面がありますから」 藤村「そうですか。あ
9条改正、集団的自衛権の解釈変更など、この数年、折に触れてクローズアップされる憲法に関する議論だが、私たちはそれにきちんと向き合えているといえるだろうか? シリーズ「憲法特集」では、憲法と出会い直し、考え直すためのきっかけを示していきたい。 第1回は、若き憲法学者との対話を通して、憲法と民主主義の関わり、私たちが市民として成熟していくためのヒントを学ぶ。 後藤「特に震災以降なんですが、誰かと政治について語り合ったり、デモや集会っていうのに参加するたびに、〝民主主義ってうまく機能してるんだろうか?〟〝自分たちは市民として民主主義や政治に参加できているんだろうか?〟っていう疑問を持つことが増えて。僕たちは長い間、放棄っていうわけではないけど、民主主義に対して無責任というか、当事者意識が薄かったんじゃないかという想いがあるんです。そんななか、この数年、憲法改正の機運みたいなものが高まってきて、す
私たちが進歩すると、ものの本質に気づくようになる。すると、時間の流れや技術の進化とは、反対の方向へ眼を向けることがあるかもしれない。美術作家の奈良美智が語る、ドイツ、東北、アイヌ。現在につながる過去や伝統に向きあうと、いったい何が見えるのだろう。 後藤「奈良さんのエッセイで『震災があっても自分のやっていることはあまり変わらない』とあったのが印象的でした。ずっと大きな視点で活動されているんだと理解したんです。僕は震災が起きてから、今でもなんですが、詩を書くときにヨタヨタしてしまうんですよ。言葉にしなきゃいけないとき、いろんな迷いがあります」 奈良「たしかに、自分もテーマとしてやってきたことは一貫性があったんだと気がついたのね。ただ……音楽も小説も、芸術と呼ばれるものはすべて、ある程度の裕福さというか、余裕がないと生まれないのが分かったの。ああいう、ものごとがすべてなくなっちゃう状況があったと
災害への恐れ、死者への弔い、被災体験を残そうという意識。 古来から人々は記録や記念碑を残すほかに、災害の記憶を口承として伝えてきた。「妖怪伝承」もその1つ。水害が起こる地域に伝わる河童、津波の前兆として現われる白鬚爺。それらはなぜ生まれたのか? そして、各地に残るフォークロアを研究対象とする「民俗学」が私たちに問いかける、これからの災害伝承のあり方とは―― 後藤「特に震災以降ですけど、畑中さんが専門にされている民俗学や民間伝承というものにすごく興味があるんです。この先、僕たちが震災を語り継いでいく上でヒントになるものが必ずあるはずだという直感があって、是非、お話をうかがえたらと思いました」 畑中「そうですか。今日はよろしくお願いします」 ──そもそも畑中さんが民俗学に興味を持たれたきっかけは何だったんですか? 畑中「そうですね、僕は大阪の生まれなんですけど、大阪や京都あたりは小学校の5〜6
■映画『世界が食べられなくなる日』オフィシャルサイトはこちら 遺伝子組み換え(GM)と原子力発電。ジャン=ポール・ジョー監督は、それらを「命の根幹を脅かす2つのテクノロジー」として共通点を見出す。最新ドキュメタリー映画『世界が食べられなくなる日』に込められたメッセージを編集長・後藤正文が聞いた。 ジャン・ポール=ジョー(JPJ)「私の最新作『世界が食べられなくなる日』はご覧になりましたか?」 後藤「はい。実験用ラットの腫瘍がどんどん大きくなっていく場面には衝撃を受けました。まずは、このような映画を撮ろうと思ったきっかけを伺わせてください」 JPJ「それは『このような映画』ですか。それとも、『この映画』ですか?」 後藤「では『このような』でお願いします。たとえば、アメリカの穀物メジャーが世界中で行っている横暴を伝えることなどは、監督の一貫したテーマだと思いますので」 JPJ「分かりました。私
アナログ世代とデジタル世代の中間にいるDJ/ラッパー/プロデューサーとして、遊び心あふれる、ユーモラスな活動で多くの若者を魅了して止まないPUNPEE。インターネット時代のアナログ・レコードの魅力、サンプリング、ブートレグ、そして自身の創作活動についておおいに語ってくれた。 ――お父さんがかなりのレコード・コレクターなんですよね。 PUNPEE 「まあ、そうっすね。父親はビートルズやリー・ペリー(※1)とか聴いていた世代で、いま55歳ぐらいです。自分は物心ついたときには家に大量のレコードがあったんです。父親が毎朝かけている音楽とコーヒーの匂いが混じり合った記憶が残ってて。子供のころは朝からレコードがかかっているのがイヤでしたね。針をずらして音止めて怒られたりしてた(笑)。そういう環境で育ったので、レコードに特別なこだわりもなかったんです。いまの若い人は透き通ってるレコードとか見ると、“なに
後藤「マサムネさんと初めてお会いしたのは、たぶんラジオですね。僕らの番組にゲストで来てくれて。俺が『ナンプラー日和』という曲を『チャンプルー日和』って言っちゃって、真っ赤になって……“すみません!”って」 草野「(笑)ああ~、そっか。あの日、喜多くんとかとはよくしゃべったんだけど、“ボーカルの人はおとなしいのかな”と思ったの。それはそういう背景もあったんだ?」 後藤「はい、すごいショックでヘコんだんですよ(笑)。そのあとは『ロックロックこんにちは!in 仙台』(スピッツ主催イベント。アジカンは過去2回出演。現在は、『ロックのほそ道』。)に出させてもらったんです。野外ですごく楽しかったですね。あのときのスピッツのライブも良かったです。あと『NANO-MUGEN FES.』にも出ていただいて」 草野「あ、そうだそうだ。あれは2009年かな?」 後藤「2009年ですね。それに草野さん、たまにメー
後藤「今日は〝贈与〟をテーマにお話を伺えたらと思っています。僕はこの新聞の発行を続けていくうえで、おふたりが著書で語られているような贈与やお布施の考え方に、背中を押してもらっている部分があるんです」 内田「そうなんですか」 後藤「それで、はじめに少しだけこの新聞の成り立ちについてお話しさせてください。僕は震災が起こってすぐ、いてもたってもいられなくて、募金をしたんですね。でもそのお金がどこでどのように使われるのかがハッキリしないことに、歯がゆさというか、手応えのなさを感じました。そこでお金ではなく行動を社会に寄付するようなやり方はないだろうかと考えて、仲間たちと自腹で新聞を作ることを思いついたんです」 内田「なるほど」 後藤「僕はもともと音楽活動でも、気に入った若手や海外のバンドを紹介したり、プロデュースしたりしてきたんですね。自分がいるバンドの人気を高めるだけでは音楽の現場はいつか枯れて
いつしか接点を持つことが少なくなった日本の伝統芸能。何百年も続いている文化と、再び接続することで見えてくる、本当の “日本らしさ” があるのではないか。文楽の技芸員(三味線)の鶴澤清志郎さんに文楽の魅力についてうかがいました。 後藤「ここ何年かの話なのですが、音楽をやっていて、自分たちのナショナル・アイデンティティっていうんですか、例えば日本の伝統音楽なんかと上手く接続出来てないんだなってことをよく考えるようになったんです」 清志郎「そうなんですか?」 後藤「僕らは小学校の時からドレミファソラシドで音楽学びますよね?」 清志郎「そうですよね、はい。確かに日本の音階とは違います」 後藤「例えば文楽を観に来たときとか、能でもいいですし歌舞伎でもいいかもしれないですけど、その鳴っている音に対して “わー、懐かしい” みたいな感覚っていうのがやっぱりないんですよね。正月とか、そういう時に飲食店でか
90年代初頭にマイクロフォン・ペイジャー(※1)のメンバーとして日本のヒップホップに決定的な影響を与え、その後もDJ/ラッパー/プロデューサー/デザイナーとして活躍してきたMURO。承知の通り、彼は世界的にも有名なレコード・ディガーで、“KING OF DIGGIN`”の異名で知られている。かつては“世界一のレコードの街”と言われた渋谷だが、インターネットの普及とともに、オンライン・ストアに移行するレコード屋や閉店に追い込まれるお店が急増し、街の雰囲気も大きく変わった。そんな渋谷をホームに長年活動してきたMUROは今、何を思うのか? 彼が、2011年に渋谷ファイヤー通りにオープンしたセレクト・ショップ『DIGOT』で、レコードと音楽、今後の夢について聞いた MURO「やっぱりDJの入りがレコードだから、DJをするときに使うレコードは、野球をするときに使うバットやグローブのような道具と同じ感
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