ブックマーク / y2k000.hatenadiary.org (2)
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最終巻 を読んだ。おもしろかたです。 んで、 ︵http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20070531/1180589181︶ を見た。 この作品がゼロ年代の﹁決断﹂主義なら、全然﹁サバイブ﹂してねーじゃん、と思います。﹁サバイブ﹂ってもっとシビアなんじゃねーの? という疑問。まさかヌルく楽観的に生きることを﹁決断﹂することが﹁サバイブ﹂とか云ってるのだったら、それは﹁ライフ﹂のほうが妥当なのでは? という違和感が強く浮かぶ。 僕におけるよしながふみの手触りってのはあくまでも、﹁西洋〜﹂とか﹁愛すべき〜﹂みたく﹁グループと個人﹂﹁コミュニティと個人﹂の対話/接触/折衝を描くヒトというものであって、それがすなわち﹁世界←→個人の直結=セカイ系﹂のネクストだって云われても、首を傾げざるをえない。 これじゃあ、まるで、たまたま脱オタした直後のオタクの視界に、女の子文化が
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多分ね。ツンデレが好きな人ってのは、結局﹁自分を甘やかして欲しい人﹂だと思うのね。 ふりかえってツンデレってのは、現実でイチャイチャできないオタクの理想郷なのよ。 つまり、ツン=現実 デレ=虚構っていう二項対立が内在するテーマなわけ。 だから、デレがセカイ系になる。一個人のデレ=理想郷だけど、結局は周囲のツン=うまく行かない人生になる。だから、メタでもある。 ツンデレってのは﹁こんだけいちゃついてるのはいいけどさ。実際問題としてはありえねえよな﹂というオタクの絶え間ない現実との整合をつきつけてるわけ。 そう考えると、どこぞの哲学者だかオタキングだかの言う﹁動物化するオタク﹂なんてもういないのよ。いたとしてもそれはもはや絶滅危惧種。 そりゃまあ、あいかわらずキャラ萌えオタクだっているのは事実よ。﹁〓〓たん、萌え〓﹂とかそういうのは。でもさ、げんしけんだとか改蔵みたく自虐ネタを笑える﹁すました
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