出ました。大屋雄裕「何のために選ぶか:選挙の制度と思想(特集:選挙制度を考える)」『Voters』no. 11、(財)明るい選挙推進協会、2012/12、pp. 4-5. 選挙のために刊行スケジュールが早まって校正締切が前倒しになるという事態に自分が巻き込まれるとは思わなかったなあ。 その選挙の話。選挙公報程度は見ているのですが一番楽しかったのは日本共産党の候補者のもので、「政党が離合集散のなか1世紀近い歴史に試された党」とか自慢しているのだが伝統を誇る革新政党ってなんだ。科学的社会主義(理性的・科学的にぼくたちの言っていることは正しいんだよ)なんだからバーク流の時効理論(人間理性には限界があるので歴史の試練に耐えて生き残ったものを正しいと思うしかないよ)とか掲げてちゃダメだろう。 まあ革新陣営の伝統芸能化というか、守旧を掲げる「革新」と変革を呼号する「保守」という日本政治のねじれ現象を体
書店で戦前の軍隊を扱った新書を手に取ったら前書きに日本近現代史研究でも戦争による「強制的同質化」という概念が提起されている云々という文章があったのだがあのまさかGleichschaltungの訳語だって気付いてないとかいうことはないだろうね(挨拶)。知ってて書いてるならなぜそこでナチズムに一応でも言及しないのかというのが極めて謎ではあるんだけど。というわけで、雑感。 ASEAN関係会議の会場にタクシン派のデモ隊が乱入して会議が全部延期になっちゃったそうで(「タイ騒乱、ASEAN会合すべて延期 各国首脳は避難」asahi.com)。まあそりゃ反タクシン派の国際空港占拠を容認しちゃったんだから、やり返すんじゃないのという話のような。そこで目の敵にされたタクシン派政権は一応民主的に成立したものだったわけで、それを直接行動によって・しかも国際的に「迷惑」をかけて打倒しても良いのだと、反タクシン派が
来週のプレゼンテーションの打ち合わせ → 会議6時間、途中で前年度実績の分析報告 → 来週用のプレゼンテーション作って終わったら午前3時半。企画課のリーマンか私は(挨拶)。 というわけで疲弊したので少し晩酌。ジョッキに氷とともに入っているのはホッピーではなく、ビアラオというラオス製ビールです(他にあるのかは知らない)。冷蔵庫がまだ十分ではないせいだと思うのですが、現地ではよくこうして氷に注いで飲みます。まあ邪道ですが、暑い中でこうして薄まった軽いビールをぐびぐびやるのもなかなか風情のあるものでした。ビール自体はアルコール5%程度の、まあ軽いけどそれほど不思議ではない味のものです。指導している大学院生(と言ってもラオスの職業裁判官ですが)からお年賀にもらったのでありがたく堪能しました。というわけで、雑感。 AとBが対立している場面において、「Aを絶対善だと考えるな」という主張が「Bが絶対善で
うんまあ国際線に乗ったので珍しく日本の新聞でも読むかと思ってしまった私が悪いのはよくわかっているのだが、それにしてもピンポイントでこういう話を目にするものだと自分でも思ってしまった。裁判員制度に反対するデモが行なわれたという記事で、私自身も別にあの制度設計は支持していないというか何であんなんになっちゃったんだろうと個人的には思うわけであるがそれはそれとしてこういう批判の仕方はないだろうという話。 デモに先立つ集会では、芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さんがビデオレターの中で「仏教や神道では、人は人を裁ける存在ではない。市民も一緒に裁くことで、法と世間が合体し、裁判にケチがつけられなくなるのは怖いことだ」と訴えた。(「「制度反対」300人 都心を行進」朝日新聞2008年11月23日朝刊社会面) ええと、まず裁判官は人間ではないとおっしゃっているわけですね? あれは人間としてできないはずのことをやっ
ようやく1年生向け科目の採点が終わったわけだがどうなのかいろいろと(挨拶)。念のために言っておくと以下はあくまである大学で特定の教員がたまたま経験した内容であってそれ以上の一般化をするつもりはないしその材料になるとも思わないが、しかしその何と言うかこう。 まず前提として、私の行なう試験は原則として持込可である。まあいい加減大学なので暗記力ではなく理解力や表現力を問おうとしているわけであるが、試験の秩序を維持し公正を担保するために「外部との連絡手段、生物、音響を発しまたは動作に外部電源を必要とする機器」の持ち込みは禁止している。だからまあ、音を消したノートパソコンは持込可だし、実際に利用した学生もいるわけで、そういうのは別に構わないと思っているわけだが食い物を持ち込まれたのは初めてだぞこのヤロウ。 従来から飲み物を持ち込む学生は年に数人単位でおり、別に周囲に迷惑もかかるまいから止めるまでもな
実家に寄ったので読売を読んでいたら、秋葉原の連続殺傷事件は人を取り替えのきく部品のように扱う現代社会の帰結で犯人を暖かく包む伝統社会とか共同体とかがあれば起きなかったのではとか書いている人がいてええと津山三十人殺しってどういう時代に起きたんだっけ(挨拶)。世話好きおばさんがいたら非モテでもお嫁さんとか来てくれて幸せになれたのではとかいう趣旨のことが書いてあったような気がするんだけど、匿名性が高くて属性を隠蔽できるネット上の掲示板ですら「こいつなんかヘン」だと気付かれちゃうような人間の居場所が閉鎖的で固定的な共同体にあるわけないじゃん。村中から後ろ指差されて違う形で暴発してただけなんじゃないの、とは思うところ。 というか現代社会が行為や所属の領域を分断することによって「ちょっとヘン」な人がそのヘンさを日常とは違うところで表現したり発散したり、とにかく周囲の社会には気付かれずに平穏無事に生きて
いや終電後にタクシーで帰宅する霞ヶ関のなかの人たちがビールだのおつまみだの商品券だのをもらっていたという一件。正直そういうタクシーの使い方をしたことがほとんどないのでよくわからないのだが(というのは別に清廉潔白を気取るわけではなくタクシーチケットのもらえる仕事でもできるだけ自腹で地下鉄を使って移動するようにしているくらいタクシーというものが好きではないので、まあ必要なら使うのだがとにかく相手が気を遣って話しかけてきたりするのに対応しないといけないようなシチュエーションが嫌いで床屋も会話がないのを狙って安いところに行くとかおねえちゃんと楽しい会話のできる飲み屋さんとかに絶対自分からは行かないとかとにかく偏屈な人間だからなのであるが)、普通に都心から長距離で乗ればよくあるサービスだという人がいてそうかなと思い、しかし現金とか商品券はやはり割り戻しであってまずいのではないかと思うとスタンプカード
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