D×Pが取り組む社会課題は、「10代の孤立」です。彼らは大人に比べると経済的資本など使えるリソースや選択肢が限られています。経済的困難・家庭内不和・不登校など、さまざまな困難が重なると、生活が立ちゆかなくなったり、安心できる場や所属先を失ったりと孤立しやすい状況が生まれます。 頼れる人とのつながりをなくし孤立した状況になると、社会にあるさまざまなセーフティネットへ辿り着くことも難しくなります。D×Pは、困難な環境下にある若者たちにセーフティネットと機会を提供するために、LINE相談事業や大阪ミナミの繁華街にユースセンターをつくり活動しています。 そもそもなぜ若者が孤立する現代の状況が生まれたのでしょうか? 今回は数多くの本を執筆しながら、合気道の道場兼哲学の寺子屋である「凱風館」を主宰する思想家の内田樹さんにお話を伺いました。そしてその解決策を探っていきます。 自己責任は「貧乏くさい」 ─
映画「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ」は、いまから約50年前に東京都の早稲田大学構内で起きた「川口大三郎リンチ殺人事件」に焦点を当てる。 殺害された川口大三郎さんは当時まだ20歳。早稲田大学第一文学部二年生のごく普通の学生だった。 学生運動終末期に起きた事件のあらましはこうだ。 1972年11月8日14時ごろ、文学部自治会を牛耳り、早稲田大学支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が、川口さんを対立する中核派のシンパとみなし、早稲田大学文学部キャンパスの学生自治会室に拉致。約8時間にわたるリンチを加えて殺害し、その後、川口さんの遺体を東大構内・東大付属病院前に遺棄した。 翌日の11月9日に遺体が東大で発見されると、昼過ぎに、革マル派が声明を発表。「川口は中核派に属しており、その死はスパイ活動に対する自己批判要求を拒否したため」と事実上、殺害への関与を
文化資本。 この言葉はフランスのピエールという社会学者が提唱した概念らしいが、 最近のネットinJAPAN feat.はてなでは 「東京は文化資本が豊富だと自慢する東京人の傲慢さ」 「地方にも素晴らしい文化資本があり、東京と差がないどころか優位性がある」 みたいな話がよく上がってくるのを見かける。 けど、この話ってちょっと前までは「地方民が東京との文化資本格差を嘆く」って構図だったはずでは…? そう思って試しにはてブでざっと検索してみた。 日本で文化資本の研究が盛んになったのは90年代頃からのようだが、 2010年代以前には内田樹がブログで使ってるのがよくヒットするものの、まだ一般に広まってるワードとは言えなかったようだ。 また、この頃はあくまで単語として出てくるだけでそれ自体をテーマとしているわけではなく、都市部と地方の地域間格差などについても特に触れられてはいない。 そこから2010年
日本に「勢い」があった時代 1970~90年代の日本の組織はどこも「勢い」がありました。「勢い」というのはただ金が儲かるということではないんです。とにかく仕事がどんどん増えてくる。それもやったことのない仕事が。 僕は’75年に大学を卒業してから2年近く定職に就かずふらふらしていました。一応「大学院浪人」を自称していたので、フランス語とフランス文学史の勉強だけは一日3、4時間くらいしていたのですが、あとは自由時間です。でも、家賃も払わないといけないし、ご飯も食べないといけないし、お酒を飲んだり、麻雀したり、スキーに行ったりもしなくちゃいけないので(いけないということはないんですけど)、生活費を稼がねばならない。 その頃の生業なりわいはほとんど友だちから回ってきたものでした。「内田、暇なんだろ?」という前口上付きで仕事が降ってくる。頼まれた仕事は家庭教師でもなんでもやりました。主な収入源は英語
内田樹「万博中止と政権交代は毎日一回唱えます。言葉って繰り返してゆくうちに呪力を発揮します」 1 :名無しさん@涙目です。(愛媛県) [US]:2024/05/18(土) 12:06:11.31 ID:dIpYd3kS0●.net 「万博中止」と「政権交代」は毎日一回は唱えて、Twitterに書いておくようにします。言葉って繰り返してゆくうちに固有の「呪力」を発揮しますから。 https://t.co/kxJVeMoZRH— 内田樹 (@levinassien) May 16, 2024 4: 警備員[Lv.5][新苗](茸) [PT] 2024/05/18(土) 12:07:00.94 ID:4INwlCf10 宗教かな 12: 警備員[Lv.40][苗](ジパング) [ニダ] 2024/05/18(土) 12:10:19.20 ID:xVI+lMuo0 痴の巨人 13: 名無しさん@
内田樹 @levinassien 卒業生からメールがあって、小学校4年生の息子さんが「それってあなたの感想ですよね」に対抗できる言葉を日々ネットで探しているそうです。学校で言われてよっぽど悔しかったらしい。何か適切な「返し言葉」はありませんかと訊かれました。こんなご返事をしました。 2024-05-12 13:37:37 内田樹 @levinassien 「これって個人の感想でしょ」というのは知性の価値を認めない反知性主義的言明です。どのような科学的仮説もある意味では「個人の感想」です。でも、専門家が学術的に厳密な仕方で導いた「仮説」は、素人がネットをぱらぱら見て思いついた「仮説」とでは「真実である程度の差」が天地ほどもある。 2024-05-12 13:45:58 内田樹 @levinassien 僕たちが本を読んだり、人の話を聴くのは「宇宙の真理」を会得するためではありません(それは凡
人口減問題について語る人たちは、マンパワーの不足やマーケットのシュリンクや年金や医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。本書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。 「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。 日本でも「高齢者アンダークラス」がこれから大量に出現する可能性がある。政治家も官僚もメディアもこの問題から目を背けてきたが、高い確率でこれからの日本社会はそういう集団を抱え込むことになる。いまミドル期(35歳~64歳)にあるシングルたちは遠からず高齢期シングルとなる。今のまま何の対策も講じずに放置しておけば、いずれ日本社会は貧しく、孤独で
このshinoharaさんという方のツイート、時々自分のタイムラインにも流れてくるのだが。自分に知識のある分野ではほとんどすべて間違ったことしかツイートしていなくて、それが何万とリツイートされているのを見て、なんなんだこれはと毎度思うのである。>RTs— Kenji Shiraishi (@Knjshiraishi) 2024年5月7日 また篠原信さんがなんかやらかしてるのか・・・ この人はマジで信用しないほうが良いです。 教育論の本が出た時に読んでみた時は「うーん???」くらいだったのですが いつぞや金融問題について、ろくに知識がないのに嘘八百をどや顔で語った挙げ句批判に対してめちゃくちゃ不誠実な対応をしていたので私は「あ、こいつ社会ステータスの高い青◯◯だ。一番危険なやつじゃないですか・・・」と思いました。 www.tyoshiki.com ブロックして以来、こういう感じで流れてこない
大学入試の季節になった。東京にある医療系大学の理事と地方の女子大学の評議員をしているので、この季節になるとそれぞれで入試状況の報告を聞き、生き残れる大学と崖っぷちの大学の格差が年々広がっていることを実感する。 今のところは定員を満たしている大学も少子化が続けば、遠からず「崖っぷち」に立たされる。せっかく全国津々浦々に良質の教育研究拠点があるのだ。これを市場原理に委ねて統廃合し、教育機関の東京一極集中を放置しておいてよいのだろうか。 近代日本において、教育の充実は国家的急務であった。明治末までに東京、京都、仙台、福岡に四つの帝大ができ、最終的には台北、京城を含む九帝大ができた。旧制高校の設立はさらに早く、東京の一高が明治19年。明治41年までに仙台、京都、金沢、熊本、岡山、鹿児島、名古屋に8つの「ナンバースクール」が設立され、以後も都市名を校名とする「ネームスクール」は松江、弘前、水戸から旅
I. <まず読みたい図書> 1)全学生向きの図書 著作名 著者・編者名 *シリーズ名な ど 出版社 西暦発行年 現在書店で 入手が可能 か(○または ×) 筑波大学図書館 での所蔵の有無、 ある場合は配架番 号 *その他の情報 紹介コメント(80字以内) 三四郎 夏目漱石 岩波文庫 岩波書店 ◯ 081-I95-G10-6 漱石が明治時代の大学生を描いた名作です。自分と比べて見るのも一 興。 地獄変・偸盗 芥川龍之介 新潮文庫 新潮社 ◯ 無 各作品は図書館所蔵 の他の版で読むこと ができる。 何百もの小説を残した芥川。「羅生門」だけじゃ物足りない。 万葉集と日本人:読み継がれる 千二百年の歴史 小川靖彦 角川選書 KADOKAWA 2014 〇 911.12-O24 古典と呼ばれる作品が現代までどのように読み継がれてきたのか、そして それは書物(モノ)としてどのように伝えられてきたのか。
東洋経済新報社の渡辺さんから新刊の書評を頼まれたので少し長い紹介を書いた。タイトルはやや挑発的だけれど、人口動態と地域コミュニティ形成についての手堅い研究である。でも、ほんとうに衝撃的なのは、こういう研究にごく最近まで誰も見向きもしかなったという事実の方なのである。 人口減問題について語る人たちの多くはマンパワーの不足やマーケットのシュリンクや年金や医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。本書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。 「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。 日本でもこれから「高齢者アンダークラス」が大量出現する可能性がある。
すごい映画を観た。 それは代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(2024年、ノンデライコ配給)。 今から約半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスで20歳の学生が約8時間にわたるリンチの果てに殺されたことを、どれくらいの人が知っているだろう? 私がそれを知ったのは、21年に出版された樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)によってである。映画は、この書籍と監督との出会いによって生まれたそうだ。 事件が起きたのは1972年11月。この年の2月には、かの有名な「あさま山荘事件」が起きている。連合赤軍の若者たちが人質をとってあさま山荘(長野県軽井沢町)に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた事件だ。この模様は連日テレビ中継され視聴率90%という驚愕の数字を叩き出し、また警察官が極寒の中すするカップめんが注目され、カップヌードルが爆売れするなどした。 この事
高齢者の集団自決が高齢化対策の秘策であると公言した若い経済学者の発言が話題を呼んでいる。 彼の言う「人間は引き際が重要だと思う」ということにも「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」という事実の摘示にも私は同意する。でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。人道的な立場からというよりは組織人としての経験に基づいてそう思うのである。 組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯食い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯食いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。 組
アップル、EV開発計画ついに断念-生成AIにリソースをシフト M3 Proに勝利。いまだに最強クラスのM1 Mac mini|Piyomaru 第125話 家族 / 葬送のフリーレン - 山田鐘人/アベツカサ | サンデーうぇぶり トップページ | 『Pokémon Trading Card Game Pocket』公式サイト 四王天礼子の願望 - 汐乃鼠 | 少年ジャンプ+ [第103話]株式会社マジルミエ - 岩田雪花/青木裕 | 少年ジャンプ+ [第156話]チェンソーマン 第二部 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ お前様たちドラストとかでよく売ってるコンロで調理する安い鍋焼きうどんのおすすめの食べ方教えて。 当社の人員に関するお知らせ はく製は絶滅したニホンオオカミか 気づいたのは都内の中学生 | NHK 雑にReactアプリを作りたい時に使ってるもの 西村氏“安倍派として対応あ
高校の国語の先生から衝撃的な話を聴いた。生徒たちが文字を書けなくなっているというのである。教科書をただノートに筆写するだけの宿題を毎回課すが、やってくるのは半数以下。授業中に書いた板書をノートに写すようにという指示にも生徒たちは従わない。初めはただ「怠けているのか」と思っていたが、ある時期からどうもそうではないらしいことに気がついた。 『鼻』の作者名を問うテストに「ニコライ・ゴーゴリ」と答えを書いた生徒がいた。ゴーゴリもその名の短編を書いているが、教科書で読んだのは芥川龍之介である。どうしてわざわざゴーゴリと書いたのか生徒に訊ねたら「漢字を書くのが面倒だったから」と答えたそうである。 生徒たちの提出物の文字が判読不能のものが増えて来たという話は大学の教員たちからも聴く。学籍番号までは読めるが、名前が読むのが困難で、コメントの文字に至ってはまったく解読不能のものが少なくないという。何を書いた
GDPの規模と配分のみを関心事とする政治経済理論は、労働の尊厳をむしばみ、市民生活を貧しくする。ロバート・F・ケネディはそれを理解していた。「仲間意識、コミュニティ、愛国心の共有 ―― われわれの文明のこうした本質的価値は、ただ一緒に財を買い、消費することから生まれるのではありません」。その価値観を生むのはむしろ「十分な給料が支払われる尊厳ある職です。働く人が『自分はこの国をつくるのに手を貸した。この国の公共の冒険的大事業に参加した』と、コミュニティや、家族や、国や、それに何よりも自分自身に向かって言えるような職なのです。 そのように語る政治家は、いまではほとんどいない。ロバート・F・ケネディ以降何十年も、進歩派の大半はコミュニティや愛国心や労働の尊厳をうたう政治を放棄し、代わりに出世のレトリックを駆使してきた。 (マイケル・サンデル『実力も運のうち』ハヤカワ文庫、2023) おはようござ
ある媒体から『福田村事件』についてのコメントを求められたので、こんなことを話した。 関東大震災時に起きた虐殺事件を描いた映画『福田村事件』が公開中である。私は、この映画のクラウドファンディングに参加しており、本作を応援する者として、この映画を1人でも多くの人に観てもらいたいという思う。 本作はオウム真理教を描いた『A』『A2』、『FAKE』など良質なドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた森達也監督の初の商業劇映画である。私がクラウドファンディングに出資しようと思ったのは、扱いの難しい題材をエンターテイメント作品として撮ろうという森監督の野心を多としたからである。 福田村事件とは、1923年9月1日に発生した関東大地震の5日後、千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた被差別部落出身の行商団のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された事件のこと
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