パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスでイスラエル軍の爆撃によって破壊された住宅街にたたずむ男性=2023年12月14日、ガザ、ロイター パレスチナ問題の﹁2国家解決﹂とは ﹁2国家解決﹂は、英語ではTwo-State Solutionと言います。その起源は1947年にまでさかのぼります。 当時、今のイスラエルとパレスチナと統治していたのは、イギリスでした。イギリスは第1次世界大戦中にアラブ、ユダヤ人、フランスなどに対してそれぞれ相矛盾する利益を約束する﹁3枚舌外交﹂を展開しました。 アラブ側には、オスマン帝国に反乱を起こす代わりに﹁アラブ人の独立国家﹂を支持すると約束︵フサイン・マクマホン協定︶する一方、ユダヤ人には﹁ユダヤ人国家﹂︵正確には﹁ナショナル・ホーム﹂という曖昧な言葉遣い︶の建設を支持︵バルフォア宣言︶。さらに、フランス・ロシアとは、オスマン帝国の土地を分け合うと密約︵サイクス・