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買ってよかったもの
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東京オリパラの開会式演出案で、昨年3月、渡辺直美さんをブタにしてはどうか?というアイデアを佐々木宏さんがメンバーに打診したところ、 「容姿のことをそのように例えるのが気分良くないです」 「女性目線かもしれませんが、理解できません」 として却下されたと。 そして、そのやり取りをしたLINEグループがいま流出して問題になってます。 で、テレビのコメンテーターもコタツ記事も、SNSやブログもほぼ口を揃えて言っているのが、 「このアイデアはひどい、醜悪だ」 というもの。 「侮辱だ」 「昭和だ」 と。 そのLINEグループで 「目眩がするほどヤバい」 と投稿した男性メンバーもいたそうです。 イヤイヤイヤ… ホントにそうか? 佐々木さんのアイデアはホントにダメか? というか、僕は佐々木さんのアイデアを醜悪と決めつける全ての人に言いたいのだけど、このLINEグループの一言だけでクリエイティブを評価すんな
広告用語に「自分ごと化」というものがあります。 ターゲットが、自分に取って商品の価値を感じられるようにする、という意味です。 たとえば自動運転車のCMがあったとして、観る人が「おっ、すごいな」と感じたとしても、「そのうちそういうクルマが普及するのかもなー」と思っているのではまだ「他人ごと化」されている状態。 自分とはただちに縁のないものとして、そのまま忘れられてしまいます。 そのクルマに自分が乗っている様子を想像して、「あんなふうに衝突を回避してくれたら、いつもの運転がラクだろうなー」と自分に関わることとして捉えてくれたら「自分ごと化」した、ということになります。 そこから「次の買い替えは自動運転車も検討してみよう」という意識が生まれるわけで、自分ごと化されなければ、その商品を具体的に試してみよう、買おう、という意識は生まれません。 ということで、自分ごと化は非常に重要なキーワードであり、
もう20年以上も昔の話。 当時、大手広告主の一部は海外での「賞獲り」目的の長尺CMを毎年制作していました。 カンヌなどで評価を得るためにはどうしても60秒ぐらいの尺が必要で、かと言って日本の地上波で60秒枠を大量に買い付けるのは現実味がない、ということで、どこかの安い番組枠で1回だけ流してオンエアの既成事実を作り、賞に出品するのです。 その中で印象深いものにFAXのCMがありまして。 若いカップルが長距離恋愛をしているのですが、帰宅してからFAXで手紙を送り合ってるんです。 その頃はまだメールというものがなく、今のメールのやり取りのようなことをFAXでやっているという、なかなかオシャレで気の利いたアイデア。 ラストシーンで、二人が久しぶりに会うのですが、踏み切り(だったかな)を挟んで眼と眼が合うや、手話を始めるんですよ。 やられた!ってかんじ。 二人はオシャレでFAX文通をしてたんじゃなく
戦前、「日本」という名の新聞紙がありました。 天皇を現人神とする国粋主義を唱える、極右に偏った新聞です。 発刊された頃はまだ大正デモクラシーの気運が溢れ、議会民主政治の絶頂期であり、国民の多くから無視されるマイナー紙でした。 ところが、ある事件をきっかけに「日本」はメジャー紙に躍り出ます。 当時は世界的な軍縮ムードで、濱口内閣はロンドン海軍軍縮条約に批准したのですが、これに「日本」が「憲法違反だ」と噛みついたのです。 明治憲法が定めるところによれば、軍部に対しては天皇が統帥権を持つと。 軍縮は政府による天皇の統帥権干犯である、というわけです。 現代の感覚からすればとんでもない話ですが、野党がこれを政府への攻撃材料として使うんですね。 あろうことか、主要紙までこれに乗っかって同調します。 濱口総理は国民の人気も非常に高い名総理だったそうなのですが、この政治的混乱の中、テロに遭って殺されてしま
「Guilty」というデンマーク映画があります。 舞台はデンマーク版の110番電話受付室。 不祥事を起こしてそこに異動させられた警官が主人公で、彼が「誘拐されてクルマの中にいる」という女性の電話を受けるところからストーリーが始まります。 彼はあちこちに電話をかけて事件を解決しようとするのですが、カメラが写すのは彼のいる部屋だけ。 映画として、電話のやり取りだけで事件の進行とか、現場の緊迫感が伝わるチャレンジがなされていて、それが非常にうまくできてます。 ついでに言えば、最後のどんでん返しも秀逸。 NHK「パラレル東京」のドラマはテレビ局の報道センターが舞台でした。 この番組の狙いは視聴者に震災を「自分事」として捉えてもらうことにあると言います。 しかしドラマを観ていると、その思惑がうまくいったとは言い難いように感じました。 「プロローグ」で首都大学教授が実際に首都圏を大地震が襲ったらどうい
最近「フルファネル」という言葉をよく耳にしませんか。 「ファネル」が何ぞや、というのは(もし知らない方がいらしたら)各自調べていただくとして…。 僕の定義ではトップファネルが認知、ボトムファネルが刈り取り、それらを繋ぐミドルファネルが自分事化、となります。 たとえば認知とはTVCMで広く知ってもらうとかですね。 たとえば刈り取りとはリスティングや自社サイトを訪れた人へのリターゲティングバナーとかですね。 これらは、ずいぶん前から行われて来ました。 しかし、バラバラに行われて来たので、認知から刈り取りまで全体で一つのコミュニケーション設計を作ろうよ、という考え方を「フルファネル化」と言っているわけです。 実際、ミドルファネルをぶっ込むと、成果が格段に上がります。 昨年対比数倍といった数字が出たりします(僕の事例で「変わらず」などといったことはまだ一つもありません)。 ミドルファネルのキモは「
皆さま、明けまして。 (昨年父が他界したものでこれ以上は口に出せませんが・・・) 本年もよろしくお願いいたします! 旧年は自分にとってまた一段ステージを登る年となりました。 これもひとえに皆さまのご支援によるものと感謝しております。 最近、自分の使命は広告業界をもっとより良い世界とすることではないか(シリコンバレーあたりでよく使われそうな言い方ですが…)と感じるようになり、そのような期待を向けられることも多くなってきました。 そのために、今年はこれまでに増して様々な抱負(あるいは野心)を持つこととしました。 まずは、「マス・Web統合」も超えた「広告・販促統合」へのクリエイティブ・ディレクター活動領域拡大です。 クリエイティブのマス・Web統合を自著で提唱したのは1年半ほど前。 これは今や当たり前で、言うまでもないものとなって来たように思います。 ただクリエイティブを統合しても、マス・We
とにかく講演、セミナー、トークセッション、の依頼が多いです。 今年に入ってからは月に2回ぐらいのペース。 その中で、なんとなく感じ始めたことがあります。 冒頭で必ず「自己紹介をお願いします」と促されるのだけど、以前に比べて、自分をどう説明すればいいのかが難しくなってきたような。 「基本的には広告のクリエイティブディレクターです」。 と言いながら、クリエイティブディレクターという肩書に違和感を覚えたりしています。 自分が今、クリエイティブディレクターとしてやっていることを一言で説明すると、どういうことになるだろう? うーん。 結論。 広告クリエイティブディレクターとは、 「最適解をはじき出す」 職種です。 発注主は、いろんな事情を抱えていて、社会はどんどん複雑で厄介になっていて、表現の制約は狭まる一方で、それでいてメディアやツールの幅は拡がり続けている。 その中から「最適解」をはじき出すのが
大阪出張からトンボ返りで品川に着き、そこからタクシーでプロダクションに向かっていたら、妻から慌てた様子の電話が。 キッチンの蛇口が壊れて水漏れがし始めた。 メーカーのクリナップに電話したが何時間も繋がらなかった(電話サポートは「2回に1回つながる」頻度がベストと言われてます。このサポート体制は問題ありますね)。 それでネットで調べた水道修理業者に来てもらった。 その業者さんが言うには、蛇口ごと交換の必要があり、今くっついているのはINAX製だが、INAXの部品は持っていないのでTOTOに取り替えたいと。 じゃあやってくれということになったが、なぜか蛇口が全く外れない。 もう何時間もウンウンとあれこれ試しているがダメ。 かたや、ようやくクリナップのサポートに繋がった。 INAXから連絡させると言われ、INAXから電話が来たが、明日修理の下請け会社から改めて電話させると言われた。 業者は、工事
1月29日に催された、JAA(日本広告主協会)のセミナーを聴きに行きました。 全体のテーマとしては広告主としてマスとデジタルの融合をどう進めるか、というものでしたが、セミナーの最後にJAAから各広告主に提唱される「TVとデジタル商談用共通指標」の内容に興味があったからです。 (ちょっと横道に逸れますが、「TVとデジタル」という言い方は厳密には正しくないと僕は思っています。TVからもデータが取れるようになり、CM配信も運用型になっていくかも、という中においてはTVもデジタルメディアと捉えるべきだからです。「TVとWeb」が正しい表現かと。まあ、そこは置いときまして…) その指標は、流通バイヤーとの商談の場で使う想定で作られたものです。 今まで流通の棚を確保するための取引通貨はTVCMの出稿量、GRPでした。 TVに何GRP出稿するか?以外のコミュニケーション活動は一切無視されてきたのが実状で
A HAPPY NEW YEAR! 2017年が皆さまの羽ばたく年となりますよう! (この絵はサビニャックが自身の年賀状用に描いたものだそうで、原画がうちの階段に飾られてます) リンダ・グラットン「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」には、これからは新しい3つのステージが人生に登場するだろうと書かれています。 いろんな他者の人生や多様性に触れながら自分のアイデンティティを探す「エクスプローラー」ステージ。 自由と柔軟性をもって小さな創造的ビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー」ステージ。 人的ネットワークやスキルの蓄積を元に多種類の仕事を同時に行う「ポートフォリオ・ワーカー」ステージ。 なるほど。 人生100年となると、教育-仕事-老後という一直線のリニアな生き方ではなく、ノンリニアなマルチステージ時代になるのは間違いなさそうで、こういった新しいステージも100年の
僕は無料広告学校というものを主宰しています。 月曜日の夜19~21時で十数名を相手に広告の基本的なストラテジーの考え方とクリエイティブについて教えてます。 今期は自宅の近所にある町会の集会所をお借りしてます。 その分、受講生たちに神輿のポスターを作らせたり、実際に参加させたりなど町会の手伝いをするということで。 これまでは講義が終わった後はケータリングで軽く飲んだり食べたりしていたのですが、集会所をあまり長く借りたり汚したりもできないので、今期からは2人ずつぐらいの少人数で、近所の料理屋で彼らの個人的な悩みを聞いたり質問に答えたりしています。 昨晩はあるコピーライター志望者から宣伝会議賞について聞かれました。 「防災意識を高めるコピー」というお題があったそうなのですが、何やらモヤモヤしたものがあったようで、それについてどう思うかと。 僕は、 「プロならそういうお題は出さない」 と答えました
NHKスペシャルで宮崎駿さんが人工知能の作り出すCGアニメに怒ってました。 その怒りっぷりが話題になってます。 僕が番組を観て感じたのは、宮崎駿さんもドワンゴの川上量生さんも、人工知能というものの捉え方を間違えられてるんじゃないかな、ということでした。 人工知能は間違いなく僕たちの未来を変えていくでしょう。 そこに希望を見出す人もいれば、不安を感じる人もいるでしょう。 多くの人たちはこう思っているはずです。 「人工知能は人間に取って代わるもの」 だと。 その象徴が、宮崎さんの人工知能アニメへの怒りだったように僕には見えました。 アニメとは生命を吹き込む実に人間的な作業であり、人間への敬意や愛がなければできるものではない、こんなものに取って代わることができるものか、もしそうなれば非人間時代の始まりだ、彼のそんな気持ちが「世界の終わりだ」という一言に込められていたように感じました。 で、僕はそ
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