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Wikipedia
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本エントリーは、書籍『ゲームの歴史』(岩崎夏海、稲田豊史 2022年)第一巻について、1977年に発売された最初期のカートリッジ交換型家庭用ゲーム機であるアタリVCS(Video Computer System)に関する記述を批判するものだ。 周知の通り、当該書籍は既に版元の講談社より絶版・回収措置が取られた。しかしながら、古書市場での流通に加えて、公共図書館等でも引き続き利用に供されていることを確認している。すでに『ゲームの歴史』を読んでしまった人に加えて、これから『ゲームの歴史』に目を通す人もゼロではないことから、詳細な批判を公開することは決して無意味ではないと考える。 もう一つ、『ゲームの歴史』は1980年代前半までの海外のビデオゲームについて、主要参考文献に挙げられている『それは「ポン」から始まった』(赤木真澄 2006年)の誤認識に起因する不適切な記述が多く含まれる。故に、本エン
2022年12月現在、日本語版Wikipediaにおける「アタリショック」の項には、次のような記述が存在します。 「アタリショック」という言葉そのものは米国最大の玩具小売業者トイザらスの副社長だったハワード・ムーア(Howard Moore、発言時は同社役員)の発言として1990年の『日経エレクトロニクス』に初めて登場した。 〇アタリショック - Wikipedia (更新日:2022年10月8日 (土) 06:44) 文中でも触れられているように、この記述の原典は日経エレクトロニクス。具体的には、1990年9月3日(第508)号に掲載された「任天堂アメリカ、ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場を築く」が該当します。 最初に結論を述べると、この記述はWikipediaのガイドラインに反していることに加えて、事実に反する不適切な内容であり、直ちに修正されるべきであると考えます。理由
〇loderun氏の拙著への反論について(2) (任天堂雑学blog) 書籍『アタリショックと任天堂』を批判した2度目のエントリーに対して、著者の広田哲也氏の応答がブログに公開された。 結論から言うと、広田氏は自身に向けられた批判に対して直接的に答えないことを選択したようだ。 今回の記事で、広田氏はhally氏の主張を指して「真意をくみ取ることが難しく、様々な推測をもって言われても仕方がないだろう」と釈明(?)の言葉を述べている。しかしhally氏の主張を「アタリショックは任天堂が裁判に勝つために言い出した方便」などと要約したのは広田氏自身だ。なぜ他人事のような物言いをするのか理解不能である また広田氏は、「自称研究者に過ぎない私如きのアタリショック周辺議論の言葉尻に噛みついてこられるので正直ひいています(笑)」と述べている。しかし、アタリショック捏造論とは、本書の副題にも挙げられているほ
〇loderun氏の拙著への反論について (任天堂雑学blog) 書籍『アタリショックと任天堂』を批判した先のエントリーに対して、著者の広田哲也氏よりブログ記事を通じて返答があった。 速やかに反応いただいたことにお礼を申し上げるとともに、ご指摘の件について当方の見解を述べたい。 まず広田氏は、当該書籍はネット上で見かける「アタリショックなかった論」全般に対して向けられたものであり、hally氏の主張のみへの反論ではないと述べる。その「なかった論」の事例として挙げられているのが、以下のリンク先だ。 〇【衝撃】アタリショックは任天堂の捏造だった! ……まさかのゲハ板である。 なるほど、おおよそ真摯な議論など期待できない匿名掲示板の、「論」と呼ぶのもおこがましい書き込みが、広田氏にはまともに取り合うべき言説に映るようだ。せっかくだから今度は、先のスレッドに対して逐一マジレスしていく書籍を執筆して
アタリショックと任天堂: 「アタリショックは任天堂の捏造」という捏造 作者: 広田哲也出版社/メーカー: 発売日: 2020/08/14メディア: Kindle版 〇「アタリショック」という概念、言葉は任天堂が捏造したものだったのか? 答えはここにある。 (任天堂雑学blog) 〇「アタリショックの嘘と誤解」の嘘と誤解(その2) (同上) 本エントリーは、Webサイト「任天堂雑学」を運営する広田哲也氏が上梓した書籍『アタリショックと任天堂』を批判するものである。 当該書籍は極めて難点が多いが、特に看過できないのが副題にも挙げられている「アタリショックは任天堂の捏造」とのテーマだ。 広田氏は『アタリショックと任天堂』を執筆するに至った動機として、とあるブログの主張に疑問を感じことにあると述べている。本書の中では(何故か)名が明かされていないが、これはゲーム史研究家のhally(田中治久)氏が
〇Dragon Slayer (MSX) (MobyGames) 日本ファルコムが1984年にリリースした『ドラゴンスレイヤー』は、T&Eソフトの『ハイドライド』やコスモスコンピュータの『カレイジアスペルセウス』と並び、最初期に登場した国産アクションRPGとして知られます。 もっとも厳密に言うと、『ドラゴンスレイヤー』はターン制の疑似リアルタイムRPGです。しかしその先駆性と、ゲーム自体の面白さを兼ね揃えた傑作であるとの評価に異論を挟む人は少ないでしょう。僕自身、パソコンでは最後発のリリースとなったMSX-ROM版(1986年)を、時間を忘れるほど夢中になってプレイしたことを覚えています。 そんな『ドラゴンスレイヤー』が生み出される際に、作者の木屋善夫氏が参考にしたApple IIの海外産ゲームが存在するとの話をweb上で目にしました。 〇『Caverns of Freitag』 (Mob
〇“NO MORE映画泥棒”新CM公開。カメラ男が街中の逃走劇で華麗なアクションをくり広げる! (ファミ通.com) 上に挙げた記事の通り、約6年ぶりとなる「NO MORE 映画泥棒」のCMの新作が公開されました。 念のため説明しますと、「NO MORE 映画泥棒」とは劇場映画の盗撮や違法アップロードの防止を呼び掛ける啓発CMです。本編映像が始まる前に流れるため、日本の映画館へ足を運んだ経験がある人なら必ず目にしているでしょう。 さて、レトロゲーム界隈(って何処?)では有名な話ですが、この「NO MORE 映画泥棒」のCMにはAtari 2600(VCS)のゲームの効果音が使用されていることで知られます。 論より証拠。まずは2014年に公開された旧CMをご覧ください。 このCMで、効果音が使用されているAtari 2600のゲームは2作品。 具体的に述べると、0:31で違法DLを行っている
6月末に刊行された『日本デジタルゲーム産業史』(初版第1刷)の第2章について、米国家庭用ビデオゲームに関する記載内容を中心に、事実誤認や疑問に感じた箇所を指摘させていただきます。 P.28他 (誤)Magnabox (正)Magnavox p.35 (誤)テレスター(Telester) (正)テルスター(Telstar) p38 (誤)ビデオ・コンピューティング・システム(Video Computing System) (正)ビデオ・コンピュータ・システム(Video Computer System) ・ステラ(アタリVCS)に関して、“コントローラーとしては、家庭用ゲーム機で初めてジョイスティックが採用された”との記述があるが、欧州で1976年に発売された1292 Advanced Programmable Video Systemという名のゲーム機が2軸スティックを採用していたとの記録
○In Memoriam, Douglas E. Smith, 1960 - 2014 (Tozai Games) ○『ロードランナー』の作者Douglas E. Smith氏が死去 (Game*Spark) Rest In Peace. (ご冥福をお祈りします) おそらく、1980年代を過ごしたビデオゲーマーにとって『ロードランナー』は ―― オリジナルのApple II版、システムソフトやソフトプロの国産PC版、ハドソンのファミコン版、あるいはアイレムのアーケード版など形は違えど ―― 誰もが必ず一度はプレイしたことがあるのではないかと思います。 かく言う僕自身、「人生を変えた」というほど大袈裟ではないにせよ、かつてソニーから発売されたMSX版にのめり込み、そのことにちなんでloderunというハンドルネームを名乗ってしまったほどに、特別な思い入れがあるタイトルです。 そのため、『ロー
その1、その2の続きです。 さて、86年以前のキャラゲーでナムコがかかわりがあるタイトルと言えば、答えは一つしかありません。前回のパズルの正解は以下の通り。 遠藤氏 : ガンダムのゲーム作りたかったから 家庭用始めたんだよねぇ・・・(*訂正) インタビュアー : ええっ!!そうなんですか!!! 遠藤氏 : うにゃ。 「マクロス」のゲーム作ったときに色々ゴタゴタがあって それからナムコはよその版権モノは使わない!って方針だったんだよね。 *(2005/6/7)遠藤雅伸氏本人(!)からご指摘を受けました。お詫びの上、訂正させていただきます。 85年に発売されたファミコン版『超時空要塞マクロス』は極めて不自然なゲームでした。 販売はバンダイ、でも開発・製造はナムコ。 実際の商品を見るとよくわかりますが、カートリッジの形状(メーカーにより形が異なっていた)は明らかにナムコのものです。 さらにラベル
●Xbox公式による、アラモゴード発掘の模様を紹介したムービー (前回の記事) ○アラモゴードの『E.T.』発掘ニュースについて 4月26日に行われた、米国ニューメキシコ州アラモゴードの処分場の発掘作業ですが、その後の報告で、「E.T.埋蔵伝説の真相」とでも呼ぶべき決定的な証言が浮かび上がってきました。 ○元Atariの社員で「E.T.」を含むゲームカートリッジを埋めた責任者James Heller氏が当時の状況を説明 (doope!) ○Diggers find Atari's E.T. games in landfill (USA TODAY) 本件のキーパーソンとなるのは、アイダホ州ナンパ市在住の Jim Heller氏。 doope!の記事でも触れられている通り、このHeller氏は元アタリ社の社員であり、1983年にテキサス州のエルパソ工場よりアラモゴード処分場へと運びだされたビ
○Success! Atari E.T. games found in New Mexico dump (CNET) ○Long-Buried E.T. Cartridges Unearthed at New Mexico Landfill (Xbox Wire) ○都市伝説は本当だった、ニューメキシコ州の「Atariの墓」から最悪のクソゲー『E.T.』カートリッジが発掘される (Game*Spark) ○伝説は本当だった!アラモゴード市の埋立地発掘作業からAtari 2600版「E.T.」のカートリッジが出土 (doope!) 既にご存知の方も多いと思いますが、「E.T.の埋葬地」として知られる米国ニューメキシコ州アラモゴードの処分場の発掘作業が、4月26日に行われました。これは、マイクロソフトがXbox向けに制作しているドキュメンタリー番組の一環であり、希望者は誰でも見学可能とあって、
●Pac-Man Fever ジェリー・バックナーとゲイリー・ガルシアのデュオが歌う、1981年12月発売の流行曲。 シングルレコードは100万枚以上を売り上げ、『ビルボード』誌のヒットチャートに最高順位で9位にランクインする快挙を達成した。 ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 1982年4月3日――VCSの隆盛は最高潮を迎えていた。 アタリ社は、同年3月に発売した『パックマン』のVCS移植版について、大規模なセールスプロモーションを展開。この日を「ナショナル・パックマン・デー」と銘打ち、全米27都市で販売イベントを華々しく挙行した。 『パックマン』は、元々1980年にナムコより発売された業務用ゲームである。アメリカでは10万台以上を出荷し、社会現象と呼べるほどの一大ブームを引き起こしたことで知られる。 しかし、VCSへの移植版は、いわゆる「アタリショック」
今回も、例によって『艦隊これくしょん』の話題です。 遅ればせながら、提督の皆さんは秋イベントおつかれさまでした。そして未プレイの方は、現在でも定期的にサーバー開放抽選が行われていますので、是非とも着任しよう(提案) ■観艦式 ついカッとなって、MMD(MikuMikuDance)に手を出してしまいました。といっても、艦娘のMMDモデルに既成モーションを読み込ませて、遊んでいるだけなのですが。 上の三人は、今回の秋イベントで活躍してくれた我が艦隊のエースたち。鈴谷はE-4、E-5で決戦艦隊の旗艦を努め、霧島はE-4ボスを撃破する大戦果を挙げてくれました。本当は、E-3ボスとE-5ボスにゲージ破壊弾を叩き込んでくれた大井も加えたかったのですが、残念ながら改二バージョンのMMDモデルはまだ未公開のようです。 尚、吹雪は先日にLV80に到達しました。我ながらどうかしていると思います。 ■新艦さんい
Atari Video Computer System(VCS)はアタリ社が1977年に発売した家庭用ゲーム機。そして、1982年にVCSはAtari 2600へと改称された。 しかし、“VCS2600”との表記は一般的ではない。敢えて併記するのであれば、「VCS(Atari 2600)」とするべきであろう。 ファミコンは、1983年、アーケードで高い実績があり、ゲーム&ウオッチにも移植されていた「ドンキーコング」をローンチタイトルの一角に据え、ゲーム&ウオッチ版「ドンキーコング」で採用された「十字ボタン」をコントローラに組み込んで発売された。(中略) もっとも、業界の評判は、それほど芳しいものではなかった。「当初、アタリショックを知る流通には受け入れられず、有力な百貨店などは「委託でなら置いてもいい」ときわめて消極的な姿勢をとったのである」と言われている。 (p.143) この、“当初、
○Atari VCS (1) ― その誇り高き血統 (承前) 1981年から1982年にかけて、アメリカの家庭用ビデオゲーム市場は黄金期を迎えていた。その主役を演じたのは無論、アタリ社のVCSである。前述の『スペースインベーダー』に加え、『アステロイド』『ミサイルコマンド』『Yars' Revenge(ヤーの復讐)』などのヒット作を輩出。実に市場シェアの80%をアタリ社が握っていた。 VCS躍進の背景には、TIAが設計上の想定を超えたグラフィック性能を発揮していた点が大きい。例えば、元々プレイヤー・オブジェクトは2枚しか表示できないはずであったが、合計6枚まで複製表示可能であることが後に判明した。あるいは『パックマン』や『ディフェンダー』では、オブジェクトを点滅させることにより、擬似的に表示枚数を増やす「フリッカー」と呼ばれるテクニックが導入されている。加えて81年には、バンク切り替えによ
書籍『ファミコンとその時代』より、第一章から第二章にかけてのアタリ社家庭用ビデオゲームに関する記述の中で、特に疑問を感じた箇所への私的見解を取り急ぎ書き留めてみました。 書籍全体の感想は後日、別記事にて公開させていただきます。
国内ではアタリ・ショックとして知られる1980年代初頭のAtariに関する凋落ですが、この事件を象徴する都市伝説として知られるAtari 2600版「E.T.」のカートリッジ埋め立てに関する真偽が発掘調査を伴うドキュメンタリー作品として検証されることが明らかになりました。 ○数百万本が埋められたとされるAtari 2600版「E.T.」の都市伝説を発掘調査するドキュメンタリーの制作が決定 (doope!) (関連記事) ○米アタリ社「ビデオゲームの墓場」の真実は…埋立地の発掘捜査に許可(AP) (エキサイトニュース) ○A film company poised to search for 'worst video game ever' in Alamogordo (Alamogordo Daily News)*1 アタリショック考察を行なっている当blogとしては無視できない海外ニュー
○Princess Rescue - Atari 2600 アタリ家庭用ゲームコミュニティのAtariAgeで、VCS(アタリ2600)対応のHomebrewソフト『Princess Rescue』がリリースされました。 YouTubeのプレビュー画像の時点で、すでに出オチしてるんですが… どこからどう見ても、スーパーマリオじゃないか!(笑) というわけで、1977年に発売された家庭用ゲーム機のアタリVCSに、『スーパーマリオブラザーズ』のエッセンスが見事に移植されています。 元々VCSは、自由にデザインできるオブジェクト(スプライト)が表示可能なのは一画面に2枚まで。さらにオブジェクトのカラーは水平ラインごとに一色しか使えまぜん。厳しい制約の元で、ここまでスーパーマリオを再現できるとは驚きました 画面切り替えではなく、ちゃんとスクロールしているのもポイント高いですね。 とはいえ、くれぐれ
* ”More Games, More Toys” (もっとゲームを、もっと玩具を) トイザラスのテレビCMのジングルより(上の動画の0:25)。ちなみに、0:17に登場するビデオゲームは、アタリVCS対応ソフト『E.T. The Extra-Terrestrial』。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 そして、アタリショックと呼ばれる1982年のクリスマス商戦がやってくる。小売店は、とにかくVCS用のソフトが売れるということで、在庫の確保に奔走した。しかし、ふたを開けてみると、まったくソフトが売れないという事態に直面したのだ。前年のクリスマス商戦では30億ドルの売り上げがあったのに、この年は1億ドル以下になってしまったのだ。小売店は大量の在庫を抱えてしまい、倒産するところも続出した。 ―― 『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 (2010年)[1] 前回の更新
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