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note.com/quruli
怒涛の日々が終わりつつある。 アルバム『感覚は道標』の制作から発表、『くるりのえいが』の舞台挨拶やプロモーション、初の2日間開催となった京都音博、その後のイベント出演など。 もっくん含め、メンバーやスタッフも常にフル稼働で、数年分の仕事をここぞとばかりにやり込んだ感覚。 日々生きてるだけでなんやかんや色々あるから、ここに書く私たちの活動以外のところでも、なんだか色々あるから少し休みたいというか、いちど副交感神経優位にしてみたいところ。 映画を観てくれた方々、アルバムを聴いてくれた方々、音博やライブに来てくれた方々、日々応援いただいている方々、ほんとうにどうもありがとう。皆さんの励ましと期待、私たちにしっかり届いています。 BUCK-TICKというバンド、私が認識したのは30年少し前だったと記憶しています。 『JUPITER』という曲の演奏をTVの歌番組か何かで観て、サビのメロディがずっと頭
happy turn くるりオリジナル・メンバーの3人には、1990年代オルタナティヴ・ロック以外にも、音楽的に共通する参照点が幾つかある。 くるり結成前後は、3人とも古典R&Bやブルース、ファンクなんかを好んで聴いたり、演奏していた。 もっと若い頃には、1980年代ポップの影響も受けていただろうし、ビートルズやフー、ローリング・ストーンズをはじめとする1960年代ブリティッシュ・ロックは3人共通の大きなリファレンスである。 くるりはそもそもシンプルなロック・トリオなので、バンドのジャム・セッションからたまたま出てきたアイデアを発展させて、楽曲に仕上げていくことが少なくない。 『感覚は道標』に入っているすべての楽曲は、バンドのジャム・セッションで出たアイデアを発展させながら構築していったものである。 ある日のジャム・セッション。ストーンズ風のギターリフを冗談半分で弾いていたら、ザ・フーのよ
暑いですね。 くるりは、5人編成のバンドでライブツアー中です。ツアーが終わったら、イベントやフェス幾つかに出演予定です。 佐藤さん以外のツアーメンバー、まっちゃん、のっちとはもう10年くらい一緒に演奏してますし、石若とも5年くらいになります。あらきゆうこちゃん、クリフとはもっと長いですね。彼らは、レコーディングにもたまに参加しますし、サポートメンバーという肩書きではありますが、代わりが利く人たちではありません。これからも末永く一緒に演奏したいな、と常々思っています。 くるりは27年くらい続けていますが、その多くの部分を担っているのが彼らだと思っています。彼ら込みで、くるりです。くるりは、そういうバンドです。 書籍『くるりのこと』を読んでいただければ、くるりのおおよその歴史というか、成り立ちみたいなものをザックリと理解していただくことが出来ると思います。 メンバー変遷の多いイメージがあるくる
2023(令和5年)。 くるりは結成27年目。音楽家を生業にしてから25年ほど経ち、私は40代後半になりました。 バンドは紆余曲折を経て、まだまだ活動中ではありますが、ここ10年ほどで私はくるり以外にも様々な活動をしてきたように思います。その辺り、あまり周知されていないものもあると思うので、紹介しておこうと思います。
くるり新作アルバム『天才の愛』が発売されました。 どの曲も相当手をかけたので、長く聴き続けてもらうことで、沢山の発見があると思います。 『野球』という曲について、少し書きたいと思います。 このえらいことになり始めた頃、冬の寒い日に野村克也氏の訃報を知りました。 カープファンの私ですが、プロ野球チップスのカードを集めていたクソガキの頃から、絶賛中年まっしぐらな現在に至るまでプロ野球が大好きなのは、掘れば掘るほど面白いからです。ちなみに私は運動神経ZEROです。野球も出来ません。 麻雀(私はやりません)や将棋、株の売買(私はやりません)や不動産投資(私はやりません)のルールやシステムを考えだした人達の天才っぷりのことをたまに想像して畏怖の念を持つことがありますが、野球は私にとってその最たるものです。 元々私は人間が考えだしたいわゆる「勝負ごと」にあまり興味が無く、自分がそこに巻き込まれるとスト
えらいことになってから、随分と月日が過ぎたような気もするけど、カレンダー見てみると、まぁ大して時間は経っていない。 生活や仕事はこの2ヶ月ほどで大きく変わったと言えば変わった部分もあるけど、私自身は大して変わってない。いわゆる外出自粛している他は、ライブやイベント、興行の仕事が無くなったことと、会社の行く先や近しいスタッフや音楽家たち、ライブハウスの人たちなんかのこれからの生活のことを案じていることくらい。 コレをきっかけに大切なことに気づいた、とか、今出来ないことをとても大事なことだったと思う、とかもあまり実感として無いかも知れない。不感症なのかな。 もともと大事なことは大事、と知っていたということにしておこう。 世界各地から悲しいニュースがなだれ込み、近いところでも誰かが廃業したとか、アレが原因で差別が起こったとか、あちこちから色々聞こえてくるけど、薄眼で観てる。辛いね。右往左往してい
皆さまいかがお過ごしでしょうか。 並行世界では、ツアーがひと段落し、日比谷野音に向けてイベント出演など、意欲的にくるりは動いているはずです。 去る3月初旬、ツアーリハを行うも、来るべき現実の中でも、最悪のケースを想定しておくべき、との判断をくだし、咄嗟に出てきた「未発表作品集をとんでもないスピードでリリースする」ということに取り組むことになりました。 ビクタースピードスターレコードの制作スタッフや、弊社スタッフの手厚い協力により、およそ1か月で皆さんのもとへ届けることが出来たことに、心より感謝いたします。 ここに収められた11曲(来月発売のCD盤は15曲です)は、ツアーに出て唾を飛ばしながら歌い演奏し、打ち上げの居酒屋で馬鹿みたいに飲み騒ぎ、キャバクラなんか行ったりして羽目を外すような並行世界だと、陽の目を見ることが無かった作品だったことでしょう。 改めて、この世界の現実のために存在してい
そう言えば、オリジナル作品としては「The Pier」以来、4年近くもアルバム出してないことに気付く。 1998年のメジャー・デビュー以来、若い頃は毎年のようにコンスタントにアルバムを出していた。どうやってやってたんやろうと思うけど、まぁあの頃は若かったし、アイデア一発が何よりの原動力で勢い重視の世界。ザックリした録音の仕方は、潔いとも言えるし、雑いとも言える。ともあれ、まぁ仕事は早かった。時代もある。 30代最後のアルバム作品になった「The Pier」は、とにかく緻密に作り込んだ作品だった。こんなとこ誰も聴かへんやろ、ていうとこまで拘りに拘って、派手さはないけど、とにかく手の掛かったレコードたった。 自分たちの作品を改めて聴き返すことは、俺はあんまししないけど、アレは多分よく出来たレコードなんじゃないかな。でも、作るのにとにかく疲れたから、もういいや、って心の中で少し思っていたのかもし
先日、京都市中京区の文化施設「元・立誠小学校」にてイベントに参加し、弾き語り演奏を披露した。1993年に廃校になった同校はその後文化施設として再整備され、地域の顔として20年以上利用されてきたが、宿泊施設として生まれ変わることになり、その役目を果たし終えることとなった。 https://news.yahoo.co.jp/byline/shino-okamura/20171012-00076836/ 市内中心部の木屋町通り、高瀬川沿いという繁華な立地にある立誠小学校は、1980年代から20年ほど続いた市内中心部のドーナツ化による人口減少の煽りを受け廃校になった。 京都市内における人口変動、土地利用は、他の大都市と大きく異なる点がある。 第二次世界大戦中の戦災を免れ、古くからの街並みや歴史遺産が数多く残る京都市内中心部では、世界的にみても厳しい景観条例が事細かく存在する。広告展示物や建築物の形
初めて京都音博へお越しのお客様と、リピーターだけど京都をさらに便利に楽しみたい方へ。今回は「交通機関編」です。 ▪️梅小路公園への道のり 東海道新幹線「のぞみ」停車駅で、JR在来各線、近鉄線、地下鉄烏丸線やバスターミナルもある「京都駅」と、JR嵯峨野線「丹波口駅」、そして阪急京都線「大宮駅」はそれぞれ京都音博会場の梅小路公園最寄り駅です。 それぞれ徒歩で15分、15分、20分。市バスなどバスに乗り継げば、京都駅、大宮駅からそれぞれ10分で会場まで行けます。梅小路公園最寄りのバス停は「梅小路公園・鉄道博物館前」と「七条大宮・京都水族館前」です。 会場へのバスアクセスガイドです→http://www.kyoto-ga.jp/umekouji/sp/access.html ▪️首都圏より京都へ やはり新幹線が便利です。「のぞみ」を使えば東京駅から2時間15分ほど、新横浜からだと2時間を切ります。
さあ、何を書こうかと思い、iTunesストアを開いたところ、トップにあったアジカン。最近ラジオで昔の曲が度々流れていたんで何かと思っていたら、再録なんですね。すげー、自分たちにも度々そんな話も上がったりするけど実現させてないし、再録ってどんな感じなんやろうと思い、今月のお題にさせてもらおうとポチッとしまして、いま聴き始めたらものすごい問題が発覚しました。おれ、知らねー、このアルバム、知らねー。再録がどうのってか、初見じゃねぇか、よく考えたら。自分のバカ。でもせっかくポチッとしたので、再録云々を関係なしに書いていこうと思います。なんだかすんません。 まずヤホーじゃなくてグーグルで検索してみますと2004年のリリースのセカンドアルバムで12年前の作品なんですね。自分のよく知ってる「晴天の霹靂」って歌ってる「君という花」は2枚目のシングルで、このアルバムには入ってなくてちょっと残念。しかし、オリ
岸田 繁が「京都市交響楽団」へ 30分を越える交響曲を書き下ろし! 12月に京都にて初演決定!本日よりチケット先行受付スタート! 岸田繁が京都市交響楽団へ 30分を越える交響曲を書き下ろし、 12月に京都での初演が決定しました。 「京都市交響楽団」は、今年60周年を迎える日本の大編成を有する歴史あるオーケストラで、2015年に「第27回ミュージック・ペンクラブ賞」、栄誉ある「第46回サントリー音楽賞」を常任指揮者の広上 淳一とともに受賞する等、近年の活躍も著しい交響楽団です。 今回はその「京都市交響楽団」より依頼をうけ、『京響プレミアム』という京都市交響楽団が他ジャンルの音楽家等と向き合い、オーケストラの新しい可能性を提供する企画にて、岸田 繁が30分を越える交響曲を書き下ろします。その初演が12月4日に京都にて開催される事が決定しました。本日、5月16日18:30より、くるりファンクラブ
くるり初のクリスマス・ソングーー “最後のメリークリスマス”にこっそりと隠された10のプレゼント(2013年オフィシャルインタビュー・ライナー再掲載) 結局のところ、歌とは何でしょう? それはもしかすると、同じ時代を暮らす、すべての人々へ向けたプレゼントなのかもしれません。音楽家たちというのは、それぞれの曲にいろんな想いやメッセージをいくつもこっそりと忍ばせています。言葉だけではなく、サウンドとして、演奏として、時間の流れとして。「本当の気持ち」を敢えて言葉にすることなく、まるでクリスマス・イヴにやってくるサンタ・クロースのようにこっそりと忍ばせて、それに気がついた人のための秘密のプレゼントとして隠しているものなのです。それゆえ、ひとつの曲にはいくつもの工夫が凝らされています。なので、訊いてみました。この曲のソングライターである、メガネをかけた巻き毛のサンターーくるり岸田繁は、どんな秘密を
妊娠・出産のことなど、いっぺんくらい書いてみる。 そもそもわたしは、新しいことをやってみる、ということに臆病だ。ここ数年でようやく気付いた。常に腰がひけている。 そういう意味で、ここまでまるで綱渡りのような30年だったように思う。 そんなビビリの自分に子どもができた。 正直言うと、わたしは子どもが苦手なんであった。 いつも泣かれるし、、、、まず仲良くなれた試しがない。体型と雰囲気?からか、ファンちゃんはいいお母さんになりそう!とよく言われたもんだけど、そんなバカな、て毎回思ってた。そりゃ自分もいつかは、なんて憧れてはいたけど、まだ母になる自信なんて到底持てそうになかった。 でもいざ産婦人科の先生に、しっかり妊娠してますよ〜!と言われた瞬間、えも言われぬ嬉しさがじんわりと込み上げた。同時に、またとない動揺。この日の気持ちは複雑すぎて表現できない。 とりあえず言わねば始まらんと思ってメンバーと
それは2月某日のこと。阪急電鉄京都線で長年活躍した2300系電車が、きたる2015年3月22日に営業運転から引退するということで、その前に乗りおさめをしておきたい――という岸田さんが、noteでの新たな企画をひらめきました。 題して「くるり岸田繁『電車の花道』」! 子供の頃から親しんだ阪急電車。"チアノーゼ(2ndAl「図鑑」収録)"の歌詞には「東向日駅の梅田方面ゆきホーム」というフレーズを織り込むなど、阪急にひとかたならぬ深い想いを持つ岸田さん。しかも1960年から阪急京都線で活躍し、様々な歴史とともに半世紀以上にわたって京阪間を走り続けた名車、2300系の引退が間近に迫っている……というわけで当然、この不定期特集の第一回は「阪急2300系」をお送りします。 そして大阪、午前8時20分集合。岸田さんが時間よりも早く現れた!阪急梅田駅に向かう道すがら、さっそくパチリ。 そして本日、いい感じ
時代は90年代半ば。それは日本のポップ音楽にとってとても芳醇な時代でした。「CDショップ」と呼ばれる業態が全国的に一般化し、それまでアナログ・レコードでは手に入らなかった膨大な過去の名盤カタログがCDという形で一斉に復刻され、誰にでも気軽に手に入るようになった時代でした。しかも、以前なら考えられなかったような巨大な敷地面積の売り場の中で、古今東西の名盤がずらりと並べられることになったのです。今からは想像もつかないことですが、それはそれは壮観な眺めだったのです。 映画『サムサッカー』の監督でもあり、ビースティ・ボーイズのレーベル〈グランド・ロイヤル〉のカタログのアートワークをいくつも手掛けたグラフィック・デザイナーでもあるマイク・ミルズは、90年代の半ばに僕にこんな風に語ってくれたことがあります。タワー・レコードは僕らの世代のMOMA(ニューヨーク近代美術館)なんだ。そう、まさにその通りだっ
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