1948︵昭和23︶年8月10日発行の長野県内月刊誌﹁信毎情報﹂は、﹁忘れられる人々﹂と題し、グラビアで傷痍軍人の姿をルポしています。こちらは、バス車内の傷痍軍人の写真です。 足の不自由な傷痍軍人に席を譲る人もなく ﹁かつてわれわれをたたえた彼女たちは冷たくも座席に腰かけ、私はこうして不自由な身体で立っていく…﹂と写真説明。しかし、こうした反応は決して終戦を境に変わったのではありません。 1940︵昭和15︶年8月13日付信濃毎日新聞の投書を紹介します。 ﹁長野電鉄にて ▼このごろの長野電鉄線は、いつも満員です。その日も湯田中からの都会人、しかもリュックサック背負った体位向上?をもって自ら任ずる若き男女でしたが所せまきまでにひろがり、私たちは中途から乗るので腰かける場もありませんでした。▼ちょうど延徳駅と思いました。傷痍軍人章をつけたご老人が足を引きずりつつステッキをつきながら乗ったのでし