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ヨハン・セバスチャン・バッハの、 「ゴルトベルク変奏曲」はチェンバロ、 もしくはピアノでの演奏が主流ですが、 その他にも様々な楽器に編曲された版が存在し、 その演奏録音も少なからずリリースされています。 「フーガの技法」も様々な楽器で演奏されますが、 「フーガの技法」は演奏に際しての指定楽器はなく、 多くの音楽家の想像力を刺激しているようです。 でも、「ゴルトベルク変奏曲」はクラヴィア曲、 すなわち鍵盤楽器で弾くための楽曲です。 店長の子供の頃はGOLDBERGをそのまま英語読みして、 「ゴールドベルグ変奏曲」でしたっけ。 古くはワンダ・ランドフスカのチェンバロによる演奏や、 グレン・グールドによる2つのセッション録音が定盤でした。 ランドフスカのLP復刻盤や グールドの2種類のセッション録音はLP以来の付き合いですので、 随分前から聞いていることになります。 チェンバロやピアノで聞く「ゴ
J.S.バッハ/「ロ短調ミサ曲」は、 ひとつの目的のために全曲が作曲されたわけではなく、 さまざまな時期に作曲されたものの集大成のようです。 全部聞こうと思うと、 演奏するほうも大変ですが、 かなり長いので聞く方も大変です。 オペラも長いですが、 「ロ短調ミサ曲」は宗教曲ですしね。 最初の「キリエ」は衝撃的です。 店長は「ロ短調ミサ曲」をアンプのボリューム位置を間違えて、 とんでもなく大きな音で聴いたことがありますが (むろん、すぐにボリュームを絞りましたが)、 その圧倒的な力感のある合唱に、 どこかに連れ去られるような恐怖感を持ちました。 その時の体験がトラウマとなって、 長い間、 リフキン盤を聞くまで、 なんだか「聞くのが怖い」楽曲のひとつになってしまっていました。 やはり、最初はカール・リヒター指揮のARCHIV盤から聞きました。 国内盤LPでARCHIV盤が出た最初の頃、 その音の
久しぶりの更新です(^^;。 何だかこのところあれこれ忙しくて、 まとまって音楽を聞けずにいます。 それでも、ひとつ。 ハインツ・レーグナーは、 ドイツ分断時の東ドイツの指揮者でしたので、 比較的地味でした。 でも、 シューベルト/交響曲第9番「ザ・グレート」や、 ワーグナーの管弦楽曲集などの非常に優れた演奏録音、 ヴォルフ=フェラーリ管弦楽曲集など珍しい録音があれこれあり、 日本では徳間音工がレコードや初期のCDをリリースしていましたので、 比較的入手しやすかったです。 レーグナーの演奏録音のレーベルはDeutsche Schallplattenで、 CDでは徳間音工のCDだけではなく、 Berlin Classicsの輸入盤でもあちこちで販売されていましたので、 いろいろ聞いては楽しんでいました。 後にキングレコードがマスタリングを変え、 再発しました。 レーグナーによる、 シューベル
今年も早10月、 年末がだんだんと近づいてきました。 年末になると、ベートーヴェン/交響曲第9番の季節です。 まえに、第9を取り上げたことがあったのか、 記憶の彼方になってしまいましたので、 ダブってもいいや、と、今回は第9を取り上げます。 店長が子供の頃は、 交響曲第5番が「運命」と呼ばれ、 最初に聞いたベートーヴェンの楽曲がその「運命」であった... という人も多いのではないかと思います。 店長もそうでした。 誰の演奏か忘れてしまった17cm33回転2枚組LP(シングル盤の大きさ)からでしたが、 とにかく「運命」から始まりました。 でも、昨今は第9から...という人が多いかもしれません。 年末の風物詩とともに、 第9がそれだけポピュラーになったといえるのかも知れません。 第9はコンサートも音盤もそれこそイヤというほど聞いてきましたが、 音盤で一番思い出に残っているのは、 ジョージ・セル
暑いし、 帯状疱疹を患っちゃうしで、 このところ更新が滞っていました。 帯状疱疹は放っておいたのが災いして、 神経痛が出てしまいました。 医者から、「来るのが遅い!」と怒られてしまいました。 帯状疱疹が出たら、 すぐに皮膚科でも内科でも行ってください。 年齢を重ねると、 神経痛の痛みは半端ではありませんから...。 それでも、 つまみ聞きが多いものの、 あれこれ音盤はよく聞いています。 その中で最近一番驚いたのは、 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の、 ブルックナー/交響曲第8番でした。 1969年の録音ですから、 セルが大阪万博クラシックで来日する1年前、 セルは来日後、すぐに亡くなってしまいましたので、 最晩年の録音です。 CBSの録音で、 日本でもSONYからリリースされました。 リリース日時は忘れてしまいましたが、 評判の高かったレコードですので、 店長もすぐにLPを購入し
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は、 その昔、交響曲第5番でした。 店長がクラシックを聞き始めた頃、 第9(5)番というような書き方をしたLPがまだ残っていました。 第1番から第4番までは存在しなかったのでしょうか? 店長が中学校に入りたての頃、 ブラスバンド部に籍を置いていた連中からの影響で聞く音楽は、 まず、この「新世界」交響曲第4楽章でした。 金管の咆哮が「かっこいい!」というのが大きな理由です。 「アイーダ」の凱旋行進曲もそのうちのひとつですが、 小学校高学年のころか、中学校に入った頃か、 そのあたりの記憶が曖昧です。 もうひとつ、 ショスタコーヴィチ/交響曲第5番の第4楽章も人気がありましたっけ。 これも金管の咆哮が「かっこいい」ですね。 友人のレコードや自分のレコード、 中学の音楽室で聞かせてもらったレコードなど、 いったいどれが自分の初聞きであったのか、 もう分から
ヴィヴァルディ/「四季」は、 「和声と創意への試み」という協奏曲集に含まれている4つの協奏曲で、 「春」「夏」「秋」「冬」それぞれ3つの楽章から成っています。 「四季」という題名はヴィヴァルディがつけたものではないそうですが、 それぞれにソネットがついているそうですので、 そのソネットの季語から「四季」という題名が生まれたのかもしれません。 この辺りは店長はまったくの浅学のため、 よく分かりません。 「四季」はステレオが普及しはじめた頃、 クラシックを少しでも聞く家庭なら「一家に一枚レコードがある」的な、 非常にポピュラーな楽曲でした。 それも、ほとんどが フェリックス・アーヨのヴァイオリン、イ・ムジチ合奏団による演奏録音で、 驚くほど普及していました。 どこのお宅に行ってもあったような…。 ただ、店長はへそ曲がりですので、 クラシックを聞き始めた頃、 カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥッ
今日、11月30日は、 ドイツの大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーの命日です。 68歳で亡くなったのですね。 今でいえば、まだまだ若くして亡くなったということでしょうか。 第2次大戦中や戦後の苦労が、 フルトヴェングラーの生命をを一気に縮めたような感があります。 店長は白状すると、 フルトヴェングラーの作り出す音楽が少し苦手だったりします。 我がハンス・クナッパーツブッシュ・ファンに比べて、 フルトヴェングラー・ファンの方が圧倒的に多いので、 なかなか言い出すのが怖いというところはありますが、 「なんで、ここでアチェレラントがかかるのだろう?」 とか、 スコアを見ながら聞いていると、 音楽の表情付の記号がほぼすっ飛ばされ、 フルトヴェングラー流の表情付に変わってゆきますので、 「え?」ということが多々あります。 フルトヴェングラーは作曲家でもありましたので、 自分の感じる様式に、 ス
モーツァルト/セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、 超有名曲です。 録音も、一体どれくらいあるのか分からず、 さらにポップスやジャズにアレンジされたものも数多くありますので、 どこかで必ず聞いたことがあるかもしれない…という楽曲です。 映画「アマデウス」の冒頭の方で、 真実を知るため、そして贖罪を即す神父が、 モーツァルトを殺したと主張するサリエリ(アントニオ・サリエリ)の楽曲を知らず、 サリエリがフォルテピアノで 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第1楽章を少しだけ弾くと、 神父は嬉しそうに「あ!この曲知っています!」と答える場面があります。 また、同じく映画「エイリアン」で、 宇宙を航行する宇宙船ノストロモ号のデッキで、 船長がくつろぐために「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第2楽章を聞く、 という場面も印象的でした。 店長はいったい、 いつ「アイネ・クライ
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲は子供の頃から大好きで、 よく昼間に聞くのですが、 子守唄代わりになってしまい、 3楽章のうち、たいがい途中で寝てしまいますので、 オートリフトの付いていないLPプレーヤーだったため、 1枚しかない同曲のLPは最内周が真っ白になっていました。 そのときに聞いていたヴァイオリン協奏曲は、 講談社版ステレオ世界名曲全集に含まれていたLPですので、 DECCA盤(日本ではLONDON)であることは間違いがないのですが、 誰の録音であったのかは覚えていません。 ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲は新旧さまざまな演奏があり、 古くはフルトヴェングラー盤からいろいろと漁りました。 LP、CDを通じて長く愛聴盤であったのは、 カール・ズスケのヴァイオリン、 クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団盤です。 これは今でも好きでよく聞きます。 その他、ギドン
ベートーヴェン/交響曲第9番の話題が続きますが、 今回はオットー・クレンペラーの1957年ライヴ録音です。 この録音がリリースされた時には驚きました。 まさか、1957年のライヴ録音が、 ステレオで、 さらにこれほどのサウンドクオリティを確保しての CD化が信じられなかったのです。 1957年11月15日、フィルハーモニア合唱団の お披露目コンサートでのライヴ録音です。 このCDのリリースは、 店長みたいな人種にとって、 ハンス・クナッパーツブッシュによる、 1951年「神々の黄昏」バイロイトライヴのリリースにも匹敵する、 出来事だったのです。 特に、第9ですからね。 リリース当時、非常に気持ちが昂ったことを思い出します。 クレンペラーのベートーヴェンは非常に懐が深く、 EMIへのセッション録音では、 最初、何をやっているのか分からないものの、 他の指揮者のベートーヴェンを聞き、 もう一度
ベートーヴェン/交響曲第4番は、 第3番「エロイカ」と第5番の間に挟まれ、 表題もなく、長い間地味な印象のある交響曲でした。 「谷間の百合」とか「北欧神話のふたりの巨人に挟まれたギリシアの乙女」などと呼ばれ、 聞いたことのない人には、 優し気な楽曲なのか? と、錯覚しそうでした。 実際には激しさを持ったマッチョマン的といってもいい音楽です。 その地味な印象のあった交響曲第4番を、 一気にメジャーな存在にしてしまった演奏録音があります。 カルロス・クライバーがバイエルン国立管弦楽団を指揮した、 1982年カール・ベーム追悼演奏会のライヴ録音です。 コンサートでは第4番、第7番が演奏されました。 カルロス・クライバー盤は、 最初、ORFEOのLPで発売され、 国内発売の帯(国内発売は輸入盤に帯がついていました)の文言は、 「ここでカルロス火を吹いた!」という、 勇ましいものでした。 実際に聞い
J.S.バッハのクラヴィア曲といえば、 ゴルトベルク変奏曲と6曲のパルティータを一番よく聞いたでしょうか。 店長がクラシック音楽を聞き始めたころは、 J.S.バッハのクラヴィア曲というと、 グレン・グールドによるピアノの演奏が全盛で、 ヘルムート・ヴァルヒャ(ヴァルハ)や カール・リヒターのチェンバロでなければ、 たいてい、グレン・グールドのレコードを買っていたようなところがあります。 グレン・グールドによるバッハは今でも好きで、 たまに...になってしまいましたが、 今でも聞きます。 ほぼ、バッハのクラヴィア曲はグールド一辺倒だったところに、 スヴャトスラフ・リヒテルの「平均律クラヴィア曲集」を聞いたり、 アンドラーシュ・シフのいろいろな録音がDECCAから出るようになったりして、 グールドを離れて聞くようになりました。 遡ってディヌ・リパッティも好きでよく聞きましたっけ。 最近ではアン
モーツァルトの最後の交響曲となった第41番は、 楽曲の壮大さ、輝かしい音楽に、 「ジュピター」と名づけられました。 「ジュピター」と名づけられた経緯は分からないそうですが、 かなり古くから「ジュピター」という名前は通っていたようです。 当時、稀に見るスケールの大きな音楽だったようです。 店長が「ジュピター」を初めて聞いたのは、 当時廉価盤で出ていた ヨーゼフ・クリップスのレコードだったように記憶していますが、 自信がありません。 他の指揮者による演奏だったかもしれません。 意識して「ジュピター」のレコードを購入したのは、 ニコラウス・アーノンクール指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏録音でした。 これは、近代型オーケストラで、 古楽器による演奏法を実践した、 ひじょうに意欲的なレコードでした。 さらに、通常省略される繰り返しを省略せずに演奏した、 当時としては画期的な演奏録
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