今朝の朝日新聞社説「米ロ核軍縮―「プラハ構想」を動かせ」(参照)と毎日新聞社説「社説:米露新条約 核兵器全廃への弾みに」(参照)を読んで少しだが変な感じがした。話題によってこの二紙が示し合わせたような論調を取ることは不思議でもない。変だなと思ったのは、この議論をするなら欠かせるはずもない米国核態勢見直し(NPR: Nuclear Posture Review)報告書に両社説がまったく言及していないことだった。 両社説は米国オバマ大統領に核廃絶を期待しているという内容なのだから、その具体的な見通しとなるNPRにまったく言及しないのはなぜだろうか。例えば、New York Times記事「White House Is Rethinking Nuclear Policy」(参照)のような視点から書くことは難しくはないだろうし、「憂慮する科学者同盟」報告書の趣旨に沿ったような主張もできそうなものだ
今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日本の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。 ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ
独立行政法人 日本原子力研究開発機構のプレスリリース[PDF 777KB]によると、新型転換炉(ATR)の原型炉 ふげんの廃止措置計画を通商産業省に提出した。認可されれば、平成40年までに完全に解体される。 ふげんは、日本が独自開発した炉形式である新型転換炉の原型炉で、昭和53年に初臨界に達した。カランドリアタンクと呼ばれる重水を満たした容器を減速に用い、タンクに開いたレンコン状の穴に、燃料集合体と冷却材の軽水を循環させる圧力管(チャンネル)を持つ、重水減速沸騰軽水冷却圧力管型炉。燃料に天然ウランが直接使用できることや、減速材に液体ナトリウムを使用する高速増殖炉(FBR)に比べて構造が単純で通常の原発プラントに応用が容易である点などの特徴を持つ。また、ふげんは平成2年以降、MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合の酸化燃料)の燃焼実験にも使用され、世界最大のMOX燃料装荷炉として大量のデータ収
時事通信のニュースを見て気になったのは、世界中から核をなくす運動をするにあたって、核の議論なしに話を進めることは可能なのかという件である。もちろん鳩山さんの言わんとすることはよく理解できるし、政府要人として軽はずみな言動をもたらしかねない核兵器関連の議論を誘導すべきではないという考え方も否定すべきものでもない。 核不拡散の概念は、必ずしも核クラブの大国既得権益だけに拠って立つものではない。平たく言えば、誰かに核兵器を持たせたくない勢力は、自分の持っている核兵器が相対的に価値が減少することを怖れることにほかならない。逆に、我が国は世界で唯一の被爆国であるというものも一定の価値があると考えた場合、確かに鳩山さんが言う「核をなくす運動」の旗を振る資格の価値もあるだろう、と語るなら議論は成立する。 ところが、我が国が核不拡散を被爆国の立場から言えば言うほど、核クラブの立場を強化するだけでなく、
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