なぜ半分だけ、かというと、美しくない状況をより美しくすることがプログラムの使命であるならば、結果としてソースコードが美しくならないことも往々にしてあるから。 もっと身も蓋もない言い方をすると、この世の穢れをプログラムが背負う事もまたあるのだということ。 このことは、特にAPIを提供するソースを書くときに顕著だ。こういったプログラムに求められるのは、APIが美しいことであって、ソースコードそのものが美しいことではない。そこでは、さまざまな泥臭いことはAPIを提供するプログラムがかぶることで、APIのユーザーは醜いものを気にせずにプログラムできるようになる。 実装が美しいけどツカエないプログラムと、実装は醜いがツカエるプログラムとどちらがよいかといえば、後者の方に決まっている。もちろん実装も美しくかつツカエるプログラムというのもありで、プログラマーは皆それを目指しているのだけど、プログラマー側
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