加藤雪腸
日本の俳人
経歴
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1875年︵明治8年︶静岡県榛原郡川崎町︵現在の牧之原市︶に生まれる。静岡師範学校︵現在の静岡大学︶在学中に俳句を始め、正岡子規に入門。高浜虚子、河東碧梧桐とともに、早くから子規門となった若手俳人として注目される。また静岡師範学校の仲間を中心に俳誌﹃芙蓉﹄を主宰、同誌を発行する﹁芙蓉会﹂は松島十湖、藤田紫亭、渥美渓月、久保田九品太らが集い、静岡における日本派の拠点となった。
静岡師範卒業後、教員となった後も俳句を続けたが、子規亡き後は次第に自由律俳句に傾倒。荻原井泉水の﹃層雲﹄や中塚一碧楼の﹃海紅﹄に投句を続ける中、自身の俳誌﹃曠野﹄を創刊。﹁自由俳句﹂を標榜して、井泉水や一碧楼の自由律俳句とも違う、独自の句作を目指した。1932年︵昭和7年︶、交通事故に遭い57歳で急逝。
句集
編集- 『加藤雪腸遺稿 自由俳句管見』(1944年)
- 『三絃琴 加藤雪腸遺稿 作品集』(1981年)
参考文献
編集- 加藤万古刀編『三絃琴 加藤雪腸遺稿 作品集』(1981年・加藤万古刀)
- 上田都史編『自由律俳句文学史』(1975年・永田書房)
関連項目
編集外部リンク
編集- 舞阪の弁天島渚園にある雪腸の句碑 - ウェイバックマシン(2007年2月18日アーカイブ分)
- 自由律俳句結社「海紅」