大島治喜太
日本の剣道家
経歴
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佐賀県出身。大日本武徳会武術教員養成所を卒業。武専では持田盛二、堀正平と並び﹁三勇士﹂と謳われた。
19歳のとき中山博道に稽古を願い、5本のうち3本をせしめたという。同年、青年大会で23人を勝ち抜き優勝。
1919年︵大正8年︶、剣道教士に昇進。
1929年︵昭和4年︶、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。持田盛二と共に優勝候補に挙げられたが、リーグ戦で持田に敗れる。持田は優勝した。
1931年︵昭和6年︶、剣道範士に昇進。
1934年︵昭和9年︶、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、植田平太郎との試合を披露した。
1939年︵昭和14年︶、死去。享年51。墓所は多磨霊園。