廿日市駅
広島県廿日市市駅前にある西日本旅客鉄道の駅
廿日市駅(はつかいちえき)は、広島県廿日市市駅前にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。駅番号はJR-R07。
廿日市駅 | |
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南口駅舎 | |
はつかいち Hatsukaichi | |
◄JR-R06 五日市 (3.4 km) (1.6 km) 宮内串戸 JR-R08► | |
所在地 |
広島県廿日市市駅前1-1 北緯34度21分28.21秒 東経131度20分8.37秒 / 北緯34.3578361度 東経131.3356583度座標: 北緯34度21分28.21秒 東経131度20分8.37秒 / 北緯34.3578361度 東経131.3356583度 |
駅番号 | JR-R07 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | 山陽本線 |
キロ程 | 320.2 km(神戸起点) |
電報略号 | ハツ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
3,432人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)9月25日 |
乗換 | 広電廿日市駅(広島電鉄宮島線) |
備考 |
業務委託駅 みどりの券売機プラス設置駅 |
歴史
●1897年︵明治30年︶9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間の延伸と同時に開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
●1906年︵明治39年︶12月1日 - 山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となる。
●1909年︵明治42年︶10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
●1980年︵昭和55年︶9月24日 - 車扱貨物の取り扱いを廃止。駅舎の南側に有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
●1987年︵昭和62年︶
●2月14日 - みどりの窓口営業開始。
●4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道︵JR西日本︶の駅となる。
●2007年︵平成19年︶
●6月7日 - ICOCA対応の自動改札機を設置。
●9月1日 - ICカード﹁ICOCA﹂の利用が可能となる。
●2008年︵平成20年︶10月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅となる[注1]。
●2009年︵平成21年︶6月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックの西広島営業所が新設され、当駅に設置[注2]。
●2014年︵平成26年︶
●4月 - 廿日市駅改良工事開始。
●9月20日 - 旧駅舎の使用を終え、仮設駅舎での営業に切り替わる。
●2015年︵平成27年︶
●10月3日 - 橋上駅舎の使用が開始される[3]。改札口、上下線ホームにLED発車標を設置。セブンイレブンキヨスクJR廿日市駅店オープン。
●10月 - ジェイアール西日本広島メンテックの西広島営業所が、当駅[4]から玖波駅へ移転[5][注3]。
●2016年︵平成28年︶
●2月20日 - 南口のエレベーターの使用を開始。同時に北口へ降りられるようになる︵この時点では、まだ北口広場と北口エレベーターは使えなかった︶。
●3月30日 - フジ廿日市店が北口に開店[7]。
●4月22日 - 北口のエレベーターの使用を開始。
●2018年︵平成30年︶5月12日 - 廿日市駅周辺整備事業の完成記念式典が行われ、南口駅前広場が供用開始となる[8]。
●2021年︵令和3年︶7月1日 - 駅業務がJR西日本中国交通サービスに移管される。
●2022年︵令和4年︶
●4月19日 - みどりの券売機プラス稼働開始[9]。また、この日を以ってみどりの窓口の営業を終了[9]。
駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅で橋上駅舎を有する。駅構内にはエレベーターが設置されている。改札口、上下線ホームにLED発車標が設置されている。JR西日本中国交通サービスによる業務委託駅で、みどりの券売機プラスが設置されている。
構内にトイレは無く、南口ロータリーの公衆トイレ︵バリアフリー対応︶を利用する。
駅舎は鉄骨造であるが、木工の街を意識した内外装になっており、広島近郊の駅舎では珍しいデザインである。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 山陽本線 | 下り | 宮島口・岩国方面 |
2 | 山陽本線 | 上り | 広島・三原方面 |
※上下線の間にホームのない待機線︵運転指令上は﹁2番線﹂︶があるが、現在は架線がなく、配線上の理由︵広島側で上り線のみ、岩国側で下り線のみに接続︶によって電車は入線できない。かつては両側で上り線、下り線両者に接続した、いわゆる中線であった。この名残で、2番のりばは運転指令上は﹁3番線﹂とされている。
駅周辺
徒歩3分の所に広島電鉄宮島線の広電廿日市駅がある。
駅前には、古くからの商店街がある。かつて二十日の日に、市場が開かれていた。廿日市の名前の由来である。徒歩3分の中央公民館のあたりが、西国街道の廿日市本陣であった。
洞雲寺という禅宗の寺がすぐそばにある。とても古い寺で、毛利元就との厳島の戦いで名高い陶晴賢の墓がある。本尊は釈迦如来像。
桂公園という広い公園がある。元は、桜尾城といって海に浮かぶ城であり、厳島の戦いの折には毛利元就が陣を敷き、後には豊臣秀吉も宮島に参詣する際に滞在している。その後荒れていたが、その城主の子孫の桂太郎︵明治期の元老・総理大臣・公爵︶が土地を買い戻して当時の廿日市町に寄贈し、公園としたので桂公園という。
天満宮がある。高台にあり、廿日市市内を一望できる。大きな楠が名物で、下から眺めてもよく見える。1991年︵平成3年︶の台風19号によりいくつかの木は倒されてしまったが、残った現在ある楠もすばらしいものである。
駅裏の北側には田や山が残っていたが、駅裏の工事によって一変し宅地に変わろうとしている。
駅の南側は廿日市駅への道が造られようとしている。
利用状況
「廿日市市統計書」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。当駅は廿日市市の代表駅であるが、隣の宮内串戸駅の方が乗車人員が多い。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1987年(昭和62年) | 4,775 |
1988年(昭和63年) | 3,966 |
1989年(平成 元年) | 3,803 |
1990年(平成 2年) | 3,807 |
1991年(平成 3年) | 3,890 |
1992年(平成 4年) | 4,120 |
1993年(平成 5年) | 4,069 |
1994年(平成 6年) | 4,048 |
1995年(平成 7年) | 3,958 |
1996年(平成 8年) | 3,863 |
1997年(平成 9年) | 3,688 |
1998年(平成10年) | 3,738 |
1999年(平成11年) | 3,783 |
2000年(平成12年) | 3,899 |
2001年(平成13年) | 3,903 |
2002年(平成14年) | 3,743 |
2003年(平成15年) | 3,619 |
2004年(平成16年) | 3,500 |
2005年(平成17年) | 3,463 |
2006年(平成18年) | 3,488 |
2007年(平成19年) | 3,556 |
2008年(平成20年) | 3,478 |
2009年(平成21年) | 3,376 |
2010年(平成22年) | 3,325 |
2011年(平成23年) | 3,324 |
2012年(平成24年) | 3,410 |
2013年(平成25年) | 3,473 |
2014年(平成26年) | 3,400 |
2015年(平成27年) | 3,648 |
2016年(平成28年) | 3,791 |
2017年(平成29年) | 3,966 |
2018年(平成30年) | 3,983 |
2019年(令和 元年) | 4,064 |
2020年(令和 2年) | 3,432 |
隣の駅
脚注
注釈
出典
(一)^ 会社案内﹇営業所﹈, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2009年4月4日時点におけるアーカイブ。
(二)^ 会社案内﹇営業所﹈, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2010年3月30日時点におけるアーカイブ。
(三)^ “廿日市新駅舎完成 木のまちPR”. 中国新聞 (中国新聞社). (2015年10月3日) 2015年10月4日閲覧。
(四)^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2015年11月20日時点におけるアーカイブ。
(五)^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。
(六)^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2016年10月25日時点におけるアーカイブ。
(七)^ ab“再開発エリアにフジ廿日市店が開店”. 中国新聞 (中国新聞社). (2016年3月31日)
(八)^ “廿日市駅整備事業が完成”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2018年5月23日)
(九)^ ab“廿日市駅|駅情報‥JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2022年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月24日閲覧。
関連項目
外部リンク