第49回NHK紅白歌合戦
『第49回NHK紅白歌合戦』(だいよんじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1998年(平成10年)12月31日にNHKホールで行われた、通算49回目の『NHK紅白歌合戦』である。
第49回NHK紅白歌合戦 | |
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会場のNHKホール | |
ジャンル | 大型音楽番組 |
出演者 |
久保純子(紅組司会) 中居正広(白組司会) 宮本隆治(総合司会)他 |
エンディング | 『蛍の光』 |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1998年12月31日(木曜日) |
放送時間 | 20:00 - 23:45 |
放送分 | 225分 |
回数 | NHK紅白歌合戦第49 |
NHK紅白歌合戦公式サイト | |
番組年表 | |
前作 | 第48回(平成9年) |
次作 | 第50回(平成11年) |
第49回NHK紅白歌合戦 | |
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ジャンル | 大型音楽番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1998年12月31日 |
放送時間 | 1998年12月31日 |
放送局 | NHKラジオ第1 |
公式サイト | 公式サイト |
概要 編集
第45回(1994年)から続いていた20:00 - 23:45枠での放送は今回が最後となった。翌年の第50回以降、第40回(1989年) - 第44回(1993年)同様に19時台から放送する体制となった。
司会について 編集
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●両組司会については、紅組司会にはNHK入局5年目ながら大抜擢される形となった久保純子アナウンサー、白組司会には2年連続での登板となるSMAPの中居正広がそれぞれ起用された。なお、今回の司会発表は11月10日に行われた。
●久保は司会発表会見にて、紅組司会の話を聞いた時の心境を聞かれ、﹁﹃私でいいんかい?﹄と思った﹂と述べた。久保・中居は当時26歳同士︵久保は早生まれ︶であり、この両組司会について、﹁44年ぶり!NHK女性単独アナウンサーの紅組司会﹂﹁26歳同士。若さと明るさで乗り切る!﹂と好意的なマスコミもあった一方、初起用である久保に対して﹁若さ﹂を危惧する声が局の内外から上がっていたのも事実だった。総合司会で久保の先輩︵慶應義塾大学の先輩でもある︶である宮本隆治[1]は久保に対し、当時﹃NHK歌謡コンサート﹄︵紅白同様、NHKホールから生放送︶の司会をしていた経験から司会の指導を行った。12月30日のリハーサル終了後、﹁宮本さん、なんだかウキウキしてきました!﹂との久保の言葉を聞いた宮本はこの瞬間、久保の凄さと番組の成功を確信したという[2]。また、久保は本紅白での紅組司会起用が決定した直後より、各週刊誌[3]でフリーアナウンサー転身・民放移籍が報じられるようにもなった︵後にフリー転身︶。
●有働由美子は後輩である久保が自身より先に紅白の司会に選出されたことに不満を持ち、これがきっかけで2人は確執関係になったとの報道があった[4]。なお、久保は以後第51回︵2000年︶まで紅組司会を連続して担当したが、第52回︵2001年︶ - 第54回︵2003年︶は久保に代わって有働が紅組司会を務める格好となる︵2000年に結婚した久保は翌年に産休入りしたことで同年の第52回では司会候補から外れ、代わって有働が選出される運びとなった︶。
●一部メディアは前回初出場を果たした広末涼子や江角マキコが紅組司会の有力候補と報じていた。
●今回から第59回︵2008年︶まで司会陣にNHKの女性アナウンサーが起用される体制が続いた。また紅組司会についても今回から第55回︵2004年︶までNHKの女性アナウンサーの起用に限定されていた。
当日のステージ 編集
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●第36回︵1985年︶以来13年ぶりに歌手リーダー制を復活させた。紅組は和田アキ子︵前回の紅組司会︶、白組は北島三郎がそれぞれリーダーに抜擢された。
●オープニングは暗いステージに浮かぶ卵型の物体に見せた白い布が久保・中居の声と共に落ちて中から司会者・出場歌手が現れる演出となった。
●中居が組司会を務めた回の番組冒頭の恒例となっている、中居が手に持つ文字の書かれた扇子は﹁大爆笑﹂だった。
●また、両軍司会の紹介は例年の総合司会ではなく、両軍歌手リーダー同士である和田・北島が行った。
●今回の歌唱曲は、追悼として3曲が選出された[5]。
●海援隊の武田鉄矢はこの年亡くなった自身の母親に向け、歌詞を一部改めた﹁母に捧げるバラード﹂を歌唱。
●橋幸夫はこの年亡くなった作曲家・吉田正の追悼として吉田作曲の﹁いつでも夢を﹂を第1部トリで歌唱。
●由紀さおり・安田祥子はこの年亡くなった映画監督・黒澤明の追悼として黒澤作品の﹃生きる﹄の挿入歌﹁ゴンドラの唄﹂を歌唱。
●前回の出演を最後に1年間の産休に入っていた安室奈美恵が本紅白でステージ復帰し、2年連続で﹁CAN YOU CELEBRATE?﹂を歌唱した。歌唱途中、会場からの拍手と声援に感極まって涙を流し、かつて同じグループメンバーとして活動したMAXのメンバーに支えられながらステージを後にした。
●ちなみにMAXのLinaは当日39度の高熱を出しており、会場に着いた後医務室で倒れ込む状態だったが、医者から尻に注射を打ってステージに立ったという[6]。
●さだまさしが歌唱した﹁北の国から〜遥かなる大地より〜﹂は歌詞のない楽曲であることから、歌詞を付けて歌うと報道されたが[5]、実際には歌詞はつけられず、原曲と同様のハミング歌唱となった。紅白でのハミング歌唱は史上初である[7]。さだによると、同じキーの別の歌と組み合わせて歌詞を付けようと何度も挑戦したが、結局自分で気に入らず、歌詞を付けるのを諦めたという[8]。歌詞の代わりとして、さだまさしの直筆のメッセージが間奏のさだによるバイオリン演奏中にテロップ表示された。
●日本テレビ系列﹃ウッチャンナンチャンのウリナリ!!﹄で結成されたポケットビスケッツとブラックビスケッツが同時に合同ユニットとして初出場。番組レギュラーメンバーも応援団としてステージを盛り上げた。
●SMAPは﹁夜空ノムコウ﹂を歌唱。司会席に集結した歌手達も観客同様、ペンライトで応援した。中居の代理としてSMAPの曲紹介は久保が行った。
●﹁アメリカ橋﹂を歌唱した山川豊のバックコーラスには、白組歌手の美川憲一、五木ひろしに加え同曲を作曲した平尾昌晃が参加して場を盛り上げた。同曲は年跨ぎのヒットとなり、翌年の第50回でも歌唱された︵平尾も2年連続で参加︶。今回は持ち時間上2番目の一部が割愛されたが、第50回はリピート部分を除いたフルコーラスで歌われた。
●15周年を迎えた東京ディズニーランドからミッキーマウスら人気キャラクターを迎えたコラボレーション企画が行われた。なお、この時のバックダンサーを教育テレビで放送されている﹃天才てれびくん﹄のてれび戦士らが務めており、後にWaTとして紅白に出場するウエンツ瑛士も、てれび戦士の1人としてステージを務めた。また西田ひかるが﹁ザッツ ディズニー ファンタジー﹂の題目で、ディズニーソングの5曲をメドレー形式で披露した。
●藤岡弘、が、せがた三四郎に扮して登場。TOKIOの曲紹介を務めた直後、怪人イカデビル率いるショッカー軍団の出現からNHKを守るために本郷猛として変身ポーズを取り、仮面ライダー1号に変身。さらに昭和ライダー[9]から加勢した仮面ライダー2号、V3、RXとともにショッカーと果敢に戦い、撃退するという活躍を見せ、この年の1月に逝去した仮面ライダーシリーズの原作者石ノ森章太郎を偲び、低年齢層の視聴者たちの支持を集めた。
●小林幸子が歌唱した﹁風といっしょに﹂はこの年の夏に公開された﹃劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲﹄のエンディング主題歌であるため、子供の視聴者に配慮し歌詞テロップの漢字には全て振り仮名が振られていた。
●郷ひろみの曲紹介は中居ではなく、郷の大ファンであるという理由から久保が担当した。
●北島三郎は﹁根っこ﹂歌唱時、途中歌詞を飛ばしてしまう場面があった︵1番目の﹁忘れちゃならない﹂の部分︶。
●白組トリは2年連続で五木ひろしが担当し、﹁酒ひとり﹂を歌唱した。今回の五木を最後に白組歌手における2年連続以上でのトリ担当は第61回︵2010年︶ - 第64回︵2013年︶のSMAPまで途絶えることとなる。
●紅組トリおよび大トリはこの年デビュー30周年を迎えた和田アキ子の﹁今あなたにうたいたい﹂︵和田は4回目の紅組トリで自身初の大トリである︶。この時、和田は曲のサビ部分はハンドマイクを外して歌うという離れ技を見せ、観客席からは大拍手が起こった︵同曲は1988年に和田のデビュー20周年記念に、加藤登紀子が和田に提供したものであり、和田自身の意向によりシングルA面曲としては発売されていない。ちなみに、和田の公演の常連客だというNHKのスタッフの強い要望により歌唱が実現した︶。リハーサルでは会場を完全シャットアウトにして和田側のスタッフや会場スタッフ以外マイク外しでの歌唱することを知らなかったとされる。
●出場歌手発表の翌日、﹃サンケイスポーツ﹄︵1998年11月26日付︶は今回の紅組トリについて、﹁安室の2年連続起用︵且つ大トリの候補にも挙がっているとした︶の可能性がある﹂と報じていた。その後、﹃ZAKZAK﹄︵1998年12月18日付︶も安室が大トリの候補に挙がっていたと報じた。
●9対4で紅組が優勝︵客席審査では、紅組:1428、白組:1130で紅組優勢︶。審査集計時、宮本が両組司会と両歌手リーダーに﹁客席審査でどちらが優勢でしょうか?﹂と聞き、4人とも﹁紅組が優勢﹂と答えた。優勝決定後、久保は和田と抱擁し、涙を流した[2]。