オールスター紅白大運動会

オールスター紅白大運動会』(オールスターこうはくだいうんどうかい)は、1967年から1996年まで(中断有り)フジテレビ系列で放送された特別番組スポーツバラエティ番組)である。全28回(23+5回)。

オールスター紅白大運動会
1970年代に主に番組の収録が行われた「東京体育館」のメインアリーナ
ジャンル 特別番組スポーツバラエティ番組
構成 塚田茂
ほか
ディレクター 井上信悟
渡邉光男
司会者 小川宏
高橋圭三
小川哲哉
土居まさる
みのもんた
研ナオコ
清水國明
榊原郁恵
井上順
定岡正二
松本伊代
出演者 芸能人多数
ニューヤンキースほか
音楽 広瀬健次郎
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 疋田拓
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1967年11月4日
1970年3月26日 - 1985年5月14日
1994年5月10日 - 1996年5月7日
放送時間別項
放送枠テレビグランドスペシャル(*1、*3 - *6)
木曜スペシャル(*2)
火曜ワイドスペシャル(*7 - *9、*11 - *14、*16 - *24、*26 - *28)
土曜グランドスペシャル(*15)
【なし】(*10、*25)
放送分56分・86分・85分・115分・84分・114分
回数28回
600回記念特集Ⅱ 見たい見せたいあのスター珍プレー名場面!(総集編1)
司会者土居まさる
出演者おりも政夫
岩崎良美
浜田朱里
今まで出場した芸能人たち
放送期間1982年5月11日
放送時間火曜19:30 - 20:54
放送枠火曜ワイドスペシャル
放送分84分
回数1回
オールスター紅白大運動会 栄光の青春・激斗編(総集編2)
出演者今まで出場した芸能人たち
ナレーターみのもんた
放送期間1987年7月14日
放送時間火曜19:30 - 20:54
放送枠火曜ワイドスペシャル
放送分84分
回数1回
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1980年代に番組収録を行った「ゴールドホール」が当時存在した品川プリンスホテル
1980年代に番組収録を行った「ゴールドホール」が当時存在した品川プリンスホテル
最終放送となる1985年大会の収録を行った「国立代々木競技場」(この屋外で当時行っていた「国際スポーツフェア'85」会場を使用して競技の一部を行った)
最終放送となる1985年大会の収録を行った「国立代々木競技場」(この屋外で当時行っていた「国際スポーツフェア'85」会場を使用して競技の一部を行った)
1994年以降の大会の収録を行った「横浜アリーナ」
1994年以降の大会の収録を行った「横浜アリーナ

概要

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150 - 200196711TGSP1985231994551010655

197019741975197819941972SPTGSPWSP1978GSP

23使197019801994

総集編

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『火WSP』で2回に渡って、総集編番組が放送された。

見たい見せたいあのスター珍プレー名場面!

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1982511WSP600420600 

5100m7

栄光の青春・激斗編

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1987714 1987×1985

100m6

放送日時

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タイトル 放送年月日 放送時間(JST 放送枠 備考
1 オールスター紅白大運動会 1967年11月4日 土曜20:00 - 20:56 TGSP 『TGSP』初回。唯一の1時間&モノクロ放送
(この間、放送無し)
2 オールスター紅白大運動会 1970年3月26日 木曜20:00 - 21:26 木SP 『木SP』最終回。初の90分&カラー放送
3 秋のオールスター紅白大運動会 1970年10月1日 TGSP 『TGSP』が火曜から木曜へ移動した初回
4 春のオールスター紅白大運動会 1971年4月1日
5 第5回オールスター秋の紅白大運動会 1971年10月28日
6 第6回オールスター春の紅白大運動会 1972年4月20日
7 第7回オールスター秋の紅白大運動会 1972年10月31日 火曜20:00 - 21:26 火WSP
8 '73オールスター春の紅白大運動会 1973年4月3日
9 第9回オールスター秋の紅白大運動会 1973年10月2日 火曜20:00 - 21:25
10 第10回オールスター春の紅白大運動会 1974年4月4日 木曜20:00 - 21:55 (なし) 初の2時間&非単発枠での放送。21:55終了は歴代で最も遅い
11 第11回オールスター秋の紅白大運動会 1974年10月1日 火曜20:00 - 21:25 火WSP
12 第12回オールスター秋の紅白大運動会 1975年10月21日 火曜20:00 - 21:24 ここから単独開催(1978年は除く)
13 第13回オールスター秋の紅白大運動会 1976年11月9日
14 第14回オールスター秋の紅白大運動会 1977年10月4日
15 オールスター紅白大運動会 1978年5月13日 土曜19:30 - 20:54 土GSP 4年振りの春開催。初の19時台開始
16 オールスター秋の紅白大運動会 1978年10月17日 火曜20:00 - 21:24 火WSP
17 第17回オールスター秋の紅白大運動会 1979年10月2日
18 第18回オールスター紅白大運動会 1980年10月14日
19 第19回オールスター紅白大運動会 1981年10月20日 火曜19:30 - 20:54 『火WSP』では初の19時台開始
SP1 600回記念特集Ⅱ 見たい見せたいあのスター珍プレー名場面! 1982年5月11日 『火WSP』600回記念番組、総集編
20 第20回オールスター紅白大運動会 1982年10月26日 火曜19:00 - 20:54 2度目の2時間
21 第21回オールスター紅白大運動会 1983年10月11日 初の連続2時間
22 第22回オールスター紅白大運動会 1984年5月15日 火曜19:30 - 20:54 春単独に変更
23 第23回オールスター紅白大運動会 1985年5月14日
(この間、放送無し)
SP2 オールスター紅白大運動会 栄光の青春・激斗編 1987年7月14日 火曜19:30 - 20:54 火WSP 総集編
(この間、放送無し)
1 第1回爆笑 スター春の紅白大運動会SP 1994年5月10日 火曜19:30 - 20:54 火WSP
2 第2回オールスター爆笑秋の紅白大運動会SP 1994年10月10日 月曜19:00 - 20:54 (なし) 唯一の月曜放送.祝体育の日特別企画として放送
3 第3回オールスター爆笑春の紅白大運動会SP 1995年5月23日 火曜19:30 - 20:54 火WSP
4 第4回オールスター爆笑秋の紅白大運動会SP 1995年10月10日 火曜19:00 - 20:54 最後の2時間番組.祝体育の日特別企画として放送
5 第5回オールスター爆笑春の紅白大運動会SP 1996年5月7日 火曜19:30 - 20:54

[1]

1994年以降の大会は1985年までとは別扱いされており、回数も初回(1967年)からは通算されなかった。

キャッチコピー

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1967!!!!![2]

1970150 [3]

1973200[4]

19742002[5]

1974?200!![6]

1977!! 200!![7]

出演者

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総合司会

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実況

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実況はみのを除き、当時のフジテレビアナウンサーが担当した。

解説者

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応援着ぐるみキャラクター

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8!1974

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1980

1

2









Dr. 19811982

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1982

スタッフ

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第一回爆笑!オールスター春の紅白大運動会スペシャル
  • 構成:沢口義明
  • 技術:ニユーテレス(岩沢忠夫)
  • カメラ:藤江雅和、小山茂明
  • 映像:谷古宇利勝
  • VTR:瀧本恵司
  • 音声:間野目政孝、松本政利
  • ENG:ビジョンユニバース(汲田龍一)
  • カムリモート:酒井和恵
  • 特機:二宮典夫
  • 照明:岸本直樹
  • PA:菅原馨一、加藤文幹
  • 美術制作:重松照英
  • デザイン:瀬下有紀子
  • 美術プロデューサー:北林福夫
  • 美術進行:大野恭一郎
  • 大道具:福本知弘
  • アートフレーム:江尻正
  • 装飾:今村文孝
  • 持道具:栗原美智代
  • 衣裳:保沢紀
  • メイク:春山輝江
  • 電飾:大木謙二
  • アクリル装飾:橋本順
  • 人工芝:清水裕介
  • タイトル:藤沢良昭
  • 編集:瓜田利昭・寺尾享泰・後藤和夫(IMAGICA
  • 音楽:タバタ音楽事務所
  • 音響効果:佐藤昭(4-Legs
  • 振付:三浦亨
  • チアガール:スクールメイツ
  • 場内アナウンス:尾上仁美
  • 広報:上野陽一(フジテレビ)
  • TK:畑中まゆみ
  • 協力:神奈川陸上競技協会服部セイコーMIZUNO横浜アリーナ
  • 制作協力:4-Legs
  • デスク:江橋輝美、斉藤真理子、足立奈津子
  • 制作スタッフ:落合仁(BEE BRAIN)、和久津一成、宇梶英二、清水友也、長谷川武、松本泰一
  • アシスタントディレクター:宮道治朗(フジテレビ)、岡山武史、栗原真(4-Legs)
  • ディレクター:今井一・城間康男(共にフジテレビ)、佐藤一巳、小島竜彦
  • 演出:安藤厚司(4-Legs)
  • プロデューサー:木村忠寛(フジテレビ)
  • 制作:フジテレビ第二制作部
  • 制作著作:フジテレビ

開会式

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開会式は、「選手入場」・「優勝旗返還」・「聖火入場」・「選手宣誓」で構成されている。

選手入場

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総合司会の開会宣言→ファンファーレの後、入場ゲートから全選手(聖火ランナーと伴走は除く)が入場、トラックを一周行進した後、フィールドに「紅組男子」・「紅組女子」・「白組男子」・「白組女子」に分かれて整列する。1980年大会からは廃止された。

優勝旗返還

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優勝旗を持った選手代表が『見よ、勇者は帰る』のメロディと共に前進し、「大会委員長」に優勝旗を返還する。こちらも1980年から廃止された。

聖火入場

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8

197511976

19851985

選手宣誓

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!!!! 19!!1973123 - 4

1994

各担当選手

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聖火ランナー

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伴走者

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選手宣誓

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レギュラー競技

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ここでは毎回行われた「レギュラー競技」を紹介。なおこの内「走り高跳び」を除く競技は、競技内容が大幅に変更された第23回では行われてない。

100m競争

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冒頭の競技で、5名の選手が、[注 1]トラックを一部使用した「100m用コース」を走り抜く個人競技。1レースずつ男女交代で行われる。
1980年以降では1レースだけ、太った芸能人(榊原郁恵、松村邦洋桑野信義など)だけのレースが行われていた。
また1994年以降の大会では男女別に予選・決勝制がとられた。(各レース1着のみが決勝進出。)[注 2]

女子重量挙げ

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1978

2

障害物競走

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使5197219741994

197421324

女子・男子リレー

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4名で構成された各組2チーム、計4チームがリレーを行う競技。前半は女性、後半は男性が担当、一人が走る距離は女性は半周、男性は1周である。
なお1994年秋以降は各チーム5人ずつになり、男子のアンカーのみ1周に変更された。

走り高跳び

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13 - 42

騎馬戦

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全員参加の競技で、合図と共に上の「乗り手」は相手の「乗り手」の鉢巻きを奪う。時間が来たら終了、残った鉢巻きの多い方が勝ち。1995年以降は大将(男子はキャプテン)を倒した方が勝ちに変更された。[注 3]
1995年秋と1996年春では、男子騎馬戦で毎回試合のやり方で紅白が大げんかとなり、両軍5騎ずつ精鋭騎馬を集めて、通常と同じ「相手騎馬の乗り手を落とす」ルールの「最強戦」が、毎回行われていた(これも得点に加算される)。[注 4]

男女混合リレー

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最終競技で、双方が男女2名ずつの4名で構成されたチームを編成し、紅白1チームずつでのリレーを行う。
回る距離はアンカーのみ1周半で、その他は1周だが、1980年からは全員1周になったり、アンカーのみ2周で他は1周になるなど度々変更された。
1994年春は6人.秋以降の大会では7人になり、アンカーのみ1周、ほかのメンバーは半周に変更になった。

その他の競技

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3219701994



1976







19811982



19823



1983

1985













'85

閉会式

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111994

番組で使用された音楽

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いずれも1985年大会まで使用。

1979年までの「選手入場」に使用。1980年からは総合司会などの紹介のBGMに使用。なお1994年秋以降の大会では男女混合リレーの選手入場に使われた。
フジテレビの当時のスポーツテーマ。OPの提供クレジットBGMに使用。
  • 『(正式曲名不明)』(ニューヤンキース)
1978年春の冒頭で使用。本来は『土GSP』の前期OPテーマ。

現存映像に関する事項

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映像は1971年以降の大半が残っており、『栄光の青春』などのフジテレビ回顧特番で放送される事がある。主に次の内容が放送されるのが多い。

  • 歴代聖火ランナー
  • 歴代選手宣誓担当者
  • 100m競争
  • 走り高跳び
  • 男女混合リレー
  • 1970年代の常連にしてエース選手・にしきのあきら(現:錦野旦)と郷ひろみの活躍
  • 1980年の「100m競争」で、レース中に松田聖子が転び、その後頭部に後から走ってきた中山圭子の左膝が命中。
  • 1981年の「男女混合リレー」で、紅組アンカー・田原俊彦と白組アンカー・明石家さんまが争い、さんまがゴールイン。

なおニューヤンキースが出場した1978年春大会はあまり取り上げられる事は無く(仮に取り上げてもニューヤンキースの場面は抜き)、また2000年代以降は、1994年以降の大会を取り上げる事は少ない。

関連番組

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当番組のヒットによって、各局でも運動会番組が放送される様になった。






19721121WSP42106[8]

!

19741319:00 - 20:55200[9]



19753WSP

70

20124291670[5]19951996

脚注

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注釈

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  1. ^ 女子の1994年春は4人,男子は1994年秋以降.女子は1995年秋以降は6人
  2. ^ 1994年秋の女子の予選は6組行われたが決勝は5人で行った
  3. ^ 大将は兜をかぶっており兜を取るか騎馬をつぶしたほうが勝ち
  4. ^ 1995年秋は大将をつぶしたほうが勝ちだったが.1996年春は全滅させたほうが勝ちとなった
  5. ^ なお復活版の第3回.第4回でも負けた紅組は土下座を実施した。(第3回はキャプテンのみ.第4回は紅組全員で実施。)

出典

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  1. ^ 参考:放送当日の「読売新聞縮刷版」のラジオ・テレビ欄
  2. ^ 1967年11月4日付「産経新聞」7面の番組広告
  3. ^ 1970年10月1日付「読売新聞」24面の番組広告
  4. ^ 1973年10月2日付「読売新聞」8面の番組広告
  5. ^ 1974年4月4日付「読売新聞」18面の番組広告
  6. ^ 1974年10月1日付「産経新聞・夕刊」2面の番組広告
  7. ^ 1977年10月4日付「読売新聞」24面の番組広告
  8. ^ 1972年11月21日付「読売新聞・縮刷版」ラジオ・テレビ欄の番組解説。
  9. ^ 1974年1月3日付「読売新聞・縮刷版」ラジオ・テレビ欄

関連項目

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 - 198310421

 - 



SMAP×SMAP - 2015330SMAP