二分金

江戸時代に流通した金貨の一種



[1]81837[2][3]

概要

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[4]

21/28  [5][6]

181821869[7]

[8]1515173033[9]

2221[10]

200

真文二分判

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真文二分判

4101818514610712[11]1/214%2[12]

80[13][14]

10001010243[4]

6918351119[15]

草文二分判

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草文二分判

11118182812141127182912

[4]

1382184296[16]86[15]

安政二分判

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安政二分判

安政二分判(あんせいにぶばん)は安政3年6月2日(1856年7月3日)から鋳造が始まり、同年6月28日(7月29日)より通用開始された。量目は天保小判の1/2であるが、金品位は1/3強に過ぎず低品位金貨としては文政一朱判に次ぐものであり、改鋳による出目獲得を目的としたものである。年代印は打たれていない。

通用停止は慶応3年6月末(1867年7月30日)であった[17]

万延二分判

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万延二分判(止め分/称明治二分金)

4918605294105302[18][19]1865[20]

[21]

791874[20]

貨幣司二分判

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1868103,809,6432608,00017025.88%24018.33%22.00%[22]

791874[20]

[23]

一覧(鋳造開始・品位・量目・鋳造量)

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名称 鋳造開始 規定品位
分析品位(造幣局)
規定量目 鋳造量
真文二分判 文政元年
1818年
七十八匁位(金56.41%)
金56.29%/銀43.30%/雑0.41%[24]
1.75
(6.56グラム)
2,986,022
(5,972,044枚)
草文二分判 文政11年
1828年
九十匁位(金48.89%)
金48.92%/銀50.55%/雑0.53%[24]
1.75匁
(6.56グラム)
2,033,061両2分
(4,066,123枚)
安政二分判 安政3年
1856年
二百二十五匁位(金19.56%)
金20.30%/銀79.44%/雑0.26%[24]
1.5匁
(5.62グラム)
3,551,600両
(7,103,200枚)
万延二分判 万延元年
1860年
二百匁位(金22.00%)
金22.82%/銀76.80%/雑0.38%[24]
0.8匁
(3.00グラム)
46,898,932両2分
(93,797,865枚)
貨幣司二分判 明治元年
1868年
二百匁位(金22.00%)
金22.34%/銀77.40%/雑0.26%[25]
0.8匁
(3.00グラム)
3,201,643両2分
(6,403,287枚)
貨幣司劣位二分判 明治元年
(1868年)
二百四十匁位(金18.33%)
0.8匁
(3.00グラム)
608,000両
(1,216,000枚)

地方貨幣

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地方貨幣で二分の額面を持つ金貨としては、筑前二分金秋田笹二分金がある[26]

二分の額面を持つ、または二分通用を想定した銀貨

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脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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 1982 

1976ASIN B000J9VAPQ 

1958 

1996ISBN 978-4-492-37082-7 

 1996 

1996ISBN 978-4642066525 

西1999ISBN 978-4-490-20353-0 

1963ISBN 978-4-6420-3029-8 

 --1998 

 2008